四四 大将軍の矜持
義虎は談徳を連れ、敵のいない屋根へ上がる。そして言った。
将軍《白虎》崇黒虎。
召喚獣を放置し、自身とそれぞれ別個に戦っている。弟子の《青龍》竜吉にまで、同じ芸当をこなさせている。そして、実は光線剣に慣れた義虎と、初めて使う身で互角に斬り合っている。
尋常な武将ではない。
「次の城、蓋牟城を囲っていたはこの白虎にござる。本来なれば、殿下はこれほどの豪傑と戦い突破せねばなりませなんだ、仲間も体力も時間もいかほど犠牲となることか。それが今は素通りできる。この機を逸してはなりませぬ、が」
義虎は声を低める。
「白虎は策をくぐり抜け追ってまいりましょう。誰かが残り足止めせねば」
「なぜ!」
えっと、談徳を見やる。
「なぜ、大和のあなたが高句麗のためにそこまでなさるのですか」
「うぃー、助けよと命ぜられたが故、にあらずと気付きました今」
身を粉にして戦うのが当たり前となっていたこともあり、意識していなかった。
かっと、義虎は眼を見開く。
「高句麗を建てたいが故にござる」
紫電一閃、追って斬り付けてくる雷震子の手を熔断する。
極高温で熱する光線剣に斬られれば、傷口は血を噴く暇もなく焼け焦げ、止血される。
南宮適と散宜生が上がってくる。悶絶する雷震子を蹴り飛ばし、南宮適を巻き込み落とし、向かってくる散宜生をいなし返す刀で脚をかすめ、うずくまらせる。
他も上ってくる。突必が散宜生を狙い、黒虎が庇い、恍魅が斬りかかり、竜吉が妨げる。
その間に、義虎は談徳へ向かい合う。
「様々な国を見てまいりましたが、高句麗には大いに惹かれる」
意図せず声が張っていく。
「単に味方であるが故ではござらぬ。強大なる力に虐げられ侵されながら、歯を食いしばり一丸となりて抗い続けるを、己らへ重ねるが故やもしれませぬ。もう敬服せざるを得えぬのです、理屈にはござらぬ、本能がこう叫ぶ」
談徳の眼へ映り込む。
「貴国の気骨が眩しい」
談徳も集中している。
「さような浄土をともに興せ、なんと血沸き肉躍る下命にござろう。それを成さんとする今、我らが最も優先すべきは遼東城を守ること。偉大なる《大武神》大将軍は、そのため欠かせぬと殿下をお呼びになられた。それがしの役目は、さような殿下に要地へたどり着いていただくことにござる。それに《月詠》が申したやもしれませぬが」
ふっと、義虎は笑いかける。
「大和が武士はひとたび決めれば曲げませぬ。それがしは大将軍、さような武士の頂へ立ってござる。こたび高句麗を建国せんとす大和軍総大将を仰せつかりましたれば……」
__それが客将を命ぜられし奴隷の本能なれば……。
「貫徹させて下さりませ」
__うぃー、白虎と一騎討ちしたいしね?
「髄醒顕現『万象天気祚仙』」
高句麗界から遠く南東へ三五〇〇キロ、大和国から開京界へ向かう海原を、粗末な小船が進んでいる。甲板に祭壇が現れ、仙人と見まがう老爺が一心不乱に祈禱している。
薄墨色の髪や髭、衣の端を長くなびかせ空気へ溶かし込み、脚を雲とし、両手を掲げて幾度も拝む。拝するは、高句麗民族の心に宿り地を守護する神話の霊鳥、三足烏を描いた掛け軸である。
大将軍《早衣仙》淵太祚。
談徳より念話を受け、義虎の策へ協力している。
淵太祚の覇術は気象を操る自然種である。
台風を起こす。竜巻を起こす。吹雪を起こす。降雹を起こす。雷雨を起こす。霧や薄明や蜃気楼も起こせば、場所によっては砂嵐や洪水や土石流も起こせる。
だが何より、発動できる時間と距離において他を隔絶する。
この要因は覇術の性質だけではない。
〈開眼者〉という者がいる。
髄醒覇術を心身へすり込ませなお修行を止めず、ただひたすらに高みを目指し、ついに悟りを開き覇術の極致へ達した時、覇力に限りがなくなる。開眼者にとっての覇力は、もはや己の一身より発する人工物ではない。己を包む世界に満ち満ちる自然エネルギーそのものである。
すなわち、気力と命の続く限り覇術を行使できる。
淵太祚は開眼している。
気流に乗せ意識を飛ばし、遠く離れた地へ覇術をかけ続ける。
かつて、こうして旱魃をもたらし敵軍から水を奪い、湿地に長雨をもたらし疫病を蔓延させ、晴天の船戦へ嵐をもたらし敵艦隊を沈め尽くした。
これを知る義虎は、戦場となった土流道を見てほくそ笑んだ。
義虎が企む策を聞き、淵太祚もほくそ笑んだ。
そして黒目を真紅へ染める。三足烏が脚を掲げ鉤爪を開くように、中心から黒く三方へ広がる紋を浮き出させる。中心を薄墨色に溶かし、薄墨色に縁取り、白目も薄墨色に薄める。
〈紅真虹覇力眼〉という。
真価を現す開眼者の眼は変わる。結膜を覇玉の色へ薄め、紅く染める角膜へ黒く瞳孔より紋章を広げる。こうした変容する瞳〈覇力眼〉は、義虎の視力強化をはじめとする覇能でも発現する。だが瞳の外まで影響し、個々人で様相の異なるものは他にない。
特別な眼である。
その特別を尽くし、淵太祚は大気を動かす。
紫の光線剣を閃かせ、義虎は斬って斬って斬りまくる。
味方を食い荒らす猛虎を止めんと、黒虎は朱い光線剣で斬りかかる。
びっと、青い光線剣で斬り付け、談徳が黒虎を受け止める。
そこへ黄色い光線剣で斬り込み、恍魅が黒虎を押しのける。
代わりに南宮適と竜吉が義虎を阻みにいったが、ひとたび斬り合ったとたん、覇気と剣技の格差を突き付けられた。それ以上やれば命を失うと察し、兵を下がらせ遠巻きにするしかなくなった。
__うぃー、上手く時を稼げとる。
乱戦のさなか、突必が抜け出していた。
彼は義虎の策を成すため、談徳から密命を受けている。覇術で強化した跳躍力を駆使し、ぐんぐん南へ進んでいく。
姫叔明が気付いた。彼女は阿石慨の相手を姫叔昇へ任せ、黒虎や南宮適へ伝えに走ってきた。
__させぬ。
「空柳へ柳葉刀をひけらかすとは無礼千万、償いな」
どっと、義虎は疾駆し敵を散らして、姫叔明へ襲いかかる。
ぞっと、姫叔明は懸命に柳葉刀を振り、幾重にも刃を流す。
びっと、義虎は光線剣をかまえ次々刃を熔断し、紫電一閃。
姫叔明、討ち死に。
「姫えーっ!」
南宮適が走り寄り、崩れる体を抱き止めた。
雨が降り始めた。
ぐっと、義虎は談徳と頷き合う。
雨が強まり風も唸る。姫叔明を寝かせ、南宮適が立ち上がり、黒虎も並ぶ。
雨風が激しさを増す。猛虎が飛びかかり、南宮適や黒虎を押し込んでいく。
嵐は怒号し荒れ狂う。将軍も武官も兵士も、まともに戦えなくなってくる。
そして悲鳴がわき上がる。
土砂崩れである。
「うぃー、見たかこれが土流道の策よ」
天から叩き付ける風雨にえぐられ、地名のとおり、山道の左右へ連なる坂から、土が流れ落ちてくる。柱が薙ぎ倒され、扉や屋根が突き破られ、回廊も高楼も呑み込まれていく。両軍の兵たちが、逃げ惑う。
「髄醒顕現『万象加護桓雄』」
高句麗軍だけが、にわかに嵐を感じなくなった。
白緑の霞が広がっていた。雨も風も土も彼らを避けていく。高句麗界で磨かれた覇玉を持つ者のみへ作用するよう練り込まれた、万象を跳ねのける覇術が発動していた。
「誇り高き大高句麗の戦士たちよ、立ち上がれ!」
将軍《早衣監》韓殊。
高句麗界が誇る山岳修行者〈早衣〉を束ねる証として、髪を刈り、黒い薄片鎧を纏う。下半身を白緑のダチョウとする韓殊こそ、この嵐を呼んだ《早衣仙》淵太祚の一番弟子である。
蓋牟城を守りに入っていたが、離脱した黒虎を追い、ばねと化す部下・網切鍛極疾に掴まり北上し、さらに突必と合流し、両者に掴まり加速して到着した。
待ち伏せに適した土流道が戦場になり、かつ距離を縮める散宜生により敵戦力が集うと読んでいた義虎は、遼東城を発つ前に念話を頼み、この師弟と策を示し合わせていた。
「今だ、行くぞ!」
「「はい、太子殿下‼」」
談徳が南へ走る。恍魅は崩れた高楼へ駆け入り、矢を受けた恋人を見付け出して励まし、浮かばせる。阿石慨は冷たくなった友を担ぎ、傷付き動けない友を抱える。淵傑多、牟頭婁が兵を連れ続き、韓殊、突必、鍛極疾が先導する。
南宮適らは荒れ狂う風雨や土砂に捕まり、敵に逃げられていると把握することすらままならない。だが高句麗軍にもただ一人、同じ状態にある者がいる。
義虎である。
__されど、こうも気もちい嵐は初めてだよ?
あぐらをかき、目を閉じ、光線剣を置いて指を添える。
思う通りに戦局を動かし、勝利へ貢献する快感。七つの楽しみをも含有する祭典にして、陶酔してやまぬ民族が必死に熱望する挑戦へ、我武者羅に介入する幸福。それだけではない。
猛虎・義虎は信じている。
白虎・黒虎はこの嵐を突破する。
__うぃー、戦人の本能がうずく、一騎討ちしたい、させてくれるよね⁉
義虎は想う。長く武将をやっていれば、敵が三種類に分かれてくる。
どうでもいい敵。憎らしい敵。好ましい敵。
好敵手ならば、自分に戦わせてくれと笑顔でせがめる。互いの国が敵同士でも、同盟や援軍を求めに家を訪ねていける。昼に全身全霊をぶつけ合ったなら、夜には酒を酌み交わせる。
黒虎はそういう存在になる気がする。
__本名も異名も虎同士だしね?
「髄醒顕現『西護金霊白虎』」
ごっと、猛獣の咆哮が嵐をつんざく。四つ肢を地へ付けたまま体高一〇〇メートル、頭から尻まで二五〇メートルという、山のような白虎が土砂を踏み潰し、風雨を突き抜け、大地を揺り動かして南へ走り出す。
「髄醒顕現『鉄刃空紅戦人』」
紅色に、彗星がほとばしる。
「斬る」
マッハ、天を滑空するかと見えれば、目にも止まらぬ速さで斜めに回転しながら白虎の眉間へ激突し突き倒す。
咆哮からの震動に、談徳たちは振り返る。
「よかったのでしょうか、猛虎大将軍お一人を残してきて」
「大将軍のご覚悟と誇りを尊重しよう」
つぶやく恍魅へ、談徳は頷いた。
「行くと決めた道を生涯揺らがず奔り通す、それが軍人の誇りなり。ならば大将軍とは、その背を見せ、武に生きる全ての同胞へ奔り方を示す師であるのだ。さあ、猛虎大将軍の背をしかと心に刻んでおこう。そして必ずやご意志へ沿い、遼東城を守り高句麗をうち建てん!」
「「はい、太子殿下‼」」
赤き翼を雄々しく広げ、義虎は右に赤い偃月刀、左に紫の光線剣をひっさげ、空へと舞い上がる。
「ここを通りたくば、この義虎を討っていかれよ」
「すまぬが、敵を止めねばならぬのだ。押し通る」
下半身を、黒い翼で羽ばたく白い虎として、黒虎が義虎へと相対する。
ばっと、義虎が偃月刀を引っさげ斬り込み、黒虎が大斧を振り上げた。