女神の御心のままに
やはり、それは「飽和」と表現するしか無いのであろう――
かつて、
「一頭の象を殺す事と、一万の蟻を殺し尽くすことのどちらが難事か?」
と、問いかけた将が存在した。
もちろんこれは嫌味だ。
まともな想像力を持ち合わせている者なら、この問い掛けにすぐさま答えることが出来るだろう。
「蟻を殺し尽くす方が難しい」
と。
そして今、ディベータの前で殺戮されている雑魚モンスターは、確かに蟻よりは強い。
数も果たして、一万で済むのかどうか。
“大密林”の奥からはまだまだ群れが現れてくる。
ゴブリン、コボルト。
さらには狼をはじめとした四足獣に、話がややこしくなるが身体の大きな昆虫モンスターも、その群れの中には含まれている。
この辺りを雑魚として、やはり目を引くのは極彩色の毛皮を目印にした肉食獣。
武装しているオークや、あるいはリザードマン。
恐らくは“大密林”の奥で、それぞれが種族ごとに集落を営んでいたのだろう。
だが、それらも根こそぎ動員されているようだ。
このぐらいのモンスターを、領兵達もいちいち処理していられない。
恐らく、こういったモンスターを統率していたのはトロールなどの巨躯を誇るモンスターだったのであろう。
そちらを優先して処理していけば、必然的にオークを代表とする中型モンスターが“大密林”からあふれ出してしまうのだ。
最初は雑魚モンスターであると言うことで、人間側もさほど苦労していたわけでは無い。
適当に範囲魔法を放ち、目の前に現れるモンスターを撫で切りにしていれば、自動的に片付いていたわけである。
もちろんそれが、全て上手く行っていったわけでは無い。
油断して、深手を負う者も現れる。
だが、それも神官職の働きによって、すぐに戦線復帰する。
それは当然の現象であったのだが――彼らにはやはり足らなかった。
“大暴走”という現象に対する覚悟の量が。
何時までも湧き出してくるモンスター。そして後から現れるモンスターの方が強力な個体である事が多いのだ。
だが強力であるからには、数が少ないはず……そんな経験則に、希望的観測が混ざらなかったとは誰にも断言出来ないだろう。
モンスター達の断末魔の叫びが響く。
――そこに人間達の、慟哭が混ざっていないと誰に断言出来るであろうか?
血煙がまき散らす、すえた臭いが嗅覚を灼く。
――そこに、恐怖のあまり失禁した尿の臭いが混ざっている事は、もはや必然。
雑魚は雑魚であるが故に、いくら殺し尽くそうとしても、いつまで経ってもその数を減らさない。
そこに、中型モンスターが混ざるようになる。
そうとなれば、もう人間達には余裕がない。
いや、すでに自分たちに余裕があるとか、ないとか。
そんな状況判断が出来るような状況では無い。
“大暴走”を退けるなどと、そんなお題目など、とうに忘却の彼方だ。
――ただ生き残る為。
そのために剣を振るい、槍をしごき、斧を打ち振るう。
弓を引き絞り、魔法を放つ。
連携?
そう見えるモノは確かにあった。
しかし、それもまた“生き残る”ため。
ただ、そういった利己的な動機が、仲間を守る。
そこに見え隠れするのは、原始的な自己防衛本能。
人間が積み重ねてきた、叡智の欠片は見え無い。
その姿は、もはやモンスターの群れと大差は無い。
ただただ本能に従って、互いにつぶし合うだけ。
そんな光景こそ、まさに“大密林”の拡大――“大暴走”がもたらすべき未来。
やがてはそれはディベータにも届き、全てを飲み込む。
――それこそが自然の形なのかも知れない。
いや。
この状態はおかしい。
ムラタであれば、こんな光景を前にしても疑問を抱くであろう。
そして難癖を付ける。
「生存本能が優先されるのであれば、この状況では戦いに発展しない」
と。
だが、世の中の全てには決まりがある。
それは異世界においても変わらない。
かつて数学者オイラーが発見したように、世界には決まりがあるのだ。
つまりここまで戦い続けるのであれば、その奥には生存本能以外の理由が含まれていなければならない。
――それが世界の決まりだ。
何もかも混沌に帰すような戦いの中で。
人とモンスターが入り混ざった、血の臭いで彩られた風景の中で。
ついには中天に掲げられた日輪の下で。
そこには確かにあるのだ。
戦いを強要する何者かの意志が。
果たしてそれを悪意と呼ぶべきか否か。
まだ、そこまでは判明しないであろう。
しかしそれが自然な形で無かったとするなら――確実に、人間は付け込む隙を見出す。
あるいはそれこそが“自然”であるのかも知れない。
そしてこの戦いは、随分前から“予測”されていたのだ。
その対策を考えないはずが無い。備えないはずが無い。
そして、そのための一手が――
グゥワゴーーーーーーーーーーーン!!!!
――戦場に響き渡った。
□
種を明かせば、それは適当な楽器を打ち鳴らしただけの音だ。
太鼓でも良いし、あるいは弦楽器の弦を一斉に切った音であるかも知れない。
それを「共振」によってさらに増幅し、戦場にその音を響かせたのは、説明するまでもなくブルーとキリーだ。
行った場所は、ディベータの外。
戦場を北西から臨む位置にある、臨時の柵が設えられている道だ。
だからこそ2人の周りには領兵達の姿もある。
心得のある者は「震音」の魔法も重ねて使った。2人の「共振」に合わせる事によって、半ば固体化したかのようにも錯覚できるほどの“音”の塊を戦場にぶつけるのだ。
その音は、戦場を席巻した。
モンスターも人間も、区別すること無く、そして委細構わず。
だがそれでどうなるという物でも無い。
音を有効な攻撃手段として扱うには、戦場はあまりにも猥雑すぎた。
だからこそ、人間達の準備はこれで終わりでは無い。
聴覚の次に刺激するのは、嗅覚。
それは王都から送られた物が含まれる、モンスターを遠ざける匂い袋が放つ臭い。
そしてロンバルドに飾られていた竜の骨を砕き、あるいは焼き、あるいは煮詰める事によって抽出した、支配者の気配。
それを風の魔法でもって戦場に送り込んだのだ。
これで人間とモンスターの間に明確な区別が行われることとなった。
人間からしてみればただただ不快な臭いであるだけだ。
それも、このような血腥い戦場の中では、どうと言うことは無い。
ここで清潔さにこだわれば、即ち死だ。
だがモンスターはそうは行かない。
まず、その臭いには耐えがたい“恐怖”がついて回る。
単純に“逃げ出したい”という欲求が、身体と、そして精神を刺激するからだ。
それを自らの内にある経験則に当てはめるのであれば、それはもう須く“恐怖”とカテゴライズするしか無いのである。
そして、次のタイミングで――
Hyaguwaaaaaa!!
Oh! Oh! Ohoooow!!
Sigyaou! Gurugawao!!
モンスターが吠える。
いや――悲鳴を上げた。
その理由など探すまでも無い。
入手できる情報量が圧倒的に多い感覚――即ち視覚。
そう。
モンスター達の前に現れたのは――竜だ。
中天に輝く陽の光を照り返す、緋く光沢のある地肌。
そして真っ黒な皮膜を持つ翼を広げ、その体は戦場を多い隠さんとするほどに巨大。
必然的にむき出しにされた、牙、爪、何もかもが異常なほどの巨大さだ。
殺戮の意志を示す、それら“武器”を前にして抗うことなど、出来るはずが無い。
そして放たれるのは、今までとは威力が桁違いの「火球」。
ついには触覚までもが命の危機を覚えるほどの熱さが侵掠し……
モンスター達は、ついに逃走を選択した。
元より、モンスター達を戦いへとけしかけていたのは竜種なのである。
だからこそモンスター達は、今こそ大義名分を得たとばかりに逃げ出したのだ。
元より、竜種に追い立てられるように“大密林”から飛び出して来たのである。
であるなら、こちらでも竜種に追い立てられた以上、そこから逃げるのに何ら問題は無い。
――実際は、モンスター達がそこまで理屈を積み重ねる必要は無いのではあるが。
少なくとも、これによって突如現れた竜の真偽を疑う必要が無いことも事実。
全ての感覚が、
「此処に竜がいる事を証明している」
のであるから。
そして北西に“存在する”竜から逃げるのであれば、必然的にその方向は真逆の南東。
しかし、南からは未だ圧力を保持したままの“大暴走”が、のしかかってくる。
これによって、ベクトルが統一されるという物理法則のままに“大暴走”の方向まで変化してしまった。
北へ。
ではなく、北東へ。
これによってディベータに迫りつつあった崩壊の危機が遠ざかった。
いやこれでは説明不足だ。
モンスター達が、その“脇腹”を冒険者達に。
そして“武人の魂”を持つ者達に晒したのである。
この機会を前にして、大人しくモンスターの群れを座視するなどという選択こそあり得なかった。
復讐。
望むことは、それただ一つ。
そしてそれを後押しするかのように、規律正しい領兵達が。
最高位と目される、冒険者が一斉にモンスター達の背後から責め立て始めたのだ。
新しく敷設された道を基準にして立て籠もっていた彼らが、その陣を捨てて一転攻勢に出たのである。
そこで、中心となったのがサムをはじめとした物理的なダメージディーラー達だ。
巨大モンスターをも圧倒する、その馬鹿げた獰猛な想いが、モンスター達の後背に襲いかかる。
正面からそれを受けていれば、あるいはそれに抗うモンスターもいたかも知れない。
だが今は、すでに逃亡を開始しているのだ。
到底、逆らう術が無かった。
さらにルコーンを中心とした、高位の神官職が戦いに疲れたディベータの前でうずくまったいた、冒険者達に治癒を与える。
活力を与える。
今こそ、人類に対して牙を剥いたモンスター達に鉄槌を!
そう、せき立てるように。
――それこそが女神アティールの望みであるかのように。




