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第38章:深紅の王の玉座

 翌朝、死烏の森の天蓋を貫く光は、青白く病んだものだった。

 俺は吸血鬼らしい早朝に目を覚まし、テントの中で俺の傍らに丸まって眠るミラの姿を見下ろした。狐耳の小さな獣人少女は、昨夜も俺にしがみついたままだった。前の「主人」に見捨てられた恐怖が、まだ完全に消えていないのだろう。顔の痣は、塗った回復薬のおかげでだいぶ薄れていた。呼吸は穏やかだ。


 俺は優しく彼女の髪を撫でながら、小さく囁いた。


「大丈夫。俺がいる」


 ミラは少し身じろぎをしたが、目を覚まさなかった。もう少し眠らせておこうと思い、俺はキャンプを片付け始めた。荷物を馬車に積み、雪竜に餌をやる。賢者が淡く輝く銀の姿で顕現した。


『主よ、腐敗がさらに濃くなっています。深紅黒王の影響が、近づくにつれて強まっています。慎重に進めば、昼頃には廃城に到着できるでしょう』


 俺は頷き、ミラの毛布を直してから、彼女をそっと背中に抱き上げた。動きの途中でミラが目を覚まし、小さな腕が本能的に俺の首に絡みついた。


「リリスさん……?」


「背中に乗っていろ」

 俺は静かで穏やかな声で言った。「この方が安全だ。しっかり掴まって」


 ミラは小さく頷き、顔を俺の肩に埋めた。ふわふわの尻尾が腰に巻きつき、余分な安定を求めてくる。少し震えているのが伝わってきたが、彼女は俺を信じてくれている。その信頼が、胸を締めつけた。

 見捨てられ、鎖を付けられ、死ぬために置き去りにされた少女が、それでも俺にしがみついてくれる。


 俺は馬車を保護ルーンを張った隠し場所に残し、森の奥へ歩き始めた。新しい黒いブーツが霜の地面を軽く踏みしめる。動きやすい黒のパンツとジャケット、首元の深紅のネクタイだけが、この場所でも捨てられない気品を静かに主張していた。


 空気の魔力は、歩くたびに重さを増していく。賢者が感知していた暗黒エネルギーが、病んだ鼓動のように森全体を脈打たせていた。ねじれた根が道を塞ぎ、深紅の葉から黒い樹液が滴る。幹の間の影が囁き、痛みと死を約束しているようだった。


 ミラが背中で小さく声を漏らした。


「大丈夫」

 俺は片手で彼女の脚を支えながら囁いた。「俺がいる。何もお前に傷つけない」


 数時間の慎重な移動――腐敗した魔物の群れを避け、死霊術の罠が仕掛けられた地面を迂回しながら――森がようやく薄れてきた。

 古い城が姿を現す。森に半ば飲み込まれた黒い石の城だ。塔が折れた指のように空を突き、壁には短剣ほどの大きさの棘を持つ蔦が這い上がっている。周囲の空気は暗黒マナで濃密に淀み、油の中を歩いているような感触だった。


 俺は空き地の端で足を止め、城を見上げた。


「ここだ」

 静かに言った。「ミラ、俺から離れるな。しっかり掴まって」


 彼女は腕をさらに強く締め、頷いた。


 壊れた正門をくぐる。中庭は枯れた草と散乱した骨で覆われていた。城自体が、最悪の意味で生きているように感じられた。呼吸し、見つめ、飢えている。吸血鬼である俺でさえ、この場所には寒気が走った。壁が微かに脈打っているように見える。


 本館の廊下に入った。埃と蜘蛛の巣が全てを覆っている。緑色の鬼火が浮遊している。奥へ進むほど、圧迫感が強くなった。


 賢者の声が鋭くなった。


『主よ、前方に敵対的なアンデッド・スケルトンを多数感知。王の意志に縛られています』


「ったく……静かに潜入なんて無理か」


 俺はミラを抱きしめ直し、【虚空歩】を連続で発動した。紅い影となって廊下を疾走する。錆びた鎧を纏った骸骨戦士たちが壁龕から飛び出し、錆びた剣を振るう。俺はそれらを縫うように進み、刃を素早く正確に振るった。首が転がり、骨が砕ける。全てを倒しきる余裕はなかった。源に辿り着くことだけが重要だ。


 ミラが俺の背中でさらに強くしがみつき、目を固く閉じている。


 巨大な両開きの扉を突き破り、玉座の間へと飛び込んだ。


 圧力が、物理的な打撃のように襲ってきた。


 天井を失ったほど巨大な部屋。壁沿いに紅いルーンが輝き、見えない鼓動に合わせて脈打っている。奥の、黒化した骨とねじれた鉄でできた玉座に、深紅黒王が座っていた。


 巨大だ。座った状態でも四メートル近くある。鎧と露出した骨が融合した体躯に、まるで生きているかのように翻る破れた深紅のローブを纏っている。頭には鋭く尖った黒鉄の王冠が載り、悪意の光を放っていた。燃えるような紅い双眸が、俺が入った瞬間から俺を捉えている。

 そのオーラは息苦しいほど濃密だった。古く、暴虐で、幾世紀にもわたる死の蓄積に満ちている。


 これはただの不死の君主ではない。

 この森を長く支配してきた、化け物だ。


 俺は【夜の嘆き】を抜いた。刃が嬉しそうに唸る。ミラは背中にしがみついたまま、震えながらも声を出さなかった。


「背中に乗っていろ」

 彼女に囁いた。「何が起きても、離すな」


 王はゆっくりと玉座から立ち上がった。地面がその一歩ごとに揺れる。傍らに突き刺さっていた巨大な大剣を掴む。俺の背丈ほどもある剣で、刃には悲鳴を上げる魂が纏わりついていた。


 声が、墓石を擦り合わせるような響きで響いた。


「侵入者か……我が領域に足を踏み入れるとは、愚かな」


 俺は剣を構え、バランスのために翼を半ば広げた。


「踏み入れた。今日でお前の腐敗は終わる」


 戦いが始まった。


 深紅黒王は、その巨体に似合わぬ恐るべき速度で動いた。横薙ぎの一撃は、建物を両断しかねない威力だった。俺は【上級跳躍】でそれを飛び越え、【虚空歩】で間合いを詰め、露出した肋骨めがけて斬りつける。


【魂斬り】。


【夜の嘆き】が骨を深く抉り、腐敗した魂の欠片を引きずり出した。王が咆哮を上げ、天井から埃が降り注ぐ。

 彼は空いた手で俺を叩き飛ばした。吹き飛ばされた俺は空中で体を捻り、壁に着地してから反発し、再び飛びかかる。


 ミラが悲鳴を上げたが、強くしがみついて離さない。


【冥界主権:地獄炎の牙】。


 剣から集中した竜炎を放つ。黒と深紅の炎が王の胸に叩きつけ、爆発した。彼はよろめいたが倒れはしなかった。代わりに、俺がいた場所を叩き潰すような斬り下げを放ってくる。


 戦いは死の舞踏となった。


 彼はゾラスよりは遅いが、遥かに耐久力が高い。

 一撃一撃に、幾世紀もの不死の重みが乗っていた。大剣が残す軌跡には、俺に取りつこうとする悲鳴を上げる魂が現れる。

 俺は【支配の糸】で一瞬だけ脚を縛り、【絶対生命支配】で死のエネルギーを吸い上げた。


 効果はあった。だがわずかだ。彼は森そのものから力を引き、瞬時に再生する。


「死んでいるものを殺せるとでも思うか!」

 彼が怒鳴りながら再び振るう。


 俺はそれを避け、【太陽主権:暁の槍】で反撃した。黄金と深紅の光の槍が彼の肩を貫く。骨が砕け、王が苦痛に咆哮を上げて槍を掴み、へし折った。


 戦いは長く続いた。

 俺は速く、適応力が高い。彼は死の要塞そのものだ。背中のミラの重みが、俺が何のために戦っているかを常に思い出させてくれた。負けるわけにはいかない。


 ある瞬間、彼が床からアンデッドの配下を召喚した。骸骨騎士とレイスだ。俺はそれを切りながら、賢者のリアルタイム解析を聞いた。


『主よ、彼の核は肋骨の中央にあります。それを破壊すれば、森の腐敗は徐々に薄れていくでしょう』


 俺は攻勢を強めた。【虚空歩】を連発し、ありとあらゆる角度から斬りつける。綺麗に当てた瞬間には【魂喰い】で本質を削り取った。王の動きは徐々に鈍り、苛立ちの咆哮に変わっていった。


 ついに、隙ができた。


 彼が大きく振った。俺は刃の下を滑り込み、懐に飛び込んで、両手で【夜の嘆き】を肋骨の中央に突き刺した。


【永劫魂支配:完全収穫】。


 刃が深く沈む。俺は持てる全てをスキルに注ぎ込んだ。

 彼の腐敗した魂――広大で古く、数千の苦痛に満ちたもの――が、俺の中に流れ込んでくる。王が絶叫を上げ、城全体が揺れた。体に亀裂が走り、壁の紅いルーンが明滅して消えていく。


 最後の、原始的な咆哮と共に、俺は刃を捻り、引き抜いた。


 深紅黒王が砕け散った。


 体が塵と骨の欠片へと崩れ落ちる。森を蝕んでいた暗黒エネルギーが、徐々に霧散していく。重苦しい圧迫感が、幕が開くように消えていった。


 俺は玉座の間の中央に立ち、荒い息をしていた。全身が埃と黒い汚物にまみれている。

 ミラはまだ背中にしがみついたまま、震えながらも生きていた。


 俺は彼女をそっと地面に下ろし、前に跪いた。


「終わった」

 優しく言った。「もういない」


 ミラは涙でいっぱいの目で俺を見上げ、俺の首に飛びついて激しく泣き始めた。


 俺は彼女を抱きしめ、翼を広げて二人を包み込んだ。


 深紅黒王は敗れた。


 森は、これから癒えていく。


 そして俺は、約束を守った。

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