5.5話:side M
突如現れた魔王は、想像に反した弱さだった。この世界はいちいち、人の予想を下回ってくれる。
だが魔王も帰還方法は知らず、甘ちゃんの佐奈が魔王に同情したせいで、討伐には至らなかった。その所為で魔王は佐奈に懐いて、ひっついて回るのだから本当にぶっ殺してやろうかと何度も思ったが、その度に佐奈が魔王を庇うから面白くない。
「サナ、何作ってるんだ?」
「おやつのクッキー」
「サナが作るのは何でも美味しいから、それもきっと美味しいんだろうな」
「あはは、それは良かった。でもまだできないから、大人しく待っててね」
魔王を城に連れていくのを躊躇う佐奈に、王子が用意してくれた小さな家。そこに俺と佐奈と、邪魔な魔王の三人暮らし。
普段俺が出ている時は王子が家に居てくれるのだが、今日は誰も居らず、佐奈に抱き着いて肩越しに作業を見つめる魔王を止める者が不在だ。
佐奈も佐奈で、なぜ振りほどかないのか。一度魔王相手に気を許し過ぎだと釘を刺したが、「犬みたいで可愛くて」という流石アホだなと思う事を言っていた。実に忌々しい。本当に、後ろからばっさりと斬ってしまいたくなる。自称神に躊躇いを抑えてもらってからというのも、どうにも殺意がコントロールできない。今ここに剣があれば、本当に斬っていたかもしれない。
「随分楽しそうだな、お前ら」
音が聞こえそうな程速く、魔王が佐奈から離れる。振り返った佐奈は、何ら気にしていないのか平然とした顔だ。
「あれ? 早いね。今日の訓練はもういいの?」
「王子が話があるから家に居てくれってさ。たぶん教会の件だろう」
「あぁ……」
佐奈の表情が曇る。おそらく王子の話に予想がついたのだろう。そしてその結果が芳しくないのも。
俺達をこの世界へと召喚した神と、それを崇める神官たち。その名も神聖教会というが、魔王をぶっ飛ばした後すぐに教会に乗り込もうとして以来、奴らに警戒されている。
佐奈は俺が剣を片手に乗り込んだからだと言うが、実際は佐奈が魔王を連れて行ったのが明確な原因だ。魔王は確かに見た目は人のようだが、頭に生えた二本の角は十分すぎる程に存在感を発揮し、奴がただの人間ではない事を訴えてくる。いくら頭に布を被せようが、全く隠しきれていない。
お蔭で王子も随分苦境に立たされたらしいが、アホは全く気付いていないのだから何とも迷惑な奴である。
俺達を召喚した泉は神聖教会の教会内にあり、そのすぐ傍に王城が建っている事からも分かる通り、この国の王家と宗教は繋がりが強い。そんな所に、敵である魔王を連れていくのだから、本当にアホの極みである。アホの代わりに王子に詫びたら、王子は首を振った。
「魔王の話も、実は本当かなと思う所もあるんですよ。確かに、魔王が復活すると、高位魔法使いが増えるんです。それを教会は国難に対する神からの助力であると言いますが、魔王が魔力をこの世界に呼び込んでいるなら高位魔法使いが増えるのも分かるし、魔王が討伐……完全な死を迎える訳ではないみたいなので、封印、というのですか、封印されると高位魔法使いだった者たちも含めて、皆だんだん魔法が使えなくなるんです。でも、魔物は活発になる」
「……空気中の魔力が薄らぎ、人間の魔力を求めるから、という事か」
「魔王の話が本当なら、そうなのでしょう。魔物は魔王が封印されようが、消えてなくなりはしない。討伐しなければ駄目なんです。確かに、魔王が封印されれば数は増えませんが……。だから、今までの聖女様達がこの世界に残ったのも、それが原因かなと思うんです」
「残った魔物の討伐の為、か」
「はい。そして討伐を終える頃には世界から魔力はほとんど消えていますから、元の世界に帰る道が閉ざされるのかと」
「魔王の話が本当なら、一考の余地はあるな」
「だから僕は、この世界は、人間と魔王が争うのではなくて、共に手を取り合って生きていかねばならない世界なのかと、思ったんです。魔王が魔力を召喚し、人間は生まれた魔物を討伐する。そうやって行けば、マオさん達のように他の世界からの助けを求めなくても、回っていくのかなって……」
「あくまで、魔王の話が本当なら、だけどな」
「今まで、僕たちは教会の言う事だけを一方的に聞き入れてきました。魔王に、意思があるとすら考えていませんでした。魔王は、倒すべき敵。そう教わって、そうしなければならないと、思っていました。でも、それでは、僕たちはまた過ちを犯す」
王子の手が、きつく握りしめられるのを眺めながら、軽く息を吐き出す。王子も、佐奈みたいなタイプのようだ。自分の周りで起きた不幸を、自分が原因だと受け取って過剰に悔いる損する人間。
王子の金髪を、ぐしゃぐしゃとかき混ぜてやれば、驚いたのか大きな目を更に見開いてこちらを見てくるので、軽く頭を叩いてやる。もちろん、佐奈の力は貰ってないので、過去にやったような失敗は起こさない。
「あんたは、きっと良い王様になるんだろうな」
こんな世界、どうなっても知らないと思っていたが、何とかしてやってもいいかなと思うのは、佐奈の甘ちゃんが移ったのかもしれない。