113 それもまた、一つのかたち
「なるほど、な…」
黒髪の令嬢を抱き上げたまま、紫眼の王が訪れたのはキウォン宮の敷地内にある果樹園。その片隅の四阿だった。
時刻は十一時。
陽射しはきついものの、二人とも薄手の夏装束を纏い、周囲は椰子の木陰。石造りの四阿はひんやりとしている。
女官達が葉扇で風を送ろうとしてくれたが、ジュードは彼女らを下がらせた。
開放的ではあっても、余人の立ち入らぬ空間を作ってくれたのだと、エウルナリアは心の裡で感謝する。
手元には、女官が淹れてくれた冷たい紅茶。一晩かけて、水で抽出するらしい。苦味や深みはあまり無いかわりにとてもすっきりとして、どこか甘い味わいだった。
「…で、姫は誰を選ぶべきか、悩んでると。そういう見解でいいのか?」
「はい」
視線を、茶器のなかの紅茶に落とす。
ジュードは向かいの席にはいない。四阿の中心に据えられた長方形の石のテーブルを挟んで、二脚の木の長椅子が置いてある。その一脚に、王と異国の令嬢が並んで座っている。
背凭れがわりの石の壁に寄りかかり、ジュードは話を続けた。
「おかしい話だな。姫の心には、もう決まった奴がいる。それが私じゃないのは非常に残念だが――まぁいい。
なぜ選ばん?私から見れば、其方にも他の男どもにも、苦しいだけだと思うが」
「……父との約束の要件を、満たせていないからです。私か、伴侶が皇国楽士団に在籍していること、と言われましたが。私はまだ公の場で歌っていません。かれも……まだ、一介の学院生でしかありませんから」
手にした茶器を、唇に宛がう。つめたく甘やかなお茶に、癒される。
「では、いつなら言える?其方が公に皇国の歌姫となれば良いのか?」
「……それがおそらく、最低条件かと」
ふうん……と何やら思案する、セフュラの国王は――やがて、悪巧みを思い付いた子どものような表情で、にやりと笑った。
「よし。では私が姫のために、一肌脱いでやろう」
「―――え。ジュード様、なにか、無茶なことをお考えではありませんよね…?」
「大丈夫、大丈夫。任せろ。よし、そうと決まれば動くとするか。……姫、小宮殿のアルムを私の執務室に寄越せ。しばらく協議する。
姫は、従者と遊んでくるといい。街は相変わらずだが、気分転換には良いだろう」
言うだけ言うと、すっくと立ってエウルナリアに手を差し出した。
「約束してやる。……姫が十六になったら、皇国楽士団きっての、とびきりの歌姫にしてやろう。相手の奴も、実力次第だが推挙せんでもない」
「!―――ジュード、様…」
――くしゃ、と顔が歪む。
彼女が知る限り、いちばん大きな手の持ち主。左手をそっと乗せると、呆気なく掴まれ、長椅子から引き上げられた。勢いで、見開いた青い目から涙の粒がいくつか、散る。
「……私、ジュード様のこと、好きです。お妃にはなれませんが……誰よりもお幸せになっていただきたいと、いつも願ってます」
こんなに、想ってくれるひとは、かたちを違えど父くらいだと思う。立場や年齢をかなぐり捨てるほどの気持ちを返せなかったのが、いっそ、申し訳なくなるほどの――
「好きです。ジュード様」
果樹園の片隅の四阿で、異国の令嬢が、美丈夫たる国王に抱きしめられて泣いている。
(…人払いしておいて良かった……)
エウルナリアの柔らかな黒髪を撫でながら、ジュードは景色にそのまま溶けてしまうような、やさしいバリトンで言葉を紡いだ。
「私も、生きている女性では姫がいちばん好きだ――奇遇だな、両想いというやつか」
………ふっと。
涙をとぎらせた少女がジュードの顔を仰ぎ見て微笑った。




