計算通りで計算違い
冒険者達が、ある程度の納得を獲得していた頃――
近衛騎士団団長チェルシー・ルシャートは、天幕の中で床几に腰掛けた状態で、ひたすら届けられる報告を受け取っていた。
行軍中と言うことで、フルプレートでは無い。
彼女自身が主導した通りに、せいぜいがブレストプレートぐらい。
身体を覆うのは、ほとんど革鎧姿であった。
その左隣には、幾分か装飾過多な剣が立てかけられている。
実際の使用にも耐えられるが、それ以上にこの剣は次期国王から兵権を預かっていると言うことを示している。
つまりは報告に現れた全ての者が、この剣の前に跪く形になるわけだ。
命令系統の整理という点で、形式を整えることは重要になる。
だからこそルシャートは、こういった報告形式にいまいち価値を見いだせないままに、それを省く事はしなかった。
あるいは形式に添わせることで、浮き足立つ部下達を冷静にさせるという価値を見出しているのかも知れない。
彼女自身は、形式を厭う自分の感情をムラタの影響だと考えている可能性もある。
「では、少し急がせて下さい。かと言って“ベガ”に無茶をさせるのも……」
「団長。多少は無茶させても構わないかと」
部下の報告に対しての指示を迷うルシャートに、副団長であるハミルトンが助言する。
こちらも武装は、ルシャートと変わらない。
ルシャートの左側に、いささか斜に構える状態で、同じように床几に腰掛けていた。
「時に、必死に働きたいという心境になることもあります。彼女はまさにそんな心境であるかと」
そのハミルトンの言葉に、ルシャートはしばらく検討した上で首を縦に振った。
「わかりました。あるいは夜間の方が効率が良いのかも知れません。ここは現場の判断に任せます……彼女自身がそう申し出ているのですよね?」
「はっ! それは間違いなく」
「ならばそのまま、何処かで寝台を借りられるなら、その手配も。テントでは慣れない身では疲れがとれません」
「承りました」
そう返す部下を下がらせて、ルシャートは一息つくことが出来た。
矢継ぎ早に指示を出す内に、天幕の中に控えていた部下達はほとんど出払ってしまっている。
残っているのは副団長と、神殿から遣わされた司祭が1人だけ。
彼――言うまでも無く司祭のことではあるが――は騎士団に同行している神官達の責任者だ。
謂わば、後方支援部隊の責任者という立場である。
それが現場にフラフラと出ていって即座に連絡できないようでは、言うまでも無くその方が問題がある。謂わば求められるからこそ、この天幕に居続けていたわけだが、当の本人はいささか居心地が悪そうだ。
現場に出て、自ら術を施し声を掛ける事こそが“仕事”だと、その司祭は考えていたからだ。
だが今は、マドーラから兵権を預かっているルシャートに請われて、ひたすら指示出しに専念している。
その過程で、自分の“役目”について気がつくモノもあったようだが、そうなると逆に次々と決断することを強いられる自分の立場に畏れを抱いたのであろう。
それは健康的な精神の持ち主であることの証であるかも知れないが、これから“大暴走”を相手にするとなれば、いささか心許ない。
そもそも司祭は何ら独自の提案をしてきたわけでは無い。
ルシャートの指示に、ただただ認可を与えてきただけなのだから。
だが、交代させるにも……
「あ、あの、“ベガ”さんが疲れているのなら、何か特別な手配が必要になるでしょうか?」
不意に司祭が声を上げた。
それを聞いてルシャートは表情を変えぬままにしばらく沈黙した。
元より“ベガ”を護衛している部隊には気を配っている。
女性騎士に、女性の神官も配置しているのだから。
しかし――
「そうですね。どれほど余裕があるのかは把握しておいた方が良いのかも知れません。お願いできますか?」
「わ、わかりました」
ルシャートの要望に、司祭はすぐさま天幕を出ていく。
これで天幕の中には、ルシャートとハミルトンだけ。
空虚さの増した天幕の中で「持続光」の輝きだけが、一際虚しく輝いていた。
10名は余裕で入り込むことが出来る天幕の中、主を失った床几だけがただただ並べられている。
「……やはり何事も順調には進みませんね」
そんな周囲の光景に虚無感でも覚えたのか、ハミルトンが疲れたように呟いた。
「それはムラタの影響かな?」
「それは間違いなく」
ルシャートの意地の悪い問い掛けに、あっさりとハミルトンは応じた。
何しろムラタと言えば、
「絶対に物事は上手く行くはずが無い」
という題目をひたすら唱え続けているような男だ。
それはまさに狂信的と言ってもいだろう。
その根拠が自分の運悪さへの信頼なのであるから、如何ともしようがない。
否定するにも、励ますにしても、そのとっかかりが無いのだ。
「それでもまだ順調な方だ。メオイネ領の領兵達も随分と従順らしい」
「それは“ベガ”の働きが大きいですよ。まったくあの男は何処まで考えているのか」
呆れたように、あるいは諦めたようにハミルトンは肩をすくめる。
だが、それに対してルシャートは首を傾げた。
「……いや、そこまで何もかもを考えているわけではないようだ。明らかに意表を突かれている部分も現状にはあるようだしな」
ルシャートがそう言うと、今度はハミルトンが首を傾げる。
「となると、奴は運が良い、と言うことに?」
「そう。ムラタ殿は言うほど運が悪いわけでは無いと思う。ここで迷信を口にしても良いのなら――」
「何です?」
「日頃の行いが、運を呼び寄せた」
そんなルシャートの発言に、ハミルトンは目を瞬かせた。
その理屈では、ムラタの日頃の行いが良い、ということになってしまう。
――そんな馬鹿な話は無い。
のであるから、これはルシャートの冗談かと思ったが、彼女の表情は至って真面目だ。
元々、ハミルトンと冗談を交わし合う間柄では無いのだが、それにしても……
「……此度の予定されている戦い方」
ハミルトンは、強引に話題を変えることにした。
それに確認したかったことでもある。
「団長が中心になって計画を立てられたと伺っておりますが」
「……それはどうかな? 確かに大ざっぱなところは私が立案したが、どうにもやり方自体は、向こうの世界でもあったらしくて、随分と感心された」
そう言いながら、ルシャートは皮肉な笑みを閃かす。
その笑みの意味をハミルトンは正確に読み取った。
だからこそハミルトンも、同じように口の端を曲げて見せる。
「どうやらこちらの世界は、ムラタにとっては随分と幼く見えるらしい」
その言葉に対して、ルシャートは言葉を返さなかった。
ただ、表情を引き締めただけ。
しかしハミルトンは、そんなルシャートの変化を無視した。
「それで、どれほどの“忠告”がありましたか?」
「ああ、何と言ったかな? 確か“ざまの戦い”というものが紹介されて、それで修正を加えた」
「ほう」
念のためにまだその具体的な作戦については秘匿されたままだ。
モンスター相手に意味がある行いとも思えなかったが、ルシャートにとっては、この戦いもまた調練の一環なのかも知れない。
「軍としてしっかり動くことが出来るなら、そんなに難しい動きではない。とは言っても、問題は――」
「その軍としての動きですね。会敵地点は予測通り?」
「そう。リガーリン平野。その何処かに布陣することは、間違いない」
リガーリン平野とはメオイネ領の南方に位置する、大平原だ。
当たり前に穀倉地帯として開拓されており、軍としては自由に動きやすくはあるのだが、動き安すぎるのも問題だ。
動きやすさという条件は“大暴走”側も同じこと。
まったく見当外れの場所に布陣してしまうと、悲惨なことになりかねない。
それを防ぐためには十分に斥候を放ち、何より先にリガーリン平野に辿り着いていなければならない。
その前提条件を考えてみると――
「――やはりギリギリですか?」
「そうなる。ギリギリでも何でも間に合えば問題は無いのだが、その時果たして軍としての動きが可能なのかどうか」
「やはりギリギリ」
部下達の前では到底口に出せない結論であったが、首脳部が危機感を感じているのは良い傾向とも言えるかも知れない。
だが、そんな最中にも口に出せないこともある。
それは“大暴走”への対処についてでは無く、その後。
つまりは政治的な問題。
“大暴走”を乗り切った後にやって来る変化。
そしてメオイネ領に待ち受ける運命。
だが、そこまで考えることは騎士の領分では無い。
といっても、ハミルトンがリンカル領に所属する人間である事を示した場合は、それこそ“関係のある”話になる。
ルシャートの場合は――
むしろ積極的にその変化を受け入れるであろう。
あるいは積極的に、さらなる変化を促す事になる。
何しろその変化は、ムラタとマドーラによって画策された変化。
そしてそれは、王国の在り方を変える試み。
「団長! 戻りました。全て滞りなく」
部下の1人が天幕に戻ってきた。
その後にも、ゾクゾクと続く。
それが王国の変化を現しているようだ――
(――とは流石に穿ちすぎか)
ルシャートと並んで報告を受けるハミルトンの目に、自嘲するような光が灯る。
何よりも、そんな先のことを考えるだけでも十分な“油断”だ。
まずは“大暴走”をどう凌ぐか。
――未だそれも確定はしていないのだから。




