戦い終わるその前に
「ディベータに“大暴走”は触れず」
そんな報告が王都中を駆け巡った。
元より、リンカル領から伝えられる報告は、マドーラの宣言通り余さず民に知らされている。
何しろ魔法具による通信手段を持っているのは王宮関係者ばかりでは無い。
隠蔽しようとしても無駄であり、同時に無理な注文なのだ。
だからこそ、全て知らせると宣言した次期国王の判断は最適であり、また同時に悪辣でもあった。
何しろ先ほどの報告にしても“ただ合っているだけ”としか言い様が無い。
確かに“大暴走”はディベータに触れなかった。
だが、その“大暴走”は現在どうなったのか? すでに消失したのか? 王国の危機は去ったのか?
――そのような疑問を覚える者は王都には少なかった。
何と言っても、王都では“大暴走”の報告は公表されるものの、同時に繁栄にも翳りは見せなかったのであるから。
もちろん、それもまたマドーラの指示だ。
――ここで経済活動を縮小してしまうと、リンカル領の復興のためにならない。
この題目もまた真実。
となれば、ここで縮こまっていても仕方の無い話だ。
なにしろ、そういう後ろ暗さを覚える部分は王宮が請け負ってしまっているのだから。
それに「サマートライアングル」が活動を縮小しているのが、丁度良い塩梅で民達の罪悪感を軽減させていた。
だが、その本当の理由を民達が知ることになるのは――まもなくのことである。
□
その時、マドーラはメオイネ公と面会していた。
場所は簡易・謁見の間。
次期国王と内務卿の面会であるから、それほど珍しい事では無い。
いや、何なら毎日顔を合わせているといっても過言では無いだろう。
だが、今回メオイネ公が望んだのは、国事では無く半ば私事による面会希望だったのである。
だからこそ定例会議が行われる午前中では無く、今は午後。
その時間帯に、メオイネ公は面会を申し出たのである。
その部屋で、メオイネ公はどのような形で待っていれば良いのか、それすらも迷っていた。
普通に考えれば跪くべきなのだろう。
だが、これからの展開を考えると、完全に服従するような姿勢を見せるのも問題があるように思える。
だが、決断できぬままに、
「フイラシュ子爵夫人殿下! お見えになります!」
と、侍従が宣言してしまった。
そうとなればメオイネ公も、頭を下げてマドーラを迎えるしか無い。
公爵、と言うことで王家の血を引いていることも確かなのだから、その血筋をよすがにして、儀礼的なものは省略させて貰おう。
メオイネ公は、そう考えて覚悟を決めた。
それに実際、緊急ではあるのだ。
「殿下が、直答を許されます!」
続いて侍従から宣言がなされる。
それは同時に、顔を上げても構わないということだ。
メオイネ公は頭を上げて――そして絶句する。
玉座は、ここ最近魔改造されたままで放置状態だ。それは良い。
マドーラを警護する近衛騎士が四名。
これも当然だろう。
マドーラの横には銀髪の侍女だ。
ここ最近は、マドーラの側を離れない。
決してマドーラのお気に入りというわけではなさそうだが、確実に信頼しているらしい。
その身辺警護の徹底ぶりには、恐ろしさを感じるが、それ以上にメオイネ公を絶句させているのはマドーラの出で立ちだ。
マドーラはすでにドレス姿では無い。
スカジャン姿であり、ジーンズ姿だ。
そこまでは良いとしてだ。
やたらにぶら下げている鎖には一体何の意味があるのか。
そして、玉座において片足を組んでしまっている姿からは明確な示威を感じる。
アッシュブラウンの瞳は、ジッとメオイネ公を見据え、ストロベリーブロンドの髪は高く結い上げられていた。
メオイネ公は、その姿を目にして悟ってしまった。
だからこその絶句。
面会を申し込むことが、一種の奇襲になるのではないか?
そんな目論見もメオイネ公にはあったはずだが、マドーラはそれを察していた。
だからこその、この出で立ち。
あるいはそれが――
「――で、殿下」
思わず縋り付くようにメオイネ公は声を発してしまった。
そして、声を出した以上は続けなければならない。
こんな時、この君主は決して自ら声を発しない。
ただアッシュブラウンの瞳でジッと見つめ続ける――感情を見せぬままに。
「そ、その、ムラタはいかがですかな?」
その質問はメオイネ公にとってまったく無為なものでは無い。
実際、ムラタの姿が見えないことが、今回の問題を深刻化させていることは確かなのだから。
だが、マドーラは少し首を傾げただけで、あっさりと答える。
「部屋にいます。私には1人でやれ、と」
「そ、そうでありましたか。部屋に……」
当たり前と言えば当たり前の話ではある。
確定では無いが、ムラタの姿が王宮内にも王都でも見かけることが出来ないのなら、あのマドーラの部屋にいると考えるのが普通だ。
だが、果たして“普通”であることが正しいのか。
この危急の折に。
「公の面会理由は“大暴走”についてですね」
マドーラがあっさりと、メオイネ公の急所を突いた。
それによって、メオイネ公が再び絶句した所で、珍しくさらに積極的マドーラは言葉を継ぐ。
「全て、聞いていますし、動きも把握しています。リンカル領は避けて、今現在メオイネ領に向かっていることも」
「殿下!」
主君の言葉を遮る。
あってはならぬ、メオイネ公の振る舞いであった。
だが、それでマドーラの気分が害されたわけでは無い。
いや、むしろこれで気分が害されたのだと思えた方が幾分かマシであったのかも知れない。
マドーラは全てを把握した状態で……
「我が領に犠牲になれと?」
メオイネ公が叫ぶ。
だがマドーラは平然と問い返した。
「私に“大暴走”の方向を変えろ、と?」
「い、いや……」
流石に、それば無茶な要求である事はわかる。
だが、その無茶を押し通してきたバケモノが、マドーラの近くにいるではないか。
メオイネ公はそう主張したかったに違いない。
またそれは、メオイネ領の主として当然の権利でもあった。
そして内務卿としても看過できない報告である。
――“大暴走”メオイネ領に来襲せり。
などという報告は!
しかしマドーラには慌てた様子が無い。
あるいはそれが、ムラタが動いているという証明であったかも知れないが……
「公。私からも質問、構いませんか?」
不意に、マドーラがメオイネ公に尋ねる。
それを拒否する権限はメオイネ公には無い。
「はっ……なんなりと」
こう答えるしか無い。
「この度、リンカル領では見事“大暴走”を退けましたが――」
そこからして作為があるのでは無いか?
と、今更ながらメオイネ公は疑い始めたが、現状としてはそういう理解になってしまう。
メオイネ公は、頷くしか無い。
「――となれば信賞必罰に則って、褒美を与えなければなりませんか?」
信賞必罰。
その言葉をマドーラに教えたのはメオイネ公自身だ。
そして、生徒は確かに優秀だ。
問われて、メオイネ公は始めて気付いたのだ。
“大暴走”がもたらす変化に。
当然、褒美を与えるべきだろう。
それはリンカル侯に対してでは無い。現地で指揮を執った世嗣に与える事も出来る。
そうなれば必然的に、侯爵位の譲渡が促されることになるだろう。
つまり――王宮からの現リンカル侯の排除が達成されることになる。
そこまで想像――いや、政治上の力学を用いての予測がメオイネ公の脳内で成立した時。
メオイネ公は、それと同時に複数の疑問に答えを見つけ出していた。
そして戦慄する。
自らの立場の危うさに。
「公?」
短く、マドーラは再度メオイネ公に尋ねた。
まるでとどめを刺すように。
だが臣下である以上、それを拒むわけにはいかない。
そう。
メオイネ公に残された選択肢は、果たして残っているのか。
「……左様ですな。褒美は必要になるでしょう。金銭的な面はさほど必要な相手ではありませんが、少なくとも名誉の面では」
冷静に。
あるいは機械的に、メオイネ公は満点の答えを返す。
しかし、マドーラの追撃は止まらない。
「それでは、騎士団長にも必要になりますね」
「は? ……ああ、そうですな。彼女は“大暴走”への対応のために――」
リンカル領に向かっていた。
――はずだ。
だが、今彼女はどこにいるのだ?
兵権はマドーラから預けられた。
だがそれは……
メオイネ公は歯がみした。
どこからだ?
一体どこから、この状況が見越されていた?
今、マドーラは「騎士団長にも褒美が必要だ」と判断している。
だが、それはリンカル領において“大暴走”に対抗したからこそ与えられるものでは無い。
彼女は、これから立てるべき手柄への対応をどうするべきか?
そう尋ねているのだ。
となれば必然的に――
「近衛騎士団長は……我が領に……」
「はい。そのように計画――そんなような言葉でしたね。よく覚えてはいませんが」
それはきっと、戦略、という言葉であったのだろう。
だとすれば、また疑問が元に戻る。
――一体、どこからなのか?
そんな疑問に。
だが、それに答えは出ないまま、あらゆる情報が脳内で渦を巻く。
カルパニア伯の提言。
メオイネ領の作物。そしてそれに関わる経済事情。
それが噛み合ったとき見えてくるのは、王家からメオイネ領の民にたいしての干渉。
それも、優しい形での。
干渉が発展すればその先には――
「公。これで、今回の面会の目的は達せられたはずです」
突然にマドーラが断言した。
メオイネ公の目的は果たされ、それ以上行動する必要は無い――行動してはならない、と。
未だ、ムラタの影はある。
今の状況を作り上げたのはムラタであろう。
だがマドーラは、その本質を理解し始めている。
王家。そして貴族の行く末を。
そしてメオイネ公は跪いた。
――マドーラに対してでは無く、己の運命に対して。




