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楽士伯の姫君は、歌わずにいられない  作者: 汐の音
十四歳篇 学院での日々

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108 舞踏の先生と父の思惑

 エウルナリアは、淡い菫色の正装姿のまま、階段を降りた。気は()くが、慌てず優雅に――を心がけて。


 絨毯の上では、足音よりもシャッ…シャッ…という、衣擦れの音のほうが耳に入る。

 エウルナリアの口許は自然と微笑の形に。ただし、少し困ったような表情になった。


 (なるほど、淑女の礼法(マナー)は、こういう動きにくい服装をうつくしく見せるための、(ゆえ)あっての知恵だったのね…納得すぎる)


 静かに一階に降り立つ。

 コツ、コツ…と、真新しい舞踏用の靴の踵が石の床に微かに響く。

 やがてコツン、と止まり、一礼―――紛うことなき、淑女の臣下の礼。

 顔回りの黒髪は落ちてこない。襟足は背に垂らしたまま、今は(サイド)を編み込んでハーフアップにしてある。


 (おもて)は伏せて、しかし背筋は凛と伸びたまま。エウルナリアは鈴ふる声で挨拶の口上を述べた。


「――アルユシッド殿下。ようこそ、おいでくださいました。

 おそらく、貴方が先生なのではないかと思っておりました……(まこと)に、この度はわたくしの至らなさが招いた事態ですのに、ご足労いただき、申し訳ありません……


 …?あの――――…殿下?」


 なかなか返答がなかったので、つい、ちらりと小首を傾げなから上目遣いに確認する。


 暗紅色の瞳と、視線が絡んだ。

 瞬間、ハッと戻る表情。

 白銀の柔らかな髪の青年はゆるゆると、どこか、幸せそうな笑みを浮かべた。


「…失礼、エウルナリア嬢。どうぞ楽にして。足労などとんでもない。役得ですよ――それは、正装ですね。明日の?」


「えぇ。普段まったく着ることがありませんでしたから、試着を………だめ、でした?どこか、おかしいかしら……」


 自信なさげに、みずからの装いを確認し始めた黒髪の少女に、目を丸くした青年は「まさか」と破顔した。


 す、と身をかがめ、右手で少女の左手をとると、指先に掠る程度の口づけを落とす。


 その、一連の自然な流れ。


 予想外の接触と温もりに、エウルナリアは思わずビクッ!と、身体を震わせた。


 ちいさな手から、その震えは青年に伝わってしまっている。何となく恥ずかしくなり、「すみません…」と、口の中で呟くと、更に笑みが深まる気配がした。


「綺麗ですよ、とても。露をまとう花の妖精の姫君みたいに。

 ――どうしようかな、明日はずっと他のパートナーに渡さず、独り占めしていたい」


 きゅ、と少しだけ少女の指を握る手の感触がつよくなる。

 なぜか止まらない動悸に、エウルナリアは困り果てた顔で、右手を心臓のあたりに添えた。顔が、熱い。


「あ……あの…残念ながら、私、踊れないんです。その、不思議なんですが父は、ダンスの教師をつけるのを忘れてたようで……私も、うっかり失念していました」


 アルユシッドは「あぁ、そのこと」と、眉を上げた。


「心当たりならありますよ。以前、歌長(うたおさ)が言っていました。皇宮の大広間で人びとを眺めながらね。『エルゥには、ぎりぎりまでダンスを教えたくないな……その辺の男に、触らせたくない』と」


 くすくす、くすくすと実に楽しそうに笑うアルユシッド皇子の秀麗な顔を、穴が空くほど見つめてから。

 エウルナリアは大きな青い目に涙を滲ませると、内心で思いきり叫んだ。


 (…お、とうさま……の、ばかぁーーーっ!!)


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