東の空より来たるもの
決して、警戒を怠っていたわけではない。
元々、ゴードンはその手の油断とは縁が無い。
慎重を心掛けねば、その生涯はもっと短くなっていただろう。
そして、生まれついた足の不具合で“神“に対する不審感もある。
だからこそ気付いた。
――“大暴走”の方向が変わる。
その変化に鮮やかさが“過ぎる”ことに。
竜種が黒幕とも言われていた“大暴走”だが、果たしてその竜種もまた、何者かに操られているのではないか?
そんな疑念が、ゴードンの脳裏をよぎったのである。
で、あるなら容疑者は当然――神だ。
となると、当然思い出されるのはムラタ。
そこまで連想が進めば、次には“大暴走”を予期していた、あの“異邦人”がますます胡散臭くなるのも道理。
そんな思いを抱きつつも、ゴードンはさらに精力的に“大密林”への警戒を続けていたのである。
実際、その働きは大したものであったのだろう。
勝利に浮かれる、部下、そして冒険者達の兜の緒を締め直す。
それも、柔らかな言葉と態度で。
あくまでも慎重に。
自分自身のポリシーは忘れずに。
そんなゴードンの働きは、実を結んだ。
自然に皆の気の緩みは引き締まり、未だ“大暴走”は消え去ってはいないと言うことも思い出したのである。
それにモンスターがいなくなった“大密林”の様子も珍しかったのであろう。
ロームを中心とした、斥候部隊を送り込む計画立案については積極的な意見が出されるまでに状況は回復した。
これなら異変が起こっても十分対処できる。
そう考えたのも無理からぬところだろう。
しかし――
それはあくまで、通常のモンスターを相手にしたときに場合だ。
竜種が恐れられる理由は、その攻撃力の高さ故だと思われがちである。
だが、それが正解の全てでは無い。
恐るべきはその速度。
空を飛び“大密林”を飛び越え、その巨体を容易く移動させるその翼。
それもまた脅威であることを、人類は思い知ることになる。
言ってみれば、地べたを這いずり回っている原始人を相手に、戦闘爆撃機がその力を十全に発揮する。
これが竜種vs人類の端的な力の差であるのだ。
ロームの鋭い目が竜種を発見したときにはもう手遅れ。
竜種は“大密林”の距離を易々と無視して、ディベータに迫る。
その力の差を考えるなら、ディベータもさほどの障害にはならないのであろう。
それでも竜種は、ディベータの前に降り立った。
人類を嘲笑うかのように。
――いや実際に、人類を舐めているのであろう。
必死なって抵抗する領兵。
そして冒険者達。
それらを竜種達は、弄び、ブレスを叩きつけ、そして命を刈り取っていった。
生物としての絶望的な差。
それが人類の士気を喪失させるのに時間はかからなかった。
“大暴走”を打ち破ったことによって、自分たちの力に自信を持っていた。
だがそれは間違いだったのか?
絶大な効果を発揮した、あの矢も。
モンスターを子供扱いにした戦術も。
逆に、それこそが児戯だと言わんばかりに竜種達は薙ぎ払う。
そこには知恵も何も無い。
溢れんばかりの暴力で、ただ蹂躙するだけ。
これでは士気を保てるはずも無い。
しかしここで諦めてしまえば、竜種達は――飽きる。
飽きればディベータを易々と乗り越えて、人類が築き上げた街を砕くことに、その関心を向けることになるだろう。
だからこそゴードンは賭けに出た。
アメリアの制止を無視し「ガーディアンズ」の力を借りてディベータの上へと登る。
持ってこさせた床几の上に腰掛けて自らの身を囮に使ったのだ。
それだけでは無く檄を飛ばす。
実質的には、配下の者達を死地に追いやると理解していても、命令を下すことを躊躇するわけには行かなかった。
そういった事が行えるからこその――“貴族”。
そういった身分にある事を疎ましく思うことが多かったゴードンだが、そこから逃げ出す選択肢は持っていなかった。
そういった貴族の在り方を示さなければ、王国は終わる。
それは予測では無く、確実に起こるであろう未来だとゴードンは判断したのだ。
この場で全滅したとしても、自分たちの行動がギリギリのところで人類の心を支えるに違いないと。
ゴードンは、その卓越した知力でそう判断した。
そんな絶望的な未来を特に感じさせるのが、あの金色の竜だ。
他の竜種とは違って、好き勝手に暴れ回っているわけでは無い。
むしろ大人しいようにも思える。
しかし、伝わってくる金色の竜の印象は――“最悪”よりもさらにマズい。
その性、何処までも傲岸不遜。
そして他の竜種達が、暴れ回るのを悠然と眺めている。
一際大きいその巨体を、金色に輝く鱗を見せつけるように。
ゴードンの登場にも、愉快そうに牙を見せて笑うだけ。
いや、ゴードンを新たな芸事師ぐらいに考えている可能性もある。
そんな金色の竜がその気になれば――
いかな知恵を結集しても、その暴力の前にはまさに蟷螂の斧。
ゴードンはそう予測してしまう。
だが、それでも。
ゴードンは諦めていなかった。
何故ならゴードンは知っている。
出鱈目な男の存在を。
自ら“埒外”と名乗る、計り知れない力を持つ“異邦人”を。
事ここに至っては、あの男に縋るしか無い。
それを伝えるために、ゴードンは無謀な賭けに打って出たのだ。
あの男さえ、現れてくれるのなら――
そんな未来を夢見ながら、ゴードンは必死になって抵抗する。
部下を死地に追いやっても、抵抗を続ける。
折れそうな自分の心にすら抵抗する。
だが、そんなゴードンの抵抗に金色の竜は冷笑を浴びせた。
そして、改めて漆黒の皮膜を備えた巨大な翼を広げる。
死、などという救いを与える事もせず。
ただ、無惨な未来を残してやると言わんばかりに、ゴードンを無視。
それがもっともゴードンを苦しめることになることを金色の竜は悟ったのだ。
そして、ゴードンの絶望を乗せて金色の竜が羽ばたく。
――その瞬間である。
Queeeeee!!!
甲高い鳴き声が、戦場に響き渡った。
□
鳴き声を発したのは、赤い翼竜であるらしい。
その赤い翼竜は、東から戦場に現れようとしていた。
流石にゴードンも、そして竜種達も、その翼竜を視界に捉えようとした。
だからこそ、すぐに気付く。
翼竜の長細い首の上に人影がある事を。
ほぼ、藍色一色の服に身を包み、何やら焦った表情のまま、それでも絶望の戦場に向かうことには躊躇う様子を見せない。
翼竜もそれは同じらしく、ひたすらに真っ直ぐ戦場へと近付いてきた。
これは一体どういう状況なのか?
眷属とも思える竜種にも、わからない。
それはもちろん、人類達にとっても同じこと。
だが、ゴードンは知っている。
それに「ガーディアンズ」も。
あの、人影は間違いなくムラタだ。
どうして東からやってきたのかはわからないが、とにかく見捨てるつもりでは無かったらしい。
その証拠に、翼竜がディベータの上で舞った瞬間――
ムラタは翼竜から飛び降りたのだ。
普通であれば、間違いなく死んでしまうような高さから。
それなのにムラタの身体は着地の瞬間、理不尽に減速して、周囲の空気を吹き上げながらゴードンの横に静かに着地。
その第一声はこうだ。
「……ああ~、ポセイ○ンが欲しい」
――相変わらずである。
□
先ほどまでは、ディベータは確かに死地だったはずだ。
それなのに、ムラタ1人の出現で様相が変わりきってしまっている。
何しろ、こんなに短い時間だというのにムラタがもたらした混乱は桁が違った。
敢えて、その混乱を箇条書きにしてみると――
・あの翼竜は一体何?
・その格好は一体?
・飛び降りてきたとき魔法を使ったように見えたけど、一体いつそんな心得を?
・東から現れたが、その経緯は?
……あたりが妥当なところであろう。
敢えて付け加えるなら「ぽせい○ん、とはなんぞや?」という、限りなくどうでも良いようなことまでが引っかかってしまう。
いや本当にどうでも良いことなのか、それすらも判断出来ないでいた。
その理由は簡単。
・これで自分たちは危機を脱することが出来るのか?
と、ムラタに縋って良いものかどうかが、わからなかったことが大きい。
それほどに竜種が、人間に植え付けた恐怖は根深かったのである。
いかな“ムラタ”でも、敵わないのでは無いかと――
そんな危惧を、ゴードンはじめとして「ガーディアンズ」の面々も持っていたのだ。
しかし、次の瞬間ムラタが発した言葉は――
「あのバカに踊らされた!!」
と、目の前の竜種の事などまったく気にも止めずに、どこにいるのかもわからない女神に向けて悪態をつき始めたのだ。
「まったくあのバカは度しがたい! 逐次投入するならするで、今ドラゴンを差し向けるなら、疲弊してる近衛騎士の方だろ!? せっかく削った戦力なのに、それを無為にしやがって! 近衛騎士を撃破したら、メオイネ領経由して王都にまで届くだろうが! それなのに改めてリンカル領を攻める? 迂回戦術のつもりか? そんなもの、兵が連動してこそだろうが! バラバラな地点に逐次投入しやがって! デュ・ゲクランが泣くぞ!!」
相変わらずの翻訳スキルに無茶振りする言葉の嵐。
しかし、まったくわからないわけでは無い。
ムラタはムラタで“女神”の思惑を読んで行動していたのだろう。
しかしムラタの想像以上に――女神は無能だった。
ある程度、ムラタとコンセンサスを保っているゴードンは、そこまでは理解した。
少なくとも、ムラタがいきなり東から現れた理由は判明したのである。
ムラタは予備兵力として、近衛騎士の動きを注視していたらしい。
だが、その裏をとられたというわけだ。
それを、皆に説明すべきなのはゴードンにもわかっている。
しかし今は、竜種が跋扈する戦場である状況に変化はないのだ。
悠長に、そんな事をしている余裕は――
「おい、経済動物」
ゴードンがそうやって迷っている間に、ムラタが竜種に話しかけた。
その言葉の意味はよくわからなかったが、確実にこれだけはわかる。
――それは思わず竜種に同情してしまいたくなるほどの“侮蔑”の言葉だと。




