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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
終幕、あるいは幕間
119/119

118 幕のおわりに※

 なかなか鳴り止まぬ拍手の中、オーケストラを指揮していたアルムは前列に佇む主従の元に歩み寄り、にこっと笑った。


「二人とも、おつかれ。…よくよく考えたら、私はこのあとも指揮をしないといけないんだった。

 レイン、エルゥを控えの間までエスコートしてあげて。オーケストラでも一曲する。ダンスや晩餐会の演奏もあるから、それまでには戻るように」


「はい、アルム様」


 従者の礼で応えるレインに、今は指揮者(コンダクター)となった歌長(うたおさ)は鷹揚に頷く。ふと姿勢を正すと娘を見遣り、「エルゥ」と呼びかけた。


「はい?お父様」


 こいこい、と手招きされたので、姫君は見目よい父に歩み寄る。すると……


 ふわっと抱擁された。会場内が、演奏とはちがう意味で一段と「ドッ…!」と盛り上がる。


 アルムはゆっくりと身体を離すと、濃い緑の双眸をふっと和ませた。得も言われぬ、包み込むようなやさしい笑顔――愛娘を前にしたときだけの、とっておきの表情だ。


「とても、すてきな声だった……素晴らしい歌い手になったね。私の姫君――かわいいひと」


 そのまま、未だ紅潮おさまらぬ娘の頬に、口づける。


「!」


 会場が一層どよめいた。なぜかご婦人の悲鳴まで方々(ほうぼう)から聞こえる。

 娘はそれらの声を一切遮断し、嬉しげに答えた。


「ありがとうございます、お父様……!では、今度こそ一緒に歌ってくださるんですね?」


 わくわくと、輝くような青い瞳にアルムは相好(そうごう)を崩しっぱなし。


 答えはもちろん、(yes)




   *   *   *




「やっぱり、僕の最大の敵はアルム様ですか…!」


 ぱたん、と控えの間の扉を閉めたとたん、栗色の髪の従者は素に戻った。エウルナリアはくすくすと笑い、結っていた髪をほどきにかかる。

 …が、なかなか手強い。


「まだ言ってるの?それ。懐かしいね」


「懐かしくなんかありません。今も進行中の、最大懸案事項です…」


 レインは主の苦心を見兼ねてか、話しながらも彼女を導いて手近な椅子に座らせた。そのまま、後ろから結い髪をほどくのを手伝う。


 長い指が少女の黒髪をやさしく()くたび、編み込まれた波の跡が残る、柔らかな髪が少しずつ、肩と背に流れ落ちてゆく。


「………はい、終わりましたよエルゥ様」


「ありがとう」


 椅子から立ち上がり、振り返ると、温かな光を宿す灰色の瞳と視線が絡んだ。


 ――…ほどけない。


 姫君は、気持ちを抑えきれなかった。僅かに小首を傾げて小さく「レイン?」と呼ぶ。

 すかさず「はい?」と答える声。


 次の瞬間―――エウルナリアは、大好きな、大好きな従者の少年の胸にみずから飛び込んだ。ふわ……っと、青い衣装の裾と白銀の紗が空気をはらみ、宙で彼女を追いかける。

 レインは束の間、目をみひらいて……ほぼ反射で両腕を差し出し、抱きとめた。


 少女は居心地を確かめるように、すり、と目の前の首筋に額をあてる。背に回された、かれの腕の温かさにとてつもない安堵を感じながら。


「好きだよ、レイン」


「………もう一回」


「大好き」


「まだまだ」


「…よくばりだね」


「どれだけ、待ったと思ってるんです…!」


 憤慨したような物言いには、確かに理不尽さが滲んでおり――もう、我慢できないとばかりに少女は震えだした。「ふ、……ふふふっ…あはははっ!」と、衝動のままに笑っている。

 レインも、言葉ほど怒ってはいない。むしろ――


 ぴた、と笑いを納めた少女は従者の少年の顔を見あげた。ぎゅ、と抱きしめる腕に力が込められている。


「レイン……?」


「足りません。ぜんぜん、足らない」


 すっと、背から右腕が外された。ピアノに似合う長い指がエウルナリアの頬を、耳を、(おとがい)をやさしく撫でる。

 ……ふと、親指が珊瑚色の下唇に触れたとき。少年は、主に訊ねた。


「もう、“エルゥ”って呼んでもいいですか?」


「いいよ、二人のときなら」


 幸せそうに笑み綻ぶ、大切な少女に。

 レインはそっと、唇をかさねた。

 ――呼吸も、時間も止まる思いで。



「………、ですよ、エルゥ」


 ありったけの熱を込めて、赤くなった耳元でささやいた言葉はほとんど吐息。

 腕の中の温度が高い。くすりと微笑(わら)うと、ちいさく身じろぎする気配がしたので少し、力をゆるめた。

 ……愛らしい、青い瞳がまっすぐにレインを映している。


 エウルナリアの白く小さな手。その指が、従者の少年の頬に触れる。引き寄せられるまま、彼女の口許に耳をあてると「…私もよ」と、恥ずかしそうに告げられた。


 今、幸せそうな二人が、二人っきりで居られるのはあと少し――オーケストラの曲が鳴りやむまでの間だけ。それでもいい、と少女は思う。



 そうして再びはじまる、くり返される音楽の時間。


 ―――大好きなひとのピアノと一緒に。

 姫君は、歌わずにいられない。



               fin.












 読んでいただいた皆さまへ



 長いことお付き合いくださり、ありがとうございました。本篇はこれでお終いなのですが、完結後、関連作品をたくさん書いてしまいました。



◆過去篇『湖の精と歌長』(R15)

◆続篇『楽士伯の姫君は、心のままに歌う』(R15、残酷描写あり)

◆外伝『ロゼルの孵化』(年齢制限なし)

◆主に学院でのエピソードを綴った短話集(年齢制限なし)


 過去篇と外伝は低評価ですが、完結しています。

 R15の続篇はただひたすら、突っ走りました……もうすぐ完結です(2020/11/5現在)


 作者名→マイページの作品、または作品一覧へ。

 或いはタイトル上部の青字シリーズ名「とある大陸奇譚」をクリックされても繋がります。

 R15作品は、本篇では書けなかった色々を書かせていただきました。些末ですが、ご案内まで。





 ──これからも皆さまに、よりよい読書の時間が訪れますように。


挿絵(By みてみん)

(続篇のエルゥとレイン、完結のイメージイラスト)


 ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
[良い点]  読み終わりました。ゆるやかなピアノ曲のような少年少女たちの物語を堪能いたしました(*´∇`*)とてもよかったです。  個人的にピアノを習っていたので、声の表現をメゾピアノとかで表現され…
[一言] 今日一気読みしました! 面白かったです!! いやー、レインだと思いつつ、途中、ユシッド様が出てきてからは若干ヒヤヒヤしましたよ!! (だってこう、ちょっと余裕がある感じが!) もうエルゥが…
[良い点] 三番目に好きなアルムさんが主役の「湖の精と歌長 」があるので、すでに続けて読んでいるところです。 他の皆さんの感想が素晴らしくて、私が何か書いてよいものやらとも思ったのですが。 こんな素敵…
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