五五 もし穏やかに普通に暮らせたら
全身が痛く息をするのも熱いなか、義虎は己を騙し続ける。
碧と暮らせばどうなるか。
台所が低く義虎では腰が痛くなるという名目で、碧に赤ちゃんレベルで料理させ、毎日からかってやる。ぷっと、頬っぺたを膨らますのが目に浮かぶ。いじめつつも、ここは上手くなったと褒めてやれば、がんばったもん、とご満悦になるに違いない。
__世話が焼ける。
碧はけっこうな甘えん坊である。かまってもらおうと、炊事したくなぁい、掃除したくなぁい、洗濯したくなぁい、と駄々をこねまくるのは間違いない。甘えた声で鳴いて、ぺたんと座り込んで、にまぁとして、連行されるのを待っているのだろう。
__世話が焼ける。
住む場所は、城下の喧騒から離れた田舎がいい。見晴らしのいい丘に広がる野原か、周りから隠れて鳥がさえずるのを聞く森もいい。澄んだ湖のほとりなら小舟を浮かべまったりできる。ドジな碧は船べりから乗り出しすぎて落ちかけるかもしれない。
__世話が焼ける。
二人して買い物に行けば、すらっとして顔面偏差値の高い碧を自慢しまくれる。だが確実におねだりしてくる。駆け引きや色仕掛けはせず、物陰で買って買ってと連呼しぴょんぴょん飛び跳ねられた暁には、はてさて財布を守ってやれるかどうか。
__世話が焼ける。
生計を立てるため兵法や歴史などを教える塾でも開こうか。もの珍しく需要もあるうえに、好みも特技も活かせる。経理は面倒くさいから碧にやらせよう、サボりそうか。教えるのにのめり込むうち、遊んで! が碧の口癖になればどうしたものか。
__世話が焼ける。
さてお待ちかね、家の間取りを熟考しようではないか。
__縁側は欠かせんよ、離れも欲しい、中二階や屋根裏も入れる、どうよ?
世界中の居住文化を取り入れてやる。
まずは一階。
大和国らしく、襖を開け閉めして仕切ったり繋げたりできる畳の大部屋が必須である。一つは寝室を兼ねる居間にしてコタツを置き、一つは客間を兼ねる座敷にして鎧兜でも飾ろう。玄関はその側面に。エル字型に伸びる縁側で繋がる離れは西洋のロメロス国風に造り、暖炉にピアノ、アフタヌーンティーを嗜む食卓でも置けばかっこいい。そこへ張り出す、ワカンタンカ国風にログハウスを模した中二階は、子供部屋にして碧へあげる。
次は二階。
玄関の上はバルコニーに決まっている。そこから連なる座敷の上はムスマン国風に、絨毯とソファーとクッションで埋まる衣裳部屋にするしかない。バルコニー横の浴場は、オリンポス国風に造花で彩る大理石でこしらえれば匂いたってこよう。居間の上は、キャメロット国風にシャンデリアやステンドグラスで演出する書庫にして、それを見下ろす屋内ベランダ状の屋根裏部屋を設け、風格ある義虎の書斎が完成する。
外観にもこだわらねば。
居間に隣接する台所や便所からその上の浴場へ至るまで、七角柱のレンガ造りを施そうではないか。逆側、縁側から臨む庭には小さな池を張って石橋を渡し、石垣で囲う。そして、テラスと煙突を構え中二階まで吹き抜ける離れの上には、バッビニア国風に空中庭園を出現させる。さらに、書庫からそこまで一直線状に、空中渡り廊下を貫けば。
__うぃー、やばい無敵。
全身が痛く息をするのも熱いなか、義虎は己を騙し続ける。
大将軍《雷帝》聞仲。雷獣を召喚する。
大将軍《太公望》姜子牙。畜生道へ幽閉する。
大将軍《鎮国武成王》黄飛虎。武器へ変化する。
将軍《玄武》蘇護。玄武を召喚する。
将軍《白虎》崇黒虎。白虎を召喚する。
将軍《央伯侯》鄧九公。黄色い麒麟を召喚する。
将軍《北伯侯》崇侯虎。黒い麒麟を召喚する。
将軍《南伯侯》鄂崇禹。朱い麒麟を召喚する。
将軍《東伯侯》姜桓楚。青い麒麟を召喚する。
将軍《西伯侯》姫昌。白い麒麟を召喚する。
将軍《恵岸護法》李木吒。信仰を支配する。
将軍《毘沙門天》李哪吒。宝貝を召喚する。
九月十九日。
陽は天頂へ座して見守る。そびえる遼東城の西門へ向かい、黄華国十二将軍が並び立つ。
「城一つを落とすのに、これほどの超級武官が一堂に会するなど前代未聞である」
おもむろに、総大将を担う聞仲が進み出る。
「これはひとえに、敵将《大武神》姜以式、そして彼が率いる敵国・高句麗が強いからである。しかし!」
かっと、聞仲は眼を見開く。
「ここには名高き〈四神〉が出向いておる。また〈五行侯〉は初めて全員が揃い、まさに歴史的な光景を見せておる。さらに我が友であった大将軍《托塔李天王》李靖、その長男であった将軍《前部護法》李金吒の遺志を継ぐ姉妹も仇を討たんと来ておる。そして黄華最高の武威と輝く〈五龍神将〉より半数以上もが出陣しておるのだぞ。これでどうやって負けるというのか!」
「「しかり‼ しかり‼ しかり‼」」
「我らは天子の戦士である! 畏れ多くも天孫などとのたまい、天子の地を侵さんなどと邪なる野望を抱く大逆罪人どもを、いったいどうして許せようか!」
「「しかり‼ しかり‼ しかり‼」」
「高句麗はどうあっても、永劫に草木も芽吹かぬ焦土と化すを免れぬ!」
「「しかり‼ しかり‼ しかり‼」」
「全軍、進撃じゃあっ!」
「「うぉおおおーっ‼」」
「黙れえっ!」
天を震わせ、地をえぐる大喝だった。黄華軍三〇万が、止まった。
大櫓へ仁王立ちする声の主は、揺らがぬ眼光を振り下ろし睨み据える。
大将軍《大武神》姜以式。神威を纏う。
「高句麗は我らが生きる寄る辺じゃ。冒涜するは断じて許さぬ。さあ、大高句麗の傑士たちよ」
姜以式は左右へ呼びかける。
将軍《早衣監》韓殊。加護を授ける。
将軍《馬頭》牟頭婁。馬頭鬼と化す。
姜以式を支えるのは、結晶を放つ《結晶花》李春晶、熊を召喚する《熊女》紅紫蒼、光学迷彩を操る楊輝和、瑠璃瓦を放つ趙璃玉、紙と化す白舞夢。
韓殊を支えるのは、因果を操る《早衣卿》杜祠呉、ばねと化す《早衣尉》網切鍛極疾。
牟頭勇を支えたのは、光線剣を授ける《光剣士》恍魅、感覚を操る淵傑多、石と化す阿石慨。
牟頭婁を支えるのは、竹を放つ《死竹臣》竹竹、森を現す木林森、梅林を育てる木校梅。
さらに一万四〇〇〇と集う兵士たち。
そして高句麗王室を継ぐ、鎧を創る〈太子〉高談徳。
かっと、姜以式は眼を見開く。
「誇らしき我が息子たちよ」
「「壮勇‼」」
「これは父祖伝来の地を護り、気高き民族の心を護り、愛する家族の命を護る戦いじゃ。勝たねばならぬ戦いじゃ。なれば全てぶつけよ。鍛えに鍛えし苦節の幾星霜を乗り越え心身深くすり込ませた、己が戦技を信じてぶつけよ。さすれば勝てる。想いの強さが違うのじゃ!」
「「壮勇‼」」
「勝つぞおっ!」
「「壮勇‼」」
「全軍、攻撃せよおっ!」
「「うぉおおおーっ‼」」
一斉に、三の髄醒覇術が発動する。十五の超魂覇術が発動する。一万四〇〇〇の鎧仗覇術が発動する。
青藍に燃え、姜以式が先陣をきって飛び出す。
すぐさま談徳が筋力を上げ、雄叫びを轟かせて続く。
さらに四〇メートルへ巨大化する牟頭婁が、光線剣を振りかざす恍魅が、石人間へ進化する阿石慨が、四肢をばね化する鍛極疾が、そして脚を紙飛行機と化す舞夢が、野へ降りたち突撃していく。
五〇〇〇を超す矢が放たれ、まさしく豪雨のごとく奔る。そこへ李春晶の放つ六花、趙璃玉の放つ釉薬瓦がこれでもかと交じり、手裏剣となって唸る。加えて竹竹の放つ竹、木校梅の放つ梅が無数に幹を伸ばし、鞭となって暴れる。
「黄華軍はまだ動くな」
ふっと、聞仲は冷笑した。
「武成王、大武神を止めよ。毘沙門、他をことごとく屠れ」
にっと、黄飛虎が踏み出し、哪吒が跳び跳ねた。
「もぉ、ちゃんと毘沙門天って呼んでってば」
「ひっく、上手に片付けれたら呼んでやるよ、ちゃいちゃい哪吒ちゃん」
「うっさいやい、いつまで酒飲んでんのさ、はい没収」
豪快に笑う黄飛虎の目前へ、猛然と姜以式が迫ってくる。
「髄醒顕現『鎮飛虎武王仗』!」
どっと、大木のごとき腕が振り抜かれ、轟音が弾け地面が凹む。
筋骨隆々たる巨躯へ奔る古傷を晒し、下半身を虎の後肢へ変え、尾を長く揺らめかせ、黄色い翼を大きく張り上げる黄飛虎が、腕を鋼鉄の棍棒と化し、斬り込んだ姜以式を受け止めていた。
__馬鹿な!
走りつつ談徳は驚呼した。
__強大な玄武を一撃にして屠る神威を、片腕で止めるというか……。
「髄醒顕現『焱蓮華宝貝仙』!」
はっと、談徳は五〇〇〇の矢の奔る先を見上げる。
「まずはキミたち、ちゃい!」
ごっと、巨大な業火が爆ぜる。
ポニーテールをなびかす顔は三つ、細くも強い腕は八本。ミカン色のチーパオに蓮華の腰布を重ねる哪吒が、空中を走る二つの燃える車輪、風火二輪へ両の素足を立て、火を噴き出す槍と輪、火尖槍と火輪を振り抜いていた。
髄醒状態が生む噴火である。
__あれだけ集った一斉攻撃を全て、一瞬で滅するというか……。
無数の矢も、唸る雪も瓦も、暴れる竹も木も、無残に焼け落ちていた。
「そいでキミたち、ちゃい!」
「来るぞ、囲え!」
弾丸のごとく哪吒が突進してくる。談徳は気を噴き上げた。
全身が痛く息をするのも熱いなか、義虎は己を騙し続ける。
__みど……。
甘えてくれる。たまらない。
頼ってくれる。たまらない。
信じてくれる。たまらない。
助け合って戦地を乗り越え、勝利を掴み取ってきた。授業や修業をしっかり授受しながら、ふざけ合って楽しんだ。二人で旅もして、世界史をも揺るがす大計略を進めている。
十三歳も離れた子供一人に、大将軍ともあろう軍人が依存するのか。
いくらでも頷いてやる。
__みど。
人を捨て、命を捨て、心を捨て、戦と謀ばかりに猛り狂うしかなかった自分にも、ついに、そんな当たり前の幸福をもたらしてくれる子が現れた。安らぎなどあり得ぬと諦めていた。だが心の奥底では恋焦がれていたのだろう。
悲願は叶った。叶っただけではない。
強いからではない。賢いからではない。位高き大将軍だからでもない。奴隷から逃れられぬ境遇に同情するからでもない。そして、風神雷神の縁で結ばれるからでもない。
無条件に慕ってくれる。
__みど!
絶対に碧を離したくない。
護りたい。護らねばならない、ではない。護らずにはいられない。
完治など待つものか。動けるようになれば、すぐさま飛んでいく。
そう奮い立った時、義虎は人の気配を感じた。
「その陣羽織、あなたが《猛虎》大将軍ですね」