ことわりの無い世界
「本当に“朝駆け”の形になったな」
そう呟きながら、無精髭の伸びた頬をさするのは、アーネストという名の男だ。
リンカル侯に仕える騎士である。
リンカル侯に仕えていると言うのは名義上のことで、アーネストとしては、その世嗣ゴードンに仕えているつもりであった。
リンカル侯に仕える陪臣。
そのさらに陪臣、という形になるわけだが、そんなもの公に認められるはずが無い。
だが、今現在そのような“形”で状況が動いている。
アーネストは長いモジャモジャした茶色の頭髪を無造作に括っている。
そして、どこか皮肉げに歪められた同じ色の瞳。
だが「持続光」に煽られるように照らされたその顔には豪快な笑みが浮かんでいる。
その視線の先には、朝ぼらけに浮き上がる土煙。
漂ってくるのは、すえた悪臭。
“大暴走”――その先端だ。
「……先鋒と呼んだ方が良いんだっけかな?」
「なんでもいい」
その独り言に応じたのは、同じく騎士のマルセル。
こちらはダークブラウンの髪を綺麗に撫でつけ、口髭を蓄え、随分シュッとしている。
逆まつげが彩る瞳は、紺色。
アーネストとは逆に緊張した面持ちだ。
だがその口元にはやはり笑みが浮かんでいる。
「サー・ゴードンのお力で、こちらは準備万端。我々はただ任務を全うするだけ。それもしっかりと説明を受け、作戦を詳らかにされてだ。こんなに恵まれた戦は考えたこともない」
「確かにな」
アーネストは良いながら弩弓を用意する。
実際、その弩弓で優先すべき攻撃目標も示されているのだ。
その目標は“大暴走”の先鋒をこの距離から見ても、判別できる。
アーネストとマルセルは同時に弩弓を構えた。
□
この状況が訪れる前、リンカル侯爵家の別邸でしっかりとミーティングが行われていた。
その最初の議題は、
――“大暴走”は、本当に“大暴走”なのか?
という根本的な問題から始まった。
流石に、そんなゴードンの問いかけにすぐに反応できる者はいなかった。
それはゴードンにとっても予想の範疇。
すぐさま、言葉を継いだ。
「そもそも、この“前兆”がおかしな話だからね。自然発生するものなら、こんな事は起こらない。もっとなだらかに、そして突然に“大暴走”は始まるはずだ」
ゴードンは断言した。
それを、戸惑いながら受け止めるしか無い出席者達。
配下の騎士達に加え“選ばれた”冒険者の代表もいる。
当然、ザインもそこにるわけだが、その顔に戸惑いは無い。
先にゴードンの話を聞いているからだろう。
それもまた“選ばれた”ことの証明にはなる上に、出席者の動揺を抑える“重し”としての役目も果たしていた。
だが、自ら発言することは無い。
その辺りも打ち合わせ済みらしい。
そして、騎士の1人が手を挙げた。
「サー・ゴードン。で、あるならば、この前兆は何なのでしょう?」
なんとも優等生な質問であった。
ゴードンも満足げに頷きを返す。
「――私は、これを兵力再編と考える」
「兵力……再編……?」
誰かがオウム返しに呟いた。
再びゴードンは頷く。
「そう。兵力再編。好き勝手に生息していたモンスター達が、戦術単位として動かせるように徒党を組み直す。だからこそ、姿を消す」
――それが“前兆”の正体。
だがそう考えると……
「何者がそれを?」
当然、そういう疑問が出てくる。
そしてその結論はすでに出ていた。
「竜種だと考えられる。“大暴走”を仕掛けるのもそうなら、管理するのも竜種だ――冒険者のみんなならば、奴等が知恵を持つことも知っていると思うが」
そんなゴードンの確認に、参加しているパーティーリーダーが互いの顔を見合わせて頷き合う。
竜種が知恵を持つ事。それがしっかり確認されたわけでは無いが、何回かの遭遇で、それを確信している冒険者も多い。
まったくの荒唐無稽な推測では無い。
だが、次にゴードンはそれをひっくり返すようなことを言いだした。
「だけどね。どうやら竜種あまり頭は良くない」
「え?」
「これは騎士達の方がわかるだろう。最大の攻撃力は、まず初っ端にぶつけるべきだ。そうした上で、行動するならディベータなど、まったく意味を成さないだろう。つまり、弱者から順番にやって来るから、凌ぐことが可能なんだ。これが竜種から襲いかかってくるなら……」
そこでゴードンは言葉を切った。
出席者に、そんな未来を十分に想像させるために。
まず竜種を食い止めるために、手一杯になるだろう。
到底、他のモンスターに対応できる余裕は無い。
いや、手一杯ぐらいならマシな方で全滅させられる可能性も高い。
そうなると、雑魚と侮っていたモンスターさえも止めることが能わないのである。
結果として出現するのは、地獄。
あるいは、モンスター達の饗宴。
確かに襲いかかってくる順番を変えただけでこれほど、被害規模が違うのである。
そしてこれは、
――“戦力を逐次投入してはならぬ”
という兵理にも現れているのだ。
だが、その禁じ手をモンスター達――あるいは竜種――は選択してきた。
これは確かに――頭が悪い。
しかしである。
実際、頭が悪いとして、それでどうなるというのか。
その“事実”をどのように活用すれば良いのか。
そんな疑問が浸透したのを見計らって、ゴードンは言葉を継いだ。
□
弩弓の弦が震える。
打ち出された矢は随分と短い。
しかし弦の力は本物で、朝日の中、斜めに打ち出された矢は放物線を描きながらモンスターの先鋒に殺到した。
リンカル領の領兵達は、敷設された道に急ごしらえの陣地を築きながら、射程距離に入った順に矢を射かけていく。
そのための訓練は、しっかりと行ってきた。
しかも領兵たちは真っ正面に立つ形では無いので、モンスター達も対応に苦慮しているところだろう。
――その上である。
領兵達が狙ったのは、漠然とした“モンスターの群れ”などでは無い。
彼らが狙いを定めていたのは、群れの中でも一際目立つ巨躯。
種族として、身体の大きな個体もあるだろう。
さらには変異種の存在。
こういった個体を中核として、戦闘単位が形成されている。
……そう思って見れば、という話だが。
果たして領兵の放つ矢は、そういった巨躯に向かって放たれていた。
そもそも巨躯だけに狙いやすいのである。
もちろん、そんな巨躯相手にどこまで矢が通じるかという問題もあるのだが、たっぷり準備期間があったことが幸いした。
あるいはモンスター達にとっては災いと言うべきか。
まず当たり前に毒の使用が行われた。
即死で無くても良いのである。麻痺でも、酩酊でも、とにかく何でも良いわけだ。
何しろモンスター達は“大暴走”の真っ最中である。
その最中に、転げることがどれほど危険であるか、説明する必要は無いだろう。
しかも人類の悪知恵は、それだけに留まらなかった。
放たれた矢の中には、金属製の細い筒、としか言い表せない特殊なものが含まれている。
無論、その切っ先は斜めに切られ、十分な鋭さを誇示。
然して、そのような矢がモンスターに刺さると……まったく極悪非道な様相を生み出すことになる。
刺さった矢から、その筒から、血が、体液が噴出するからだ。
しかも念の入ったことに、そういった筒矢には簡単に抜くことが出来ないように逆さの切り込みが施されている。
こうなると簡単に対処できない。
抜こうともがけば、さらに血はより激しく噴出する。
つまり必然的に動きは鈍り、そして――死だ。
しかもまき散らされた血がさらにモンスター達を恐慌へと導く。
“大暴走”はさらに激しさを増すことになり、その点では不利になるかと思われたが、ここで効いてくるのが、領兵達が狙ったのはどういった個体であるか? という点だ。
そう。
戦闘単位としてモンスターの群れを考えたとき、モンスター達は現場指揮官のいないままに突撃を命じられているのと同じ状態なのだ。
つまりは意図して生み出された“烏合の衆”状態。
しかもそれは、血の臭いでさらに煽られている。
今はただ、ディベータに、人間達の巣に向かうという方針が一致しているだけだ。
ここに、一撃を加えれば――算を乱して逃げ惑うことになる。
そしてそんな状態に襲いかかるのが、弱い順でやって来る――つまりは先鋒よりも強力なモンスターの群れ。
こんな状態になることを、モンスターの群れに指令を出しているであろう竜種は気づけなかったのか?
□
「気づけないようですね」
そんな疑問に、ゴードンはあっさりと答えた。
そしてさらに続ける。
「基本的に、兵理から考えるとおかしな事ばかりやっているんですよ。指揮官と思しき個体が目立つなんて事がそもそもおかしい」
「でも、それは人間も似たようなことをしているのでは?」
確かに、そういった反論が出てくるのも、もっともなことだ。
だが、その理由を考えていけばわかる。
目立たせるのは、兵達を監督するため。
声を届かせ、指揮系統を明確にするため。
さらには士気を維持するため。
そういった理由があるのなら、指揮官が目立つ理由にもある程度の整合性が出現する。
しかし“大暴走”の最中であるのなら……
「……ほとんど場合、指揮官を目立たせる事に意味は無いんだ。ましてやこちらから狙いやすくする個体を使うなんて――やっぱり頭が良くない」
そう言いながらゴードンは肩をすくめた。
……もちろんゴードンは気付いている。
こういった戦のやり方がそもそも不合理だと言うことに。
“魔法”がある世界では、戦の様相も変わって然るべきなのだ。
つまり――
――世界が人間を謀っている。




