114 意思を、貫く
“――好きな人に好きと言えないとか、何それどんな拷問?”
十歳のあの日、ロゼルとレインから責められたときに内心で感じたささやかな反発は、今も彼女にとって重要な指針となっている。
あれから六年。エウルナリアは昨年の秋に十六歳になり、晴れてこの春、レガティア芸術学院音楽科の三学年になった。
そして今日―――
「失礼、エルゥ。そろそろ時間だよ」
予め開けてあった控え室の扉を律儀にコンコン、と叩いて報せてくれたのは、同じくこの春、サングリード聖教会の若き司祭となったアルユシッド皇子だ。
長身ですらりと伸びた長い手足。しなやかな筋肉の厚みもある体躯に純白の司祭服をさらりと纏い、金糸・銀糸で星十字の紋様が刺繍された幅のひろい帯状の聖布を肩から掛けている。
みじかく整えられた白銀の柔らかな髪には、縦に長い司祭帽。こちらも星十字の紋様が大きく刺繍されている。
なかば戦に赴くような面持ちで佇んでいた黒髪のエウルナリアは、ふと昂る気配を解き、振り返って淡く微笑んだ。
「はい。ユシッド様」
衣装を、翻す。
纏う色は瞳と同じ、レガート湖の青。数少ない特産の淡水真珠を惜しむことなく胸元にあしらい、飾りとなしている。
裾は床まで。肩に縫い付けられた、妖精の羽のように透ける白銀の布は身の丈より長い。
まるで物語に登場する妖精か、精霊の王女のような―――本当に存在するかどうか、確かめたくなる程のうつくしさ。
いつにも増して目を奪う令嬢に、若き司祭は楽しげに話しかけた。
「きれいだね。最近の君は、星空や朝焼けの暁雲を見たときみたいな気持ちになるよ……じっと見てると」
対する令嬢は、くすりと頬を弛めた。
「ユシッド様こそ相変わらず見目麗しく、詩人であらせられます……ふふっ!おかげで、緊張がとけました」
「緊張…」
ほう、とアルユシッドは柘榴色の目を軽くみはる。
「君でも、するんだね。緊張」
「……しますよ。何だと思ってるんです、ひとを」
どこか、似た者同士な空気感が二人の間に漂う。
――…が、優美な眉を心持ち寄せて、抑えた非難の声をあげるエウルナリアは、瑞々しく生き生きとした魅力に溢れており―――
アルユシッドはつい、本分を忘れた。
「困ったな。人目に触れさせたくなくなる」
近づき、彼女の頬のすぐ横に垂れた一房の黒髪に指を絡めようとしたものの、スッと避けられる。
両横を残し、あとはすべて結い上げ、真珠を連ねたティアラのみで飾った黒髪の主は珊瑚色の唇を笑みのかたちにして、学院の元・先輩である司祭を嗜めた。
「残念ながら、そんなことを仰る方は我が楽士伯家の場合、婚約者や夫に迎えることは出来ません。……司祭様、案内をお願いしても?」
ゆるく首を傾げる、愛らしい令嬢から手厳しい反撃を受けた青年司祭は、ほろ苦く笑んだ。
「――失礼。畏まりました、“姫君”」
エスコートのために差し出されたかれの左手に、成人となった女性の小さな手が委ねられる。
本分に立ち返ったアルユシッドが導く先は、レガート湖の北岸の街、サングリードの聖教会総本部に隣接する懇親のために造られたホール会場。
大陸の、あまねく国家の代表らが会議のために集った場に華を添えるべく、招聘されたレガートの皇国楽士団は五十人編成。
その歌姫として今日。
―――エウルナリアは、公に立つ。