33 許される日はきません
『死にたくありません!』
今となっては顔は思い出せない誰かの悲痛な声が、エマオの頭の中で何度も繰り返される。
(そういえばそうだった。命乞いをしてきた奴もいたな)
その後、エマオが何をしたか。
一太刀で息の根を止めるのではなく、助けてと涙する男をいたぶり殺した。
(あれは何が理由だったんだろうか。そうだ。たしか、酒場で俺好みの女が部下の男に色目を使っていたんだ。だから殺してやった)
「エマオ様、聞いていますか?」
リミアリアの冷たい声で、エマオは現実に引き戻された。
目の前に立っている元妻は、よく見ると美しい顔立ちをしていた。汚物を見るような目で自分を見つめる視線に快感を覚え、手を伸ばそうとしたが、殺気を感じてすぐにやめた。
(アドルファス殿下がここまでリミアリアを大事にしていたとは……。もっと早く知っていれば!)
「おい、何をボーッとしてる。さっさと、リミアリアの質問に答えろ」
アドルファスの声に怒気が含まれていることに気づき、慌ててエマオは答える。
「もちろん聞いています。あの、部下を助けたかどうかですよね? もちろん助けています」
エマオにとって自分が助かる道は、嘘をつき続けることしかないと思っていた。だが、こんな嘘はリミアリアたちに通じるわけもなく、怒りを買っただけだった。
少しの沈黙の後、リミアリアは静かに口を開く。
「質問を変えます。あなたは戦場で怪我をし、歩けなくなった人を助けようとした人に対して、見捨てるように指示しましたね?」
「そ、それは、仕方がないことだ。そんな足手まといのために、他の誰かが犠牲になるかもしれないんだぞ!」
「それが戦闘の真っ最中なら、自分や他の人の命を守ることに精一杯だったとまだ理解できますが、そうではなかったですよね?」
エマオはその時の状況を思い浮かべた。
(たしか、相手が兵を引いた時だったな。あの男はたしか国内にいたが、ちょうどイライラしていたから、見捨てるように指示したんだ)
どうしてリミアリアがそんなことを知っているのか、エマオは考えずに答える。
「いや。戦闘の真っ最中だった。足を怪我した奴には悪いが、他の兵の命を守るのも俺の役目だ。そいつも理解してくれているはずだ」
「いいえ。理解していませんよ」
「は? 何を言ってるんだ? 死んだ奴の心などお前にわかるわけがないだろう!」
「その方は生きています」
「……は?」
エマオの頭の中で警鐘が鳴り始めた。
(どういうことだ? 民家も近くにない平原に置き去りにしたんだぞ? 歩けないあいつが助かるわけがない!)
「どうしてその方が生きているのか不思議みたいですね」
リミアリアは冷笑すると、エマオに答えを伝える。
「敵国側が捕虜として彼を連れ帰ったのです」
「何だって!?」
エマオは目を大きく見開いて聞き返した。
置き去りにした男を連れ帰ったということは、知らぬ間に国内に侵入されていたということだからだ。
「他の兵士がその人を助けないようにするために、あなたは全ての兵を引き上げさせ、監視を怠ったのでしょう?」
「あ、ありえない」
リミアリアの言ったことは間違っていなかった。負けを悟った敵国がそこまでしてくるわけがないと、エマオが勝手に思い込んでいただけだった。
何度も首を横に振るエマオに、アドルファスが告げる。
「今回は勝ったから良かった。だが、お前は一時の感情に左右され、国民を危険にさらしたんだ。伯爵位を剥奪されてもおかしくないだろう」
「え、あ、いや、その」
「そして、お前は命乞いをした相手を助けてなんかいない。だから、お前に相手の気持ちを知る機会を作ってやる」
「……ううっ!」
(嫌だ。助けてくれ!)
恐怖で声が出せないエマオは祈るように手を合わせ、アドルファスとリミアリアを見つめた。
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どうして、こうなる前に気づくことができなかったのか。
情けない顔をして、自分を見つめるエマオを見て、リミアリアは思った。
(今までは自分の思い通りになると信じて疑わなかった部分もあるだろうけど、両親の育て方もあるのかしら)
リミアリアはエマオの両親とは会ったことがないし、社交界で良い噂は聞いたことがなかった。
「気持ちを知る機会というのは、どういうことでしょうか」
頭を抱えていたエマオが、ゆっくりと顔を上げてアドルファスに尋ねた。
「そのままの意味だ」
「じゃあ、希望はあるのですね」
エマオが笑みを浮かべたのを見て、ここまで都合のいい考え方ができるものなのかと、リミアリアたちは驚いた。
「希望があるかないかは、私たちが決めることではありません」
「……なんだって?」
エマオはリミアリアに眉根を寄せて聞き返した。
「あなたが戦場や宿営地でやったことについては、多くの人から証言があり、被害者の家族にも知らされています」
「お、俺は何も悪いことはしていない! 上官の命令を聞かないほうが悪いだろう!」
「お前の命令は個人的なもので、軍としての方針から外れている」
リミアリアには強気に出ることができても、アドルファスには無理なエマオは、悔しそうに唇を噛んだ。
「エマオ様、いえエマオさん、被害者の家族全員があなたを許せないと言っています。それはそうですよね」
「せ、戦争だ! 戦争には人の死が付きものだ! 殺した相手も敵国と間違ったんだ!」
「投降した相手を捕虜として扱うことは国際条約で決まっており、プリリッツ王国も相手国もその条約に調印しています。たとえ敵であっても命乞いをした相手を殺すことは違法行為です」
「殺されると思ったんだ!」
「そのことについて、多くの目撃証言では武器を放棄していました。中には、武器を隠し持っていないことを証明するために、服を脱いだ状態の人もいたそうです」
この世界では手榴弾などは存在していない。剣や弓矢が主な武器である。
リミアリアに論破されたエマオは、次の言葉が見つからなかった。
「エマオさん、あなたは私があなたを助けると思っていたようですけれど、助ける気持ちなどひとつもありません」
「――っ!」
エマオは声にならない声を上げ、リミアリアを見つめた。
「今日はそのことを伝えに来ました。あなたの処刑は公開処刑になるでしょう。その日が来るまで、どうぞお元気で」
多くの遺族はエマオの死を望んでいる。自分の大切な人がどんな思いをしたか、味わわせたかったのだ。その希望はアドルファスたちの耳に届いており、公開処刑で進める方向になっていた。
リミアリアのお元気でという言葉は、それまでに死なれては困るという意味だった。
リミアリアがアドルファスに目配せして、踵を返した時だった。
ゴツン!
鈍い音が聞こえて振り返ると、エマオが机に額を付けていた。
「お願いです。助けて、助けてください! 私が馬鹿でした! 反省しています! 申し訳ない! 申し訳ない!」
エマオは何度も机に自分の額を叩きつけて謝った。そんな彼にリミアリアは告げる。
「今世であなたが許される日はきません」
言い終えたリミアリアは咆哮のような泣き声を上げるエマオに背を向け、アドルファスと共に部屋を出た。




