虐殺と武人の心
“うずくまる酒樽”と呼ばれる岩がある。
もっと短く「酒樽」と呼ばれることもあるが、岩は岩だ。
これが“大密林”の中にある。
それほど深い場所にあるわけでは無い。
“大密林”がいよいよ牙をむき始める――その目印として、格好の地点に酒樽はあった。
慣れてくれば、その場所はモンスターの世界と人類の世界の境目。
その玄関口に佇んでいるかのような、肥えた腹をした酒場の親父。
……そんな風に見えなくも無い。
今では、その“腹”の部分が随分削れてしまい、ちょっとした石舞台のようになっている。
口の悪いものは“脂が溶けた”などと表現しているわけだが、それが1番的確な表現であるかも知れない。
黄ばんだ脂が、溶けかかったような有様。
そういった説明が、1番わかりやすいに違いない。
この酒樽を、人間であるならば普通に避けて通る。
元々、もの酒樽を乗り越えるような道筋では無いからだ。
元気の有り余った、あるいは“大密林”に挑む事に盛り上がった斥候職が、わざわざ酒樽の上に乗ってしまうこともあった。
これは“大密林”からモンスターが出てくるときにも同じこと。
避けるか。
完全に乗り上げるか。
その2択になるはずだったが、この酒樽に巨大なモンスターが挑んだ場合どうなるか?
避けるにはいささか道幅が狭い。
それが“大暴走”の最中であれば尚のこと。
かと言って酒樽に完全に乗っかることも出来ない。
酒樽はそこまで大きくは無いからだ。
結果として片足だけを酒樽の上に乗り上げて、非常にバランスの悪い状態になってしまう。
「強風!!」
そのタイミングで、魔法によって生み出された風が巨大なモンスターの巨躯を揺する。
バランスを取ろうと、動きを止めたが最後、モンスターはあっという間に矢ダルマになってしまった。
では、矢が通用しないような皮膚を持ったモンスターはどうなるのか?
そういった皮膚を持つモンスターは、自らの重さによってさらにバランスを取るのが難しくなる。
何しろ片足を上げているのだから、そこにバランスを崩すように押されれば――「強風」を受けてしまえば――さらに悲惨なことになる。
周囲の小さなモンスターを巻き込んで、倒れ伏してしまうからだ。
そして人間達は容赦しない。
倒れているモンスター、あるはその周囲に強烈な光――「灯り」の魔法を施す。
単純な白色光では無い。
赤そして青、と色のついた光だ。
確かにそれは新魔法の1つではあったが、それほど斬新な革新が施されていたわけでは無い。
理屈がわかってしまえば、改造するのにそれほど手間は掛からなかった。
「物の色を“違う色”だと認識しているのは、単純に受け取る側の人間が“違う色”だと認識しているからです」
その言葉通り、むしろ「幻影」の改造と意識してしまえば「灯り」に着色してしまうのは簡単な話だったからだ。
そして、たったそれだけの事で命令伝達速度は格段に上がった。
“決まり事”さえ周知のものとしてしまえば、もう声はいらない。
指揮官を目立たせる必要も無い。
ただ、的確な色のサインを送ることで、次に何をするべきか、何をしなければならないのかを即座に伝えることが出来るわけだ。
一方で、旧態依然のままの巨大モンスターは、ただただ的になるだけ。
赤は仰向けに転がったことを示す。
青は小さく短い矢での攻撃指示。
一斉射撃の必要は無い。
どちらにしろ寝転がった巨躯の動きは鈍いのだから。
仰向けに転がった巨大なモンスターに矢の雨が降る。
特に狙いを絞った攻撃では無い。
だが、巨大な矢を払いのければ済むような攻撃では無いのだ。
短く小さな矢。その鏃が飛び込む先には目。あるいは口。
喉でも良いだろう。倒れた姿勢によっては、脇、脇腹――巨躯であると言うことは、そういった弱点もまた大きいのである。
そして、送り込まれるのは単純な矢では無い。
毒を使うことに、人間達はまったく躊躇いを覚えなかった。
さらには、あの凶悪な血吸いの矢。
かつてノウミーにおいて、ムラタが現場に行かずして討ち果たしてしまった巨大モンスター――アースジャイアント。
その変異種が、再び“机上の作戦案”の前に倒れてしまったのである。
そんな光景を、リンカル領の領兵達は最初は興奮気味に見ていた。
次に、作業のように巨大モンスターを狩った。
そして今は――
「何か、簡単すぎないか?」
「……やはりそう思うか?」
「って事は、人間の今までの苦労って……」
そして誰知らず、皆がそれ以上考えることを止めた。
認めてしまうと虚しすぎる――今までの戦闘が徒労に過ぎないなどとは。
だが実際、それほど難しい事を行ったわけでは無いのだ。
正面から向き合わない。
直接殴りに行かない。
魔法で直接ダメージを与えようとは考えない。あくまで環境作りのために、魔法を使用する。
使う武器は専ら、弓と矢。
まとめるとそういう心得になるだろう。
だが、それだけの事で、戦闘の様相がまるで変わってしまった。
その上である。
モンスターを倒すことで手に入る“報償”。
これによって、人類はますます有利になる。
弓の威力が増すことによって、射程距離はさらに長くなり、また正確性も上昇するからだ。
「最終的には虐殺ですね。それが目指すべき終着点です」
そんな目標までが、会合でが披露されていた。
出席者はそんな事が記された紙面と、ゴードンの言葉両方によって、しっかりと基本的な考え方を刷り込まれる。
「この時、虐殺はイヤだ何だと、武人の心だとか、そんな事を言い出す知能が不自由な方がいたら、しっかりマークしてください。配置を換えて、真っ正面から戦わせてあげるのも良い方法です」
――などという“忠告”が添えられていたわけだが、当然それはゴードン専用だ。
ゴードンは、その理屈よりも単純に、そう配置することによって被害を少なく抑えられることを重要視した結果、その忠告に従うことにした。
指揮系統の強靱さ。
それに意思の統一。
それらを重要視するなら――それはまさに常道なのでがあるが――自然と配置は“そういうこと”になるのだから。
そして、絶命したアースジャイアントの身体は、後から後から“大密林”の奥から押し寄せてくるモンスターの大群に踏みにじられ、粉々な肉片にされ、再び酒樽の周囲に、端倪すべからざる段差を作り出してしまう。
そうして、前線指揮官を失ったままのモンスターの群れは、準備万端整えた血気に逸る冒険者達と、武人の心を持つ愚かな領兵が待つディベータに向かって、無謀な突撃を行うことになるのだ。
□
ディベータ前で待ち受けている、冒険者達。
こちらの集団には、何ら戦術的なアドバイスは為されていない。
最初から、
「みんながんばれ」
ぐらいの、ヌルッとした“目標”が出回っているぐらいのものだ。
さらには、どうかすると、
「ガンガン行こうゼ」
的な動きを見せるパーティーまでいる。
これから“大暴走”がどれほど続くかもわからないのに、この方針はハッキリ言えば自殺志願者の行動方針とさほど変わらない。
経戦能力の保持。
これが肝要となるからだ。
いざとなれば撤退して、回復に努める。そういった他のパーティー連携も必要になってくる。
モディックは閉ざされたままであるので、この場合、退避する先は最近になって敷設された道になるわけだが……そこまで細やかな指示は出ていない。
反骨精神と言えば聞こえは良いが、それが果たして“大暴走”という「量」の前に、どれほど役に立つのか。
甚だ疑問を覚えるところだ。
では、冒険者では無く一部こちら側に配置された領兵達。
こちらは流石に経戦能力の大事さは弁えている。
つまり最初から、全力で戦ったりはしない……わけなのだが、これはこれで問題がある。
例えば、対モンスター集団への戦術として執られている手法は、当然のことながらまず「睡眠」の魔法が放たれることになる。
それほど精神力を消費することも無く、モンスターを無力化するのならば、まず定石と言っても良いだろう。
高位者になれば、それだけで雑魚モンスターは一斉に無力化されるわけだが「睡眠」はあくまで「睡眠」だ。つまり起こせばあっという間に戦線復帰してくる。
そして“大暴走”の最中であれば、後から後から押し寄せてくるモンスターの群れが、あっという間に叩き起こしてしまうのだ。
もちろん、そのまま永眠してしまうモンスターの数も半端ではないのだが、それもまた“誤差”と言い切ってしまえるほどの「量」。
この戦術でも、問題になるのはやはり「量」なのである。
戦略の大事さが身に染みるところであるが、そんな事を嘆く暇も無い。
むしろ「睡眠」によって、精神力を消費する様は、戦術の禁じ手の最たるもの、
――「戦力の逐次投入」
にも似た状態を生み出すことになる。
だが、そういったアドバイスは受けてこなかった冒険者達だ。
そういった忠告を無視してきた、武人達だ。
ここで諦めるという選択肢は無い。
もちろん、愚痴を並び立てる暇もない。
それに何より、手こずることになると思われた巨大なモンスターの数が圧倒的に少ない。
たまに姿を現したと思えば、それが皆一様に手傷を負い、もっと言えば瀕死の状態だ。
それらは簡単に倒すことが出来るということで、その“報償”が戦闘に当たっていた者を強化する。
これによって無理を通せば道理が引っ込む、といった状態が形成され始めた。数で劣るという戦略上の不利を、戦術の勝利を積み上げることで覆す。
そんな無茶苦茶がまかり通るのではないかと、皆が希望を抱き始めるが、それを再び打ち崩すのは、やはり「量」。
「……キリが無い……」
――そして「量」は、心を折り始める。




