六三 九頭龍の教え
空色にたゆたう霊気を煌々と湧き上がらせ、麗亜はまっすぐ、古より大和民族の心へ脈々と伝わる神太刀・天之尾羽張を振りかぶる。
目を細め、碧が見上げている。
目を潤ませ、妖美が見とれている。
「あり得ぬ……あの小娘、毒が効いておらぬのか」
薛悪虎が後ずさり、韓毒竜がわなわなと肩を震わせる。
「いや効いておる、が……精神力でもち応えておる。鎖鎌の方といい、猛虎の取り巻きどもはいったい、何なのだ……」
__何かって、決まってるでしょ。
もうもうと汗を滴らせ熱を噴きながら、麗亜は想う。
陰山城で見た、公然とまかり通る理不尽な差別と虐待、それに憤るどころか最高武官でありながら無感情に平伏する義虎の卑屈ぶり。
琥珀里で見た、国に作物も人口も城塞も搾り取られ乾き尽くした不毛の地、そんなものを死守せんと一切の援助なきなか身を盾にし血を流し、命を繋ぐため人肉をも食らう義虎たちの過酷な暮らし。
最前線で見た、毎度のように躊躇なく無茶な突貫をくり返し死にかけるまで猛り狂う義虎、そのように己が命を使い捨ての矢じりとしか思わなくなる奴隷兵を生み出してきた大和国。そしてそれが、民族の精神の拠り所たる国家と誇りを護るためには欠かせぬと正当化される。
__絶対に認めない。
温かくも悲壮な恩師の声が聴こえる。
『我らが夢、民が平和で自由な世を、必ずやともに成し遂げようぞ』
__殿下と誓ったんだ。絶対こんな世の中、変えるんだあっ!
「妖美くん、樺太郎さん、下がって!」
頭が割れる、息が苦しい、意識を保つだけで辛い。しかしますます勇み、轟々と覇力をはたき出し、麗亜は空色を噴出する。
__ボクは志士。だから成し遂げるまで、倒れない!
「きええぇーっ!」
消えゆく意識のなか、麗亜は想い出していた。
恩師である、生まれ育った温かな真珠里の領主には、生まれてすぐに出逢った。
将軍《九頭龍》天龍義海。
父の源左衛門は、義海を敬慕し永く仕える近衛兵である。一兵卒の一人一人まで我が子のように大事にする義海は、麗亜が生まれたその日のうちに源左衛門宅へと駆け付け、覇玉を入れ首へかけたりするのに使う容器、覇玉瓶を贈り祝福してくれた。
この覇玉瓶はずっと愛用している。
幼い頃からそんな義海と訪ね合ってきた。
遊んでもらっているうちに誤って足を踏んづけたり、立派な髭を引っ張っても、いつも笑って許してくれた。
初等学校へ入学してからは宿題を教えてもらったり、剣術を鍛えてもらったり、神話を聴かせてもらったりした。
会議を主導し、てきぱきと役人たちへ指示する義海に憧れ、学級代表へ立候補して当選した。最初はから回ったが、義海へ相談し、人を束ねるには一人一人を公平に思いやり話を聞くことが大切だと助言をもらい、学校全体の中心的な存在となり活躍することができた。
人を愛すること、愛されることの幸せを教わった。
真珠里やかつての大和国にある、仁義の美徳を教わった。
そして義海が同志たちとともに抱く、断固譲れぬ志を教わった。
『民が平和で自由な世を築かねばならぬ』
義海はこらえていた。
『予は数えきれぬほどの悲劇を見てきた。気高き友を、温かき親を、罪なき民を、理不尽に裁かれ惨たらしく喪ってきたのじゃ……何故じゃ! 何故、人は平和には暮らせぬのじゃ』
義海は麗亜へ吐露した。
『何故、かけがえなき命を引き裂いてまで戦わねばならぬか。何故、身分や人種で隔て差別せねばならぬか。何故、己が富や権力のみを護ろうとするか。何故、同じ地に生きる者同士で憎しみ合わねばならぬか。何故、愛し合うことができぬか!』
麗亜は気付かぬうちに泣いていた。
『人の想いは様々ある。妬む、嫌う、蔑む、怒る、怨む、いずれも否定するはかなわぬ。されば、かなわぬなりに考えればよいではないか。互いが納得できる術を、誰も不幸にならぬ道を』
義海は天を見上げた。
『高天原派はそれを諦めておる』
麗亜も天を見上げた。
『諦めて、仁義を捨ててでも着実に国威を盛り立てんとし、諦めず、仁義を残しながらどうにか国家も生き残らせんとする者を、力づくでも根絶やしにせねばならぬと躍起になっておる……さような輩に負けてはならぬ。諦めてはならぬのじゃ、諦めれば待つは惨劇のみ。虐げられ犠牲となる者が後を絶たぬからじゃ、すなわち蔑みいたぶる輩を怨み、傷も負わず食うも困らぬ皆を妬み、愛する人を奪われ泣く者が途絶えぬのじゃ……よって予ら八百万派の成すべきは』
義海は麗亜の眼へ映り込んできた。
麗亜は息をすることも忘れていた。
『高天原派を倒し、大和を取り戻すこと』
優しい恩師は言った。
もはや武力をもって戦うしかない。そこまで来ている。
幾度となく朝議で論じ合った。煮えたぎるような最前線で血涙を流し続ける兵の悲鳴や、抑圧され搾取され生気をなくした民の悲嘆を集め、仁義を欠いては国は内から崩れるのだと訴えてきた。
綺麗ごとで国は護れぬ。
訴えるたびにそう切り捨てられ、迫害は増していった。
天乱七三年。
八百万派の後ろ盾である三代目天皇・天龍國仁が暗殺された。
八百万派の後ろ盾である皇太子、将軍《九頭龍》天龍義海と、皇后・炎火慈子が流刑にされた。
帝位を求め國仁を狙ったと、陥れられてのことであった。高天原派は義海の甥に当たる幼い天龍匣飾を担ぎ上げ、操り人形として即位させた。
七五年。
八百万派の幹部である将軍《犬神》犬泉八星が討ち取られた。
領民を追い詰められ、罠と分かっていながら高天原派へ反旗を翻してのことであった。謀反として鎮圧され、一族は奴隷にされた。
七六年。
八百万派の領袖である三代目大納言、大将軍《海神》仙嶽雲海が流刑にされた。
八星の反乱を手引きし、また八百万派の味方である倍達国の大将軍《風神》皇甫崇徳の軍を引き入れようと謀ったと、陥れられてのことであった。高天原派の領袖である大将軍《閻魔》富陸毅臣が四代目大納言へと就任し、そのまま崇徳を騙しておびき寄せ、討ち取った。
七八年。
八百万派の重鎮である皇叔、将軍《九頭龍》天龍義海が左遷された。
一身に罪を被り刑死した母后、慈子により冤罪を立証され、復職し朝臣となって闘っていたが、荒廃させられた真珠里を見かね、罠と分かっていながら立て直すよう進言してのことであった。
七九年。
八百万派の重鎮である大将軍《氷神》夷傑信露が討ち死にした。
一族を人質に取られ、八百万派の味方である瑞穂国の大将軍《雷神》雷島片信と戦わされてのことであった。
片信も重傷を負い、陣没した。
八〇年代からは高天原派の天下であった。
派閥に属さぬ大将軍《恐竜王》大襟巻音華は憂いて嘆き、辞職した。
『大婆さまはおっしゃった。同じ大和の民がかように惨く争うは、許せぬと』
『ボクも許せません。だから……闘います!』
麗亜は誓った。民が平和で自由な世を築くと。
義海は涙した。だが戦うのは危ないと止めた。
麗亜は拒んだ。強くなれない限り諦めないと。
翌九〇年、卒業した麗亜は一〇歳にして覇術学校へ進学した。
だがそれ以降も弾圧は続いた。
九一年。
八百万派の味方である将軍《烏巫堂》皇甫碧珠が粛清された。
八百万派を再興せんと暗躍していたのが露見してのことであった。余波は義海らへも及んだが、全滅しては志を遂げられぬと涙を呑み、碧珠に協力を迫られはしたが何も加担していないと言い逃れ、それぞれ減俸で済まされた。
碧珠がいた村は焼き払われ、娘である碧を除く罪なき全ての村人が虐殺された。わずか八歳の碧は悲しみに暮れながら身一つで放浪し、すさんでいった。
九三年。
八百万派の幹部である将軍《火神》炎火臆母が討ち死にした。
不可解なほどに機密が漏れ、異常な敵戦力に封じ込められてのことであった。
義海は臆母を息子のように可愛がっていた。この四年前には、手柄をもみ消されていた奴隷兵・鉄を救い讃えたいという彼に頼まれ、空柳義虎という名を授けていた。
九五年。
八百万派の幹部である将軍《不動明王》入道寺炎月が投獄された。
将軍《猛虎》空柳義虎を休みなく死地へ送り込む毅臣へ抗議し、民を苦しめるなと朝廷を非難してのことであった。義海にとって親友である炎月は、今なお獄中にあって耐え忍んでいる。
そんななか、麗亜は超魂覇術に目覚めた。
九六年の大晦日、闇夜を裂いて空色に輝かせた。
義海は飛んできて、目頭を熱く焚き麗亜を抱きしめた。
『清らかなるこの霊気、大いなるこの閃き……疑いない。そちが開花させたは、神太刀・天之尾羽張じゃ……ありがたや! 気高き大和が祖霊たちよ、よくぞ大和を取り戻さんとす予らのもとへ、八百万の聖を束ねし御剣を遣わしたもうた。嗚呼、ありがたや……』
少女は恩師の腕の中で泣きじゃくった。
努力が報われた。
まる六年かかっていた。
来る日も来る日も木刀を振り、心身を鍛えてきただけではない。
覇術学校でも学級代表となり、日増しに開いていく彼我の練度差に焦る学友たちを叱咤激励し、結束するよう努めてきた。
覇術学校へ入学するのに年齢は問われない。学級内には大人もいる。中等学校で学問を積んできた先輩もいれば、上等学校にて専門分野を修めてきた識者もいる。がらの悪い大男たちもいる。
思いがすれ違い、衝突し、悔し泣きすることは幾度もあった。その度に諦めず、訪ねていって話し合い、会議に諮り解決策を見出してきた。結果、毎年の年末に行われる、それまで学び培った全てを測る試験である学級対抗の模擬戦闘において、三年続けて大将へ選ばれ指揮を執ってきた。
この年ついに、優勝へ導くことができた。
その過程で多くの男子に告白された。
照れくさいが嬉しかった。だが大志を遂げるため、色事にかまけてはいられないと振りきり、丁重に断りつつ、学友として大切に思っていると励ましてきた。以降しょぼくれ続ける人も、逆に冷たくなる人もいたが、ボクは目標に向かって諦めずに努力する人が好きだと鼓舞し、立ち直らせてきた。
全ては、敬慕してやまぬ義海を援け、民が平和で自由な世を築くために。
『これでやっと、殿下の役に立てるんですね!』
『そうじゃとも、よく努力したのう、れあ……』
麗亜は義虎を探る極秘任務へ志願し、姓を偽り、戦場実習生となった。
義虎に諭され、碧に叱られ、妖美に励まされ、今、自分史上最高の一太刀を振り抜いた。
防がれた。