七三 風の巫女、名乗る
目が覚めると砂浜に寝転がっていた。
同時に、頼むから再びすぐさま意識を失わせてくれと、泣きわめき、身も蓋もなくすがり付かずにはいられなくなる。何にすがり付くか。何でもいい。何を犠牲にしても構わない。
それほどに痛い。
ぎっと、しかし歯を食いしばる。
__我こそは! 身も心も捨てた狂戦士、大和国大将軍《猛虎》《建御雷》空柳義虎なり!
音速まで加速し海面へ突っ込み、それでも止まらず海底までかち割った。
体がどうなったのかなど、分からない。
どこまで流されたかなど、分からない。
敵や助けが現れるかなど、分からない。
このままでは命ついえる。
__許さん。
卑怯だろうが反則だろうが知ったことではない。死ぬなという厳命へ逆らってはならない。道半ばで儚くなっている場合ではない。
「柳の……硝子細工は観音開き 東へ障子戸 西へ格子戸 吊るし……門は北へと解け 埋門は南……へ落つる 見よ 甘露の櫓門……はがれ 金 銀 銅 鉄 ことほぐ……厨子にことほがん」
亜空間袋を開け、種々の劇薬を投与せんと試みる。
「起きたか」
はっと、義虎は一人ではなかったことに気が付いた。
__うぃー、初めて聞いた……イケボじゃん。
その大男は自分と同じ傷を負い、仰向けに並び空を眺めていた。
「我々は漂流してきたのでしょうか」
「いや、私が運んだ。そなた軽いな」
「うぃー、誠かたじけのうござった」
義虎は興奮してきた。
「それがし六五キロないのです」
「では意識を失うも無理はない」
__ついに話せるね。身も心も捨てる狂戦士、倍達国大将軍《風伯》司空骨羅道。
「何故、助けてくれたので」
変わらず痛む。念ずるのに集中しきれず、亜空間袋はなかなか開かない。
だが遅くてもいい。苦痛を凌駕する興味がある。そして骨羅道が答えた。
「分からぬ。まあよかろう」
「いかにも」
一気に集中できた。亜空間袋が開き、どうにか手を動かし体騙錠を引っ張り出す。
「食べますか。痛み止めにござる、副作用で過呼吸となり申すが抑える薬もござる、その副作用でかゆくなり申すが抑える薬もござる、その副作用で喉が渇き申すが美味い水もござる」
「多いな。だが全ていただこう」
互いに摂取し落ち着いてきた。
「うぃー、初めて誰かとともに行いましたぞ。投薬するを」
「そなたを除けば、わしぐらいなのであろう。躊躇わぬは」
はっと、義虎は先輩を見やる。
__よもや心が残っとる⁉
すっと、気張っていた靄が晴れ渡っていく。
__うぃー、そうだよ義虎と違って才あるんだから、他でいかなる目に遭ってきたかは知らんが戦に関しては心を捨てずともやってける。己を守るべく築かざるを得なんだ殻があまりに硬く、心を捨てしことなどない周りからはそう見えてもだ、かつての義虎のごとく……完全に心を捨てさせられる必要はない。さればなおさら。
ぐっと、唾を呑み込む。
__味方とせねば。
天乱九七年、九月二一日。
標高一〇〇〇メートル、直径一キロに収まり切り立つ天険へ建ち、倍達国高句麗界を守護する遼東城。
「ん、かゆい。かいて、かいて!」
「世話の焼ける子だなあ、どこ?」
「足の裏」
「嫌です」
「んーっ」
黄華国大将軍・黄飛虎による襲撃から一夜明け、戦った大和国兵士・鳥居碧と木村麗亜は兵舎で背中を合わせ待機していた。
「密偵さ、見付かるかな」
「ん、それトラが目星付けて《大武神》大将軍に伝えとったじゃん、だから探しとるんは見せかけだけ説が浮上した」
ドヤぁ。と碧は顎で親指と人差し指を垂直に張った。
「え。なんですぐ捕まえないの? あ。泳がせて尻尾とか出させるため?」
「いや《猛虎》だよ、そんな守備的な対策じゃなくて攻撃的に術策をだな」
「……義虎大将軍といると頭疲れない?」
「疲れる! 無心に暴れる方が気もちい」
ふっと、麗亜が微笑んで動き、横に回られ見詰められた。
「かっこよかったよ」
「……でしょ」
碧は倒れ、黄飛虎との戦いを思い返した。
「攻撃せよおっ!」
「「うぉおおおーっ‼」」
巨大な三足烏と化した母、高句麗界将軍・皇甫碧珠の放つ号令一下、碧たちは黄華国〈五龍神将〉たる大将軍へと突撃した。
「麗亜、合わせて撃って。一つ目・疾風の舞」
「おけ、きえーっ!」
碧色に眩い風圧、空色に眩い剣圧、ほとばしる遠距離攻撃が炸裂する。
「よし来い熱いぜ!」
二色を穿ち飛散させ、黄飛虎の左腕が変化した金砕棒が振り抜かれる。
振り抜く隙を逃さず、筋骨たくましき二人が強靭な脚力を唸らせ走る。
上級武官をも追い込んでみせた大和国兵士・胈又妖美が偃月刀を閃かせ、かつてあった王家の血を引く高句麗界武官・高談徳が槍をしごき、打ちかかる。受けきられる。
「いいねえ、やはり接近戦が一番だろ」
二本は、黄飛虎の右腕が変化した偃月刀に押さえ込まれていた。
「美しい意見だね、しかれども」
「そう余裕ぶってもおられぬぞ」
びっと、三節に、黄飛虎の偃月刀が熔断される。
「光線剣とかいう奴か。だが今の今まで持っとらんかったろう」
二人は片手を空け、そこへ高句麗界武官・恍魅が出現させたプラズマ刀身の剣を受け取るやいなや、逆手持ちに斬り上げていた。
淡青色に光る刃を唸らせ、談徳が斬り込んでいく。巨大化する金砕棒を打ち込まれる。
「太子殿下殴らすとでも思ったか!」
「しつこいだろうべが力比べだべ!」
五メートルある石の大猿が突っ込んでいく。高句麗界武官・阿石慨は体当たりし、殴撃を受け止める。そこへ大和国武官・嶺森山忠が跳び込み、大杵を放り込み、金砕棒を地面へねじり込み、談徳と阿石慨に跳び越えさせる。
風圧もほとばしり、剣圧も続く。
「いいねえ、こいつぁどうする⁉」
ごっと、巨大な鋼鉄が突き出る。
あわや談徳の奔らす光刃が黄飛虎を捉えようという瞬間、逆に、広く長い道が瞬時に埋め尽くされた。体高三〇メートルある三足烏が鉤爪を突き出し押さえるも押し込まれ、城の逆側まで追いやられた。
黄飛虎の右腕が変化した大剣である。
しかし建物はことごとく損傷していない。そして碧たちもことごとく負傷していない。皆、猛進する大剣の生む風圧に飛ばされ、近場にあった建物の中へ転がされていた。
「いや運よすぎだろ」
「言ったはずです。天地人を司る三足烏により極限まで運気を高められていると」
言い放つ三足烏はもう舞い戻っている。
黄飛虎が一瞬にして大剣を右腕へ戻す。
そして明後日の方向へ金砕棒を振った。
「あ? 実体がないぞ?」
「ん? 当てたつもり?」
「え? 知らなかった?」
えっと、碧は並んで窓外を覗いていた高句麗界武官・淵傑多を振り返る。彼女は黄飛虎の感覚を操り、三足烏のいる位置を誤認させていた。
ごっと、三足烏が飛びかかる。
ばっと、黄飛虎が飛び去った。
妖美が見抜いた。
「感覚支配は見抜かれたようだね。覇術領域を出て支配を逃れた今、的を定めて飛び込んでくるよ。再び感覚を侵しても惑ってはくれないな、まっすぐに突き進めばいいだけだからね」
三足烏が狙われ、吹き飛ばされた。
「さすがに経験豊富だな、どうする」
談徳が唸るも、任せたまえ、攻めを頼むよと妖美は進み出る。
連射される風圧と剣圧をかいくぐり、黄飛虎が向かってくる。
「超魂顕現『闇夜奈落』」
妖美は走り跳躍し、自分ごと黄飛虎を闇に呑む。ほどなく転げ出る黄飛虎を追って出て、妖美が号令する。
「撃ってくれたまえ」
「四つ目・鎌鼬の舞」
「きえーっ!」
「超魂顕現『巌山殴亀』!」
「華夏の鎧」
白いマントがはためき、談徳の纏う甲冑が変わる。白い甲片を綴り赤い装飾の盛る明光鎧である。纏えば覇力が強化され、衝撃波として覇力噴を撃てるようになる。
鎌鼬が奔る。剣圧が奔る。天より岩亀が落ち、黄飛虎から逃げ場を奪う。そして濡羽色に波打つ覇力噴が奔る。
「いいねえ、燃えるぜ!」
ことごとく弾け飛んだ。
黄飛虎が四肢を、両翼を、尻尾を巨大な斧へ変え回転していた。
「まだです、殿下!」
「ああ、あれをやるぞ!」
恍魅が駆け出し、淵傑多とともに光線剣を構え、阿石慨も石の拳を固め、揃って跳ぶ。その足もとへ談徳が覇力噴を放ち、打ち上げる。
妖美も追い付き、偃月刀を振りかぶり、光線剣をほとばしらせる。三足烏も飛び込んで、鉤爪を叩き込む。跳ね上げられた岩亀も、再び落ちていく。
がっと、恍魅が彼方へ弾け飛ぶ。
にっと、黄飛虎が飛びかかっていく。
どっと、両腕のみ斧のままにし、光線剣が溶断しきれぬその広く重い刃を唸らせ、岩亀が落下するより速く淵傑多を殴り飛ばし、阿石慨を殴り落とし、振り向いて妖美を殴り払い、切り返して三足烏を殴り上げ落ちてくる岩亀へ叩き付け、朦朧とさせる。
「おっかあ……」
碧が歯ぎしりし、山忠が慌てて覇術を解き、岩亀が消える。
「覇力で上回りゃあ、喰らわぬとかいう強運も打ち消せるってな。さあて」
三足烏が立て直すが早いか、猛然と黄飛虎が突っ込み山をも砕かんばかりに連撃し、受け流す鉤爪を傷め付けていく。
「いただくぞ将軍首」
「やらせん」
びっと、鎌鼬を奔らせ跳ねのけさせ、碧は母を救う。
「麗亜、太子殿下、向かってきたら迎え撃って」
そして進み出る。大将軍たる黄飛虎に凝視される。だが不思議と恐くはない。
想う。今こそ言う時である。
義虎と約束した。名乗ると。
かっと、碧は眼を見開いた。
「我こそは! 大将軍《猛虎》が信ずる一番弟子にして、将軍《烏巫堂》が誇る娘、すなわち高句麗の英雄《風神》の血と覇術を受け継ぎし大和国兵士《風の巫女》鳥居碧なり!」