獲物を前に舌なめずりする余裕
空に輝く日輪を隠すように、竜の巨体が宙を舞う。
まったくの真っ逆さまに。
そして巨体は重力に引かれるままに、自らの身体を大地に叩きつけた。
破裂音にも似た、凄まじい轟音が響く。
同時に身体を揺さぶる地響きも。
叩きつけられた緑色の鱗を持つ竜の巨体から、内側から突き破るように全身から骨が突きだしていた。
自重を制御できなくなれば、それは当然の結果。
考えるまでもなく、緑の竜は絶命したに違いない。
一方でそれを成したムラタは――
どういうわけか、空中でしゃがみ込んでいた。
「ムラタさん!」
思わず声を上げたのはルコーンであった。
何しろムラタがやったこと――竜を投げ飛ばす――は、無茶苦茶“以上”であるのだ。
その代償が無いはずが無い。
そう考えてしまうのも無理からぬ事。
むしろ当然であるとも言える。
「……ああ、すいません。俺の身体はまったくの無事です。ちょっと申し訳ない気持ちが一杯になってしまって」
だが、ムラタはまさに存在自体が無茶苦茶“以上”であった。
空中ですっくと立ち上がると、ディベータの上から自分を見つめる視線に手を振って見せた。
確かに、身体は無事であるらしい。
「……“蛸足”でもないのに“山嵐”もどきをしてしまうなんて……」
そして、何やら落ち込んでいることも本当らしく、何事かブツブツと呟きながらディベータへと近付いて行く。
「“蛸”? カルパニア領で食されると聞いたことがあるが……」
そう独り言めいた言葉を呟くゴードン。
それに近付いてきたムラタが反応する。
「食うのに地域差があると。その辺りも、なんだかなぁ。しかし他領のこともしっかり勉強してるわけだ」
「こんなもの、勉強……」
反射的に答えながら、ゴードンは今の状況に違和感を覚えた。
当たり前だ。
今は竜種の襲撃を受けて、今も竜種は目の前にいる。
だが――
それだけなのだ。
改めて、ゴードンは状況の把握に努める。
今は……恐らく午過ぎといったところだろう。
天候は晴れ。
空に太陽が輝いている。
目の前の竜種は、6頭。
死んでしまった1頭を数えれば、7頭いた事になる。
――そんな簡単なことさえ把握出来ていなかったらしい。
まず、ムラタと話していたように思える金色の竜がいる。
そしてその周囲には赤茶けた鱗を持つ竜が3頭。
あとは、青い鱗と黒い鱗の竜。
この2頭は、金色の竜ほどでは無いが、一際大きな身体を持っていた。
そこまで確認したところで――
――ゴードンは気付いてしまった。
「ムラタ……あの竜では帳尻が合わない。小さいので済ませるつもりがあったようだが」
ムラタが投げ飛ばした緑の鱗の竜は、この群れの中では間違いなく小型だ。
それでも、十分に領に潤いをもたらすだろう。
しかし、それは……
「え? 1頭で良いだろ? 随分経済効果が良いと効いたぞ。流石の経済動物」
「君は王家以外が富むことを嫌がったんだろうが、もう少しサービスしてくれ。今までだって、随分使ってるんだ。それに見舞金はどちらにしても王家が出すわけだ。ここで潰しておけば、出費が抑えられるぞ」
そんなゴードンの言葉に、しっかりついて行ってるのは当たり前にムラタだけだ。
周りの「ガーディアンズ」はまったくついて行けてない。
そしてそれは、人語を理解するらしい竜種にしても同じこと。
ここでもまた、ムラタを前にしての「絶対平等」が具現化していた。
それについて行っているのだから、ゴードンもまた変異種であるのだろう。
今はムラタを無視するように、改めて配下の領兵に告げた。
「速やかに撤退させるように伝えて。怪我人はしっかりと連れて帰ってるように。亡骸も連れて帰りましょう。慌てることはありません。モディックもその後、ゆっくりと閉めてくれて構わない」
緊急時とは思えない、随分と悠長な指示である。
部下は目を白黒させたが、最終的にはゴードンの指示に従った。
あるいは“命令される”ことが部下の救いであったのかも知れない。
とりあえず混乱から逃げ出す事が出来るのだから。
そんなやり取りを見て、ムラタが肩を落とす。
「あのなぁ……」
「もう、そういうことなんだろ?」
――そういうこと。
つまり、もうこの戦場で人間にはやることが無い。
せいぜいが後始末と行ったところ――その最中に、少しばかり美味しい事があるかも知れないが、それは余録だ。
大事な事は、戦場を“埒外”に明け渡すこと。
それこそが肝要だ。
「……で、どれがいいんだ? 金ピカはダメだぞ」
「いやぁ、それは……」
「俺を相手に言を左右させるなよ」
「じゃあ、目標を左右させよう。青か黒で」
「………」
ムラタは再び渋面を浮かべる。
その隙に……と言うべきか否か。
赤茶けた竜が1頭動き出した。
その足下で、ゴードンの指示で人間達が動き始めたことで、それを許さん――竜の主観的にはそういう心づもりではあったに違いない。
だが、ムラタがそれを許さなかった。
学生服の懐から拳銃を引っ張り出すと、瞬く間にそれを巨大なアサルトライフルのようなものに変化させた。
そして――
ガッヒューーーーン!!
硬質な高い響きが、何もかもを圧倒した。
そして同時に射出された、光の柱。
それが赤茶けた竜の翼に直撃し、そのまま翼をもぎ取り、さらに直進し空へと消えていった。
その全てが、再び周囲を圧倒し静寂へと導くのに十分な光景であるのに、ムラタの表情は晴れない。
「……ああ、やっぱり半端に残るなぁ。面倒だなこれは」
「あれは後で回収させて貰おう」
ゴードンの食いつきに、ムラタの表情がもう一度歪む。
「おい、経済動物共! いいから大人しくしてろ! 人間は忙しいんだよ! まったく体育会系はこれだから……」
とんでもない風評被害をまき散らしながら、ムラタが竜種を恫喝する。
そして竜種達も、今更ながら実感し始めていた。
ムラタの“埒外”っぷりを。
「……それで集めた木の棒はどうするのかな?」
「ああ、まずは所有権を俺に渡してくれ」
「それは取引かな?」
「……おい」
そんな中、“埒外”と変異種が口喧嘩を始めていた。
「冗談だよ。一体何をするつもりなのか……」
「黒にしようかと思う」
「心得た」
そのまま続けられる異様なやり取り。
ゴードンは、集められた木の棒の所有権をムラタに譲ると宣言した。
元の持ち主がゴードンであるという理屈は無いが、管理者であるという理屈は存在していたようだ。
ムラタは、その木の棒を「剣」に変化させる。
これもまた十分に、異様な光景であるのだがすでに異様さは飽和している。
集められた「剣」――ザッと30本程を、ムラタはブルーとキリーに託した。
「それじゃ、これをだな……」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ兄ちゃん」
ムラタに声を掛けられたことで、ブルーが正気を取り戻したようだ。
「あ、あの、太い『雷光』は……」
「あれは魔法じゃ無い。俺の“壊れスキル”の副産物。お前達が夢中になってたゲームと似たようなものだ」
「全然違うだろ!?」
「ところがそうでもないんだ。俺も説明は出来ないんだが」
「そ、それより竜種はいいの?」
今度はキリーが割り込んだ。
正気に戻れば戻ったで、当然の心配事に囚われてしまう。
しかしムラタはまったく意に介さず、
「あいつらは、俺に処理されるように出てきたんだ。面倒だけど、俺の仕事。せめて楽しく仕事をこなそうとしてるのが今の状況――『念動』は?」
不意に放たれたムラタの確認に、キリーは改めてこくこくと頷く。
ムラタはそんなキリー、そしてブルーに頭を下げた。
「それじゃ面倒だろうけど、よろしく頼む。この剣をだなぁ……」
ムラタは、細かく双子に自分がやりたいことを説明した。
双子にとって、それが意味があることだとは思えなかったが、とにかくムラタの欲求に応えることが出来ることはわかった。
「共振」を使わなければならないだろうが、さほど問題では無い。
となると問題は――
「兄ちゃん、これで何がどう楽しくなるんだ?」
――その辺りは確認したくなるのが人情というものだろう。
ムラタは虚を突かれたような表情を浮かべたが、次に真面目な表情で考え込み、
「まずは復讐かな? 特に相手はいないんだが、そういう気分なんだ」
「おい」
「あとは、主張したいことがあって、それの自己満足のため。やっぱりこれも復讐な気がするなぁ」
「…………」
もはや言葉も無い双子。
そんな双子に「じゃ、よろしく頼む」と告げてムラタは、再び空中に足を踏み出した。
かたや竜種達は完全に固まっている。
如何様にもやれることがあるはずなのに、ムラタの正体が掴めぬままでは判断のしようも無い。
とは言え、無闇に肥大した自我が、さらにその心を縛り付けていた。
ビームライフルへの恐怖ももちろんあるわけだが。
そんな竜種達に向かってムラタは歩を進めた。
ここまでは、先ほどと同じ。
しかし今度は、ムラタの周囲を取り囲むように剣達が浮かんでいた。
言うまでも無く、それこそがムラタがブルーとキリーに頼んだ“仕事”である。
剣は切っ先を竜種達に向けて、ムラタに従うように。
そんな光景を見て、ある種の人種はこう発言してしまうだろう。
ゲートなんちゃらと。
だがムラタは、学生服のポケットに手を突っ込みながらこう告げた。
「――これを見て、ゲー○・オ○・バビ○ンしか出てこない情報弱者は滅んでしまえ」
と。




