八〇 虎と虎
「くっさ」
__うぃー、目かすむし鼻痛いし、咳出るし息苦しい。
逃さぬと柄を掴まれる。蹴り付け手放させ、飛び去る。
「山吹色の七芒星は語る 花霞 村雨 胡蝶 空寂 あばく 双角の油売り 三面の牛飼い 掘り出す六髯の戦車乗り 御空に堂々並べて記せ」
__地獄谷って言ったね……なら硫黄か!
刃を合わせていた剱岳の周りに、色のない有毒ガスが発生していた。厳かな声で説かれる。
「硫化水素やちゃ。吸い込んだら様々な器官が蝕まれるか゚よ。濃度が高かったら高いほど、意識が奪われるまでの時間ちゃ早まるし、呼吸が阻害される度合いも高まってくか゚いぜ。あ、拙者を除いて」
「うぃー、ずるくない?」
離れても症状は収まらない。
やがて収まるかもしれないと、びゅうびゅう、攻め口を探っていると見せかけ飛び回る。収まらないが念じ終え、山吹色に光る瞳へ浮かんだ七芒星をもって見据え、調べてみる。
__山ではなく『立山』の自然種があるとは。
立山に心を護られる民として、それがズルい。
ついでに苦笑しながら思う。孫悟空にせよ、李哪吒にせよ、真武にせよ、そして高談徳にせよ、皇甫碧珠にせよ、一人に一つのみである能力を何種類も使えるような覇術をもっている。しかも一つ一つが厄介である。
単純な接近戦しかできない身として、それもズルい。
__故に勝ちたい。
義虎は戦人である。
「自論にござるけど」
ごっと、まるで惜しまず覇力を噴き上げる。
「ある道を究めんとする強者にとって、同じ道を行かんと励む強者に巡り逢いて、その道を進まんと磨いて磨いて磨きまくりし業をぶつけ合う……これに勝る興奮とて他になし、そして、これより優先すべき荘厳なる神事などあろうはずもなし」
血の池が沈んでいく。剱岳が微笑んでいる。正面へ降り立つ。
「うぃー、ちなみに猿虎合戦の山賊うんぬんは、お芝居だよ?」
唸られ、深く深く頷かれる。
「地獄谷は解いたちゃ、いざ」
どっと、頷くや斬りかかる。
総大将であるとか奴隷であるとか、今はどうでもいい。
余力とか敵地の真ん中にいるとか、今はどうでもいい。
調略するとか第三勢力を創るとか、今はどうでもいい。
がっと、刃と刃が激突する。
轟音が烈風と化し奔り抜け、火花が閃光と化し咲き乱れ、覇力が竜巻と化し暴れ回る。空柳義虎と立山剱岳、両雄が猛り昂ぶり叩き込み合う尖刃は煌々と紅蓮に燃えたぎり、理屈も状況も立場も置き去りにしてただ戦人の本能が欲するままに踊り狂い、雄々しく爆ぜて断固不可侵たる神域を湧き起こす。
熾灼極まり、弾き合う。
剱岳が跳びすさり、義虎は舞い上がり、赤々とうち奮える。
骨羅道も真武らも、到着していた義虎の同胞たちも、釘付けとなっていた。
「うぃー、最高に」
義虎は同胞たちを一瞥し、好敵手へ向け刃を掲げた。
「楽しかったちゃ! 今はさらなる追手に迫られたが故にオサラバつかまつるが、近いうちに必ずや……」
にっと、陣羽織をひるがえす。
「闘わんまいけ」
「楽しみやちゃ」
__さすが《天手力雄》察してくれたね、そして《風伯》もしかり。
拳を突き上げ飛び去っていく。真武に号令される。
「奴め逃げたぞ、追え、他隊に手柄を取られるな!」
__《地夜叉》も賢しいね?
兵から見えぬ丘の影まで旋回し、覇術を解いて感知されぬようにし、森へ紛れて飛んで戻っていく。
__うぃー、密友島とはよく名付けたもんだ。
次はいよいよ、大本命、同胞たちと接触する。
__待たせまくったな《伐折羅》朱剣虎おーっ!
朱剣虎。
紅涙を涸らし眼光を燃やし、易姓革命を志す。
終わらぬ悪政に苦しみあえぐ民の悲鳴と憤怒が結晶し、その虎は覚醒した。
天乱七〇年、四月八日。
空柳義虎と時を同じくして戦国へ現れた。
貧窮へ悶える器職人の子として生まれた。
丹精込めた品を面白半分にかち割られ、抗議しようものなら問答無用、品同様に動かなくなるまで打ち砕かれた。父は兵役へ引き摺り出され、その隙に母は役人に犯されかけ、それを庇った祖父は殴り殺され、程なく城攻めの捨て駒とされた父の部隊が、土塊と化し帰還した。父や祖父との思い出の詰まった仕事場は焼かれ、乞食同士の血みどろの縄張り争いで傷を刻み、根や泥で飢えや渇きを偽りながら盗みを連ね、石で頭を穿たれ捕まっては爪を剥された。
なぜ苦しみ、なぜ戦い、なぜ生きるかという問いは封殺した。
盗んで、逃げて、罵った。
組んで、責めて、謀った。
脅して、襲って、殺した。
敵であれば、幼い少女でも容赦を欠いて殴り伏せ、理性を投げ捨て獣と化した。
祖母はその度に胸が塞がるほどに叱り付け、そして十五へ満たぬ少年へ、稚児の砌より修羅を強い続ける世を恨んで泣いた。
母はそんな少年をかき抱いて、お前は何も悪くない、おっかあたちが付いている、必ず守ってやるから案ずるなと励ました。
天乱八九年。
ある一揆へ加わり、初めて人として生きる喜びを知った。
一睡の夢だった。汚濁の朝廷の犬たる官軍は、民兵はおろか無関係な老人や赤子に至るまで虐殺を尽くした。憎悪の深淵へ逝かんとした少年は、そこで気高き憂国の少年兵と出逢い救われ、軍へ入隊して生き延びた。今度こそは人となれる、だが現実はそれをも儚き夢想と斬り捨てた。国へ命を捧げる武人ですら、まだ熱鉄の格子の内側にいた。
なぜ、手入れもされぬ戦の道具にすぎぬのか。
なぜ、宴の余興に壊し合わされる傀儡人形にすぎぬのか。
なぜ、吹雪の中へ立たされ他に能なしと嘲けられるカカシにすぎぬのか。
この国は腐りきっている。
この地は汚れきっている。
この世は堕ちきっている。
しかし、悲嘆し慟哭し咆哮するだけでは何も変わらない。
誰かが立ち上がらねば、覚悟を決めねば何も変わらない。
力を鍛え、策を練り、同胞を増やさねば何も変わらない。
少年は暗躍し始めた。
天乱九四年。
倍達国が大和国、靺鞨国より援軍を得て、北から侵攻してきたテングリ国、スコロトイ国、ヴァルハラ国からなる連合軍と壮絶に戦う〈倍達六国戦争〉が勃発した。
来るべき革命の日へ向け強くなるため、懸命に戦った。だが大地を沈め塵芥と化すまで破壊し尽くさんばかりの敵の将軍たちの猛攻に呑まれ、ふざけるな、なんなんだこの人生はと喉が裂けんばかりに絶叫したところで、味方の将軍に救命された。
目撃した。
それは血だるまと化しながらも決して止まらず、三国が誇る豪傑たちへ身一つで立ち向かい続け、ついに討ち取る狂戦士であった。
確信した。己と同じ境遇に悶絶する奴隷であると。
命懸けで密会し、語り明かし、熱く抱擁し合った。
そして誓い合った。
《伐折羅》朱剣虎。
《猛虎》空柳義虎。
誕生も宿命も同じくする虎と虎は、未来永劫に断固揺らがず同胞である。
必ずや世直しを成し遂げる。次に会う時、具体的な策をもって始動する。
天乱九七年、九月二一日。
ついに、その時が訪れた。
虎が牙をむくように開けた洞窟がある。
「鎧仗顕現『鉄刃』」
「鎧仗顕現『鉄剣』」
がっと、偃月刀と双剣を振り抜きぶつけ合い、虎と虎が対峙する。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経」
義虎は歓喜する。
ぶつけ合う直前に、臙脂色に塗った歩人甲を付ける剣虎が覇能を発動し、防音結界を広げてくれた。念のためである。すでに周囲には剣虎隊が展開している。真武隊が来ても、この辺りは我々が捜索しているから別所を頼む、と言って追い払うことができる。
「来たな、義虎」
「来たよ、剣虎」
剣虎が右の剣を引く。籠めてくる力が半減する。だが義虎は跳びすさる。
突き出された右の剣先が、義虎がいた空間を貫いていた。
__うぃー、太刀筋が速い、おもしろい!
「斬る」
斜めに回転しながら斬り込み、弾きのける。と思えば着地するやいなや斬り込んでくる、右上段、左下段、同時に斬撃が飛んでくる。前進する、かがんで上段をやり過ごしつつ、下段だけ打ち払う。
刃を返すや斬り上げる。
「うんぎゃーっ」
「うぃー?」
絶叫するだけしておいて、剣虎は右を戻すのを間に合わせ、柄の尻で刃を打って止めきってくる。次の瞬間には左が眼前まで喰い込んでくる。わずか、顔を逸らしかわしながら柄を振り込み、回し投げるように脇腹を押しのける。
びっと、二頭が一閃し合う。
斬り込み合い、馳せ違い、振り向きざまに打ち込み、鍔ぜり合う。
弾き合い、回り込み合い、振りかぶり跳びかかり合い、闘争本能をむき出しにして猛り合い斬り結ぶこと三〇合あまり、どちらからともなく手を止め合い、爽快に笑い合い始めた。
「うぃー、うんぎゃーって何けマジで?」
「だって言いたくなるんだもんねマジで」
ひしと抱擁し合った。
「うぃー、よく動いてくれたね?」
これは密会である。
剱岳も真武も、義虎と組むかは分からない。
故に義虎が剣虎と組んでいることも、骨羅道と組んだことも知らせていない。よって剱岳らは、開京朝廷の犬であるだろう剣虎らに、義虎と組むかどうかを迷っていると悟られぬよう振る舞いたい。
義虎はその意を汲んで言動した。
剣虎は合わせてくれた。
念話し、義虎が浜で戦ってると知るや、丘を挟んで逆側にこういう洞窟がある、ここで落ち合おうと提案してくれた。さらに観戦しにくることで、もし剱岳らが義虎と組まず忠犬のままでいようとも、我らとて義虎を捕らえにきた忠犬であると、また義虎が丘を回って逃げたのでその方面へ向かったまでと、言い張ることができるよう立ち回ってくれた。
「そりゃあねえ、よく動きたくもなるって」
「剣んぼ、張り切っとったんぜ、なもなも」
「暗躍しまくるのはお互いさまですからね」
ハクビシンの獣人、温源が覇術を解いた剣虎をばんばん叩き、羽扇をあおぐ占い師、星巫祚が座り地図を広げた。義虎も覇術を解き、腕をかき頭をかき胸をかき、剣虎が差し出す碁石を取った。
「うぃー、さっそく始めよっか」