果てしない物量
あるいは、ここからがルシャートの戦術家の一面を色濃く現した戦いであったのかも知れない。
彼女は号令を下すときに、
「進め!」
と叫んだ。
決して、
「突撃!」
ではなかったのである。
あとはただ、残されたモンスターの群れとがっぷり四つに組んでの力押しが始まるかと思われた状況で尚、彼女は思考停止を選ばなかった。
それは彼女は騎士――即ち騎兵である事も影響している。
部下も含めて、近衛騎士は皆騎兵であるのだ。
それならばただ1度の衝突に全てを賭ける必要は無い。
すでに“大暴走”は止まっている。
牛の“大暴走”に蹂躙される形で、その勢いは完全に殺されてしまったのだ。
残されたのは、比較的身体の大きな鈍重なモンスターたち。
だが、その質量はやはりバカに出来ない。
それに勢いは無くなったとはいえ、まだ数だけは十二分に残されている。
暗闇の中、その数ははっきりしないが迂闊に飛び込める状態では無いことは確かだ。
では、どうするか?
ルシャートはモンスターの群れの周囲を回ることを選択した。
群れの周囲を巡り、矢を打ち込み、魔法を放ち、削ってゆく。
それがルシャートの採った“戦術”であった。
そしてムラタは、ルシャートがそういった戦術を採用することは知らなかった。
現場指揮官であるルシャートに敬意を払ったのか。
――あるいはこの世界に深く入れ込むことを嫌ったのか。
そのムラタが今の戦場の状況を見れば、恐らくはこう言うだろう。
「これは“巻き狩り”かな?」
と。
この言葉の選択には、異論が出てくるだろう。
しかし“異世界”においては、その可能性は無い。
ムラタが認識している“巻き狩り”とは、1つの目標に対して、その周囲を騎馬で巡り、そのままその死生を決する。
そんな戦術だ。
さらにムラタの認識を詳らかにするのなら、その脳裏に描かれていたのは翻る大きな旗であることは間違いない。
その旗は、巻き狩りの際に用いられていた。
だが旗の意味合いはそこから拡大して行き、軍事上の集団として再編され、ついには国の政策にも反映されることとなる。
所謂、八旗だ。
後金、ついには清を打ち立てた女真族。
その首魁となったヌルハチが整備した制度であるが、流石にルシャートにはそこまでの思惑はない。
何しろ、旗は使用していないのだから。
元よりこの暗闇では、連携のために旗を使ったところで意味は無いであろう。
しかし、この暗闇が有利に働く面もある。
「灯り」の魔法だ。
それも着色された。
夜空に「灯り」が閃く。
一瞬、瞬くだけで良い。
色は、青、橙、そして緑。
それに対して、分かたれたもう一つの騎馬隊から赤い「灯り(ライト)」が放たれる。
ルシャートは、
「続け!」
と号令を掛けて、ゆるやかに方向転換。
すでに「暗視」の魔法は施されている。
やはり彼女の意図はモンスターの群れの外周を巡り、リンゴを剥くように、モンスターを削る事にあるのだろう。
無理はしない。
倒せる敵を順番に。
まずは頭を潰す、などという間違った戦術は決して採用しない。
それは単に「戦場にいる」というストレスから逃げたいがための逃避でしかない。
被害を少なく。
つまりは危険が少ない様に戦うのならば、決して短気を起こしてはならない。
細心の注意を持って、粛々と削り続けることが勝利への近道なのだから。
その上で、ルシャートは部隊を2つに分けている。
これによってモンスターの群れは、安易に逆襲することも、逃げ出す事も出来なかった。
片方の部隊から攻撃を受け、そちらに反撃しようとするならその後背から痛烈な攻撃を食らう。
かといって算を乱して、逃げだそうとしても、その勢いを逸らすように、騎兵につきまとわれ、結局同じところに押し込められる。
そして近衛騎士が連携をとるために輝かせる「灯り」の閃きがさらにモンスター達の追い詰めた。
だが近衛騎士の“巻き狩り”が何もかも上手く運ぶなどと未来は確認するまでもなく――無い。
ムラタの考える女真族の“巻き狩り”を手本として考えるのなら、部隊が2つでは、圧倒的に足りないのだから。
何しろ元は「八旗」。
その源流まで辿っても、4つだ。
やはり、数の面ではどうしても不足する。
何しろ元は“大暴走”なのだ。
結果、必然的に近衛騎士の“巻き狩り”に綻びが生じる。
その綻びから、モンスターが漏れる。
そういったモンスターが“巻き狩り”の外で、戦闘集団を形成することがあるなら――一転、人類は危機に陥る事になる、
オークやリザードマン。
未だに倒されなかった巨人。
大型の四脚獣。その中には火炎を吐き出す個体まで存在している。
確かに“大暴走”がここまで引きずられたことで、モンスター達はその身にダメージを受けている。
だがそれを言い換えれば、モンスター達は全て手負いの獣。
あるいはここまで辿り着いたことでわかるように、実質的に選抜された、その肉体の強靱さにも保証付き。
未だ良く言っても拮抗状態ではあるのだ。
しかし人類の周到さは、ここでも抜かりは無かった。
言うまでもなく冒険者達だ。
“巻き狩り”から逃れたモンスター達を、狩る。
モンスターの多くが、怪我を負い体勢を崩しているのだ。
ほんの一押しで、それらのモンスターを死へと追いやることが出来る。
そして冒険者達は、まったく容赦しなかった。
あるいは、その姿こそ怪物じみていたのかも知れない。
その冒険者の中でも上位者たるアニカが、宝珠の填まった杖から魔法を放つ。
それは“巻き狩り”からこぼれたモンスター達の群れに頭上から覆い被さるように形成された雷の網。
その網に捉えられたモンスターは一瞬にして黒焦げになる。
その魔法「雷網」はアニカのとっておきだ。
漏れたモンスターは手早く“処理”しなければならない。
モンスター達が体勢を立て直して“巻き狩り”のさらに外側に戦闘集団が形成されると、話が違ってくるからだ。
ここで躊躇する理由は何も無い。
だがそんな“とっておき”の魔法を食らっても、まだ息のあるモンスターがいた。
オークだ。
どうやら変異種であるらしい。
そういった個体は時に、他のモンスターを従えることもある。
つまりは指揮官だ。
瀕死の状態とは言え、生かしておくわけにはいかない。
ザシュ!
そのオークの胸から、巨大な剣が生える。
メイルの振るう大剣が、オークの心臓を背後から串刺しに貫いたのだ。
メイルはそのまま“逆胴”のように大剣を切り上げる。
そして剣の自由を回復すると、そのまま足下の四脚獣にとどめを刺した。
そういった“作業”を2人は幾度となく繰り返している。
そして、そういった“作業”に従事している冒険者の数も多い。
王都の、そしてメオイネ領の冒険者達も全力で、この戦いに取り組んでいるのだ。
“報償”によって、強さを実感出来るという高揚感が士気の高さにも繋がるだろう。
そして、今は剥ぐことは叶わないが、そういった旨味も待ち受けている。
だが、それ以上に意義のある戦いに参加出来ているということに充足感を覚えているのだ。
――それがルシャートの指導に導かれた結果であったとしても。
そして同じように指導された領兵達が、牛を送り出す任務を終えて再編に取りかかっている。
彼らの一部が騎兵となり“巻き狩り”に参加し、また一部が冒険者達の“作業”に合流することになる。
だが、大事なのは後方を形成すること。
ほとんどが牛の“大暴走”の前に、挽き潰されたとは言え、僅かに逃げおおせた雑魚への警戒はそのままに、安全地帯を作り出す事も立派な役割なのだ。
それに適しているのは、やはり地元の利がある領兵達であろう。
そしてそういった場所があることで、怪我を負った者達への神官による治療も満足に行えるというわけだ。
また神官達の役目は、ただ「癒やし」を掛けるだけでは無い。
重要な役目としては「精神回復」もある。
これによって、さらに積極的に戦うことが出来るというわけだ。
このように人類はあくまで機能的に、モンスターの群れに対処する。
決して慌てない。
自棄にならない。
自分たちの有利さを実感しながら、飽くこと無い周到さで群れを外側から削り、そして漏れ出した手負いのモンスターを狩る。
そして絶えること無いように放たれる「持続光」。
それによってついにその光が、モンスターの群れの中心部にまで届いた。
その場にいたのは、赤銅色の肌の巨人だ。
変異種である事は間違いない。
光に照らされて、照り返すその肌の輝きはあまりにも金属的である。
その印象が裏切られないとするなら、恐らく生半可な矢は通用しない。
恐らくはファイヤジャイアントと、アースジャイアントの特徴を併せ持ったハイブリッド。
“大暴走”における将軍に似た役割をもっているのではないかと推察された。
そして、そういった個体が、このような巨人が一体だけだという保証は無い。
ついに“大暴走”の全貌が見えたわけだが、それによって果たして人類は希望を見出すことが出来たのか。
――それとも「届きそうも無い」と絶望を見てしまうのか。
丁寧にモンスターの群れを削ることは本当に正解だったのか?
このまま戦い続けて、本当に勝利へと繋がるのか?
戦場から逃げ出してしまいたい。
そんな願いに応えることこそが、指揮官にとっての急務では無かったのか?
いかな策を巡らせるよりも前に、まず優先すべきは戦いを終わらせること。
――それこそが自然な在り方であったのでは無いのか?




