追撃の果てに
「“大暴走”の向きが変わったら追撃に移行してください」
それがゴードンの指示であった。
そして実際、方向が変わったのであるから、それに逆らう理由も無いのである。
さらには神官職による回復まで施されているのだ。
これではゴードンの命に逆らう方が難しい。
実際、冒険者にとっても、この状況においてはモンスターを“狩る”ことも当然の流れなのだ。
ゴブリンのような雑魚はともかく、オークのような中型モンスターでさえも、今なら容易に狩る事が出来る。
何しろ相手は戦意を無くし、ただただ逃げ惑うだけ。
「睡眠」を掛けておいても、モンスターが起こすことも無く、ただただその場に置き去りにされるだけ。
その上、ここはモンスター達の縄張りでは無く、ディベータの前であるからには、ここは人類の縄張りと言っても良いのだから。
では改めてゴードンが改めて追撃を命じたのは何故か?
そこには先を見据えた戦略――あるいは政略としての思惑があるからだ。
この絶好の機会に“大密林”からモンスターの脅威を除くことが出来るなら、開拓も随分と容易になることは間違いない。
そういった機会であるのに、
――「逃げる相手に攻撃を加えることは出来ない」
などという、自分の感情を優先させるような行いに出られては問題があるのだ。
だからこそゴードンは為政者として、そして貴族として、そういった“汚れ仕事”の責は自分が預かると宣言するために、追撃を“命じた”わけである。
もちろんゴードンの思惑をまったく汲み取らずに、武人の誇りだ何だと声高に叫んで追撃を拒否する者も現れてはいた。
だが、ここでも領兵の大半はしっかりと追撃に移行している。
それに「ガーディアンズ」をはじめとする最高位の冒険者も、迷わずに協力した。
彼らは知っているのだ。
最高位であるからこそ“大密林”の恐ろしさを。
そこに生息するモンスターの恐ろしさを。
つまり、そんな風に謙虚であるからこそ、この機会の貴重さをより深刻な意味で体感できるのである。
モンスターを決して侮らないからこそ、彼らは決して手を抜かない。
積み重ねた自らの力、魔法、経験。
それに加えて、装備や道具、それに金を惜しみなくつぎ込み、敗走するモンスターの群れを蹂躙するのである。
そんな大規模な“大暴走”に対する人類の反攻作戦。
果たしてそれが、終わるときは何時なのか?
それもまた指揮官たるゴードンの指示があるはずなのだが……
□
モンスターへの追撃は、夕刻になるまで続いていた。
すでにモディックは開け放たれている。
そこから繰り出されるのは騎馬だ。
騎士達はそれに乗ってさらなる追撃を行おうとするし、それは冒険者達も同じこと。
騎兵として、その衝突力を必要としたため、という理由と、単なる移動手段として必要だった、と異なった理由ではあったが、それは些細な違いと言っても良いだろう。
だからこそ追撃もそろそろおしまいになるという見解も一致した。
流石に夜を徹して行うのは危険だ。
そもそも“大密林”への警戒を、これで緩めるわけにはいかないのだ。
ゴードンもその辺りは弁えている。
追撃が必要であったとしても、それを無限に行えるわけでは無い。
どこかで切り上げなければならないのだ。
「――サー・ゴードン。切り上げさせましたが……」
それでも追撃を指揮していたザインの言葉には未練が見え隠れしている。
これ以上の追撃には戦略的にはほとんど意味が無い。
あるとすれば政略的な意味合いだが、ザインはそこまで考える必要は無いであろう。
つまりは単純に、戦いに興奮しているだけ。
冷静沈着で知られるザインがこの有様であるから、多くの冒険者達は決して追撃をやめないことだろう。
それでも領兵達は、しっかりとゴードンの命令に従っている。
当たり前の話と言えば、その通りなのだが、この辺りはゴードンの力でもあるだろう。
その中には、早々に追撃の“独自の判断”で止めてしまった者達もいるのだが、それらにはゴードンは別の任務を与えている。
果たしてそれが“武人の心”を満足させる任務であったのか。
はたまたゴードンが、厳命したのか。
彼らは再び“大密林”の奥へと進んでいる。
そのゴードンはモディックを出た場所に天幕を張り、そこを臨時の前線指揮所として、追撃部隊の指揮を行っていた。
ディベータの中にいては、考えるまでもなく視界が悪い。
かと言って、上に登るのもゴードンの足では一苦労だ。
となれば兵達の士気のためにも、こういった場所に指揮所を設けるのが適切なのだ。
……即座に逃げ出す事が出来るという点でも。
そんなわけではあるがゴードンは武装しているわけでは無い。
平服とさほど変わらない出で立ちで、流石に疲労が浮かぶ――いつも通りではあるのだが――面差しだった。それでも作戦の成功のためか、同時に喜色も窺える。
そんな、何とも表現しがたい雰囲気を漂わせていた。
実のところ、同時に“大密林”への偵察も指示しているのだから、ゴードン自身、自分の感情を掴みかねているのかも知れない。
ただ鍛え続けた自らの知力が指し示すままに、それでも兵達に納得させるだけの指示を出し続けていた。
そこに報告に現れたのが、完全武装状態のザインというわけである。
潤沢な資金で特注させた鎧であるから、血に汚れていてもまだ余裕があるのだろう。
上げた面ぼうから覗く顔に、汗が浮かんでいても問題があるはずも無い。
だが、そんなザインにゴードンははっきりと追撃停止を命じた。
それどころが頭まで下げる。
「すまない。これは私のわがままだ。君達の仲間を便利使いしてしまっている状態だからな。だからこそ、君達には無茶をさせられない。それに万が一、ロームの救援に向かわなければならないとするなら……」
そこまで説明された事によって、ザインの表情に冷静さが回復した。
ロームは現在、ゴードンからの依頼によって最高位達からなる斥候部隊を編成。
“大密林”へと偵察に赴いている。
後続は結局の所、前方の部隊の動きに引きずられることが多い。
即ち“大暴走”の方向が変わったからには、新たに押し寄せてくるモンスターの群れも、その方向へと向かう――と予測された。
あくまで予測だ。
その予測が、実際にはどうなるかはわからない。
はぐれてしまったモンスターの一団が、やはりディベータへ向かう可能性もまた、無理な“予測”ではないのだ。
となれば、やはり偵察行動は欠かせないし、強力な個体がここに向かってくる可能性を考えて、警戒を続けねばならない。
それに加えて“大暴走”の方向が、どのあたりから変わったのか?
この辺りを突き止めることが出来れば、万々歳だ。
もっともそれを突き止めるためには、“大密林”の深部へと踏み込む必要もあるだろう。
いくらモンスターが一掃された状態とは言え、その場を動かない植物系のモンスターも存在しているし、他の危険も予想できる。
そういった危険な場所へ偵察に赴き、十分な情報を掴んで帰還するとなると、それはやはり手練れの冒険者の助けが必要なのである。
だからこそ、偵察にでた部隊を助けるための準備も万端でなければならない。
熱に浮かされたように殺戮に酔っている場合では無いのだ。
そういった現実が、ザインの脳を冷ました。
瞬間、パーティーメンバーの現状を頭の中で確認。
熱に浮かされてはいても、ザインはしっかりとロームを除くパーティーメンバーの行動は把握していたようだ。
ほとんど無意識のままに。
ルコーンは元々、ディベータからは遠く離れてはいない。
サムとはザインがコンビを組む形で、モンスターの後背に突撃。
それは単に、殴り行くためでは無く、ブルーとキリーによる魔法攻撃をさらにモンスターに有効に行うためだ。
簡単に言ってしまえば、敵の真ん中で魔法を爆発させた方が、どれほど効率的か?
わざわざ説明するまでもないだろう。
ザインが、一時とは言え冷静さを欠いてしまうのも仕方が無いとも言えるが――確かに、どんな物事にも潮時というものがある。
補給のためにディベータ前に帰還し、ある程度落ち着いた今こそ、ロームの安全の為にも余裕を持たなくてはならないだろう。
今度は逆にザインが、ゴードンに頭を下げた。
ゴードンも、黙ってそれを受け入れた。
「……とは言え、ブルーとキリーはまだゴネそうだけどね」
「それは俺の役目ですね。流石にサムは落ち着いてくれるでしょう……まったくパーティーリーダーとして恥ずかしい」
「私が言うのもなんだけどね。こればっかりは仕方が無いよ。これほどの大勝、それこそ記録ですらも読んだ覚えが無い。私も大声で叫び出したいぐらいだ」
そう言いながら、床几に腰掛けたままのゴードンが諸手を挙げてみせる。
ザインが、それに対して面ぼうの奥で笑みを浮かべた。
とにかくこれで一段落。
あとはロームが……
「ローム達が戻りました」
絶妙のタイミングで、ルコーンから声が上がる。
「報告を聞きたい――いや、先に身体は大丈夫なのかな。ひどい怪我は……」
「大丈夫」
そんなゴードンの声を遮るように、ローム自身がその場に現れた。
しっかりと革鎧を身につけた上で、しっかりと偵察活動に即した出で立ちだ。
だがそれよりも気になるのは。ロームが放つ臭い。
決して気持ちの良い臭いでは無いが、この場にそれを厭うものはいない。
ゴードンなど逆に身を乗り出した。
「無事で何より。他の二名は……」
「体力の問題。私が無理をさせた。だから報告もわたしだけ」
「わかりました。お願いします」
ロームはこくりと頷くと、改めて口を開く。
「ディベータに近付いている危険なモンスターはいない。“大暴走”の方向が変わって地点は掴めなかった。未だに続いているなら、かなり奥の方」
簡潔にして要点を押さえている。
報告としては十分だろう。
これで警戒を続けるとしても、休息を命じることも可能となる。
明らかに、一安心出来るだけの条件は満たした。
――はずなのだが……
「サー・ゴードン?」
ルコーンが、そう声を掛ける。
しかし、ゴードンはそれに対して答えなかった。
むしろその呼びかけを無視するように顔を上に向けると、何事かを呟いた。
「………………仕業か?」
辛うじて聞き取れたのは、そんな言葉だけ。
ザインとルコーンは思わず顔を見合わせたが、それきりゴードンは黙り込んでしまった。
――それでも指揮だけは間違いなく執り続けはしたのであるが。




