そして、始まる
アメリアは、いつも不安を抱えていた。
それは王都において一晩限りではあったが、彼女の“主人”とさる人物が出会ってから、ますますそれは強まってく。
「それは嫉妬なのかな?」
彼女の主人であるゴードンはそんな風に揶揄するが、アメリアとしては当然否定するしか無い。
そもそも自分は主人に対して嫉妬できるような立場の人間では無かったし――到底、あの“異邦人”に対抗できるとも考えていなかったからだ。
ゴードンがあれほど屈託無く笑う姿を、アメリアは久しく見ていなかった。
年齢を重ねるにつれ“幼馴染み”という関係性は変化し、彼女はゴードンに踏み込む事を躊躇うようになってしまっていたのだ。
侯爵家の世嗣という立場と、単なる使用人の娘。
この身分の違いに気付けば自然に距離が出来てしまう。
それに加えてゴードンの足だ。
ゴードンは他人に告げることは無かったが、生まれつき不自由な足に劣等感を抱いていた。
それはある意味当然のことなのだろう。
だが、ゴードンはそこで腐ることは無かった。
――いやあれは“腐る”よりも悪い状態であったのかも知れない。
ゴードンの知能は人並み外れていた。
それに加えて、ハンデによって周囲の人間の顔色から、あらゆる事を察してしまう能力を身につけた。
だからこそアメリアは思う。
ゴードンが自分を選んだというなら――それもまた何かの深謀があったためでは無いのか? と。
ゴードンの心がアメリアを欲していたわけではなく、知能が今の状況を欲したのではないか。
幼馴染みで、身のまわりをしてくれる使用人に対して、決して粗略に扱わない。
それが真実、ゴードンの優しさから引き起こされた行動では無く――計算。
そんな事を思いついてしまってから、アメリアは不安を抱えるようになった。
今現在、リンカル侯爵家を実質的に支配する状況となるまで、ゴードンが何を考え、何を実行し、どんな景色を見てきたのか。
アメリアはそれを知っている。
それは仕方のない事。
そうしなければ、ゴードンは放逐されていたのだから。
最初は不自由な足によって。
次には、その冴え渡る知謀によって。
もちろん、それならそれでアメリアは構わなかったのだ。
彼女のゴードンへの愛は、どのような事があっても失われるものでは無い。
それははっきりとわかる。
だが、あの男――ムラタ。
どうにもあの男は“良くない”。
アメリアはそう感じていた。
今までゴードンは自分の身を守るために、味方を作り、策を巡らし、結果的に領を安寧へと導いてきた。
だが、あの男に出会ってから、ゴードンの知謀が他のものに向けられている。
アメリアはそう考えてしまったのだ。
あるいは、それはゴードンの能力からすれば当たり前の事かも知れない。
だが果たして、それでゴードンは幸せに成れるのであろうか?
――いや。
アメリアは、それもわかっていた。
自分が不安になっているのは、ゴードンを心配してのことでは無い。
ただ、そんな風に変化して、ゴードンを失うかもしれなという危険。
その可能性が、アメリアを苛んでいた。
あの男に、乗せられるままに行動することでゴードンは死地に赴くことになるのでは無いか?
それこそがアメリアの不安の――正体。
□
“大暴走”の発生が確実視されてから、リンカル領では総動員で準備が行われてきた。
今までは、突然襲いかかってくる“大暴走”に対して、遮二無二立ち向かっていくだけだったので、これだけで十分に未曾有の事態ではある。
最高位たる「ガーディアンズ」を中心にして、冒険者の結束も高い。
もちろんその背景には、リンカル領のバックアップに加えて、剥ぎ取り御免の通達が出ているからではあるだろう。
もっとも、モンスターから素材を剥ぎ取るのを優先しては命を失ってしまう可能性もある。
剥ぎ取り御免を、士気高揚の一手段とみるか。
はたまた罠とみるか。
それは冒険者の力量次第だろう。
ムラタであれば確実に、人減らし、と判断するに違いないが。
その冒険者達は、ディベータを活用しながら正面から迎え撃つ形だ。
元々、指令系統など冒険者の間では構築できない。他に方法が無いとも言える。
では領兵はどこに配置されているのかと言えば「ガーディアンズ」との作戦会議の時に説明されたとおり“大密林”へ向かう、開拓されている地域だ。
こちらには簡易ながらも道が敷設されている。
その上で、指揮系統もはっきりしている領兵が受け持っているために、それらを有効に使う事も出来るだろう。
領兵の仕事は、モンスターの討伐では無く、言ってみれば“追い払い”。
これが真正面から行うのであれば、冒険者と仕事の質が変わらないが配置場所が違う。
となれば、戦術も違ってくるし、冒険者の前に獲物を追い込んでいるようにも見えてしまう。
その戦略目的は“大暴走”の方向を変えること。
ただしこれは、全員が知って居るわけではない。
いや正確には冒険者のほとんどは知らない。「ガーディアンズ」をはじめとして、一種の戦略兵器と化すまで研鑽を積み上げた、ごく少数のパーティーが、あるいは冒険者としてはごく自然な判断のままに同業者に情報を秘匿した。
この辺りは、ゴードンの“寝技”が効いている。
つまりは「あなた達だけにお教えします」という、特別感を与えたのだ。
これが最高位たる「ガーディアンズ」を巻き込んでの行動であるので、選ばれたパーティーに対しては、確かに真摯な振る舞いであるのだが――
――この場合人が悪いと評するべきなのか、否か?
そんなゴードンは、来るべき決戦に備えて不自由な身体を引きずるようにして、ディベータの上で檄を飛ばした。
もちろん冒険者達に向けてだ。
何も知らない冒険者を死地に向かわせるための檄――いや、確かに“大暴走”を正面から迎え撃つ戦力も必要なのだ。
結果として、ゴードンは誰に対しても真摯に振る舞っているように見える。
次期国王が特異であるなら、ゴードンもまた特異。
同じ時代に、指導者たる階層でこのような人材が出現しているのは希有なことなのだろう。
あるいは、それに対抗するために“異邦人“が現れたのかもしれない。
だが、その両者ともハンデはある。
片方は言うまで無く“幼さ”。
そして、ゴードンは――
□
「ええ。私には構わず、警戒を厳にお願いします。“大暴走”は昼夜の区別無く発生します。見張りに隙があっては、せっかくの準備が台無しですからね」
寝椅子にぐったりと身体を預けながら、ゴードンは渡り鳥の彫金が施された魔法具に語りかけていた。
現在は、午後9時と言ったところ。
今更だが、その身体でディベータの上に立つこと自体が無茶だったのだ。
そのため、疲労で今にも事切れそうな風情である。
だが、だからこそ檄に効果があるわけで、冒険者達の間からは脱落者が出現していない。
これは異常な事態と言いきって良いのだろう。
「ゴードン様。まずはお休みなることを優先してください。これでは身体が保ちません」
「だけどね……」
「起き続ける、等という簡単な事は、どうか我々に命じてください。決してゴードン様に知らせないような事はしませんから」
ゴードンの疲れ切った姿に対して、アメリアが縋る。
端から見れば、それは当然の判断だとも思える。
どちらにしても、ずっと気を張り続けるなんてことは出来ないのだから。
そのゴードン自ら、領兵に対してはきっちりと休息をとるように命じてある。
理由は簡単。
「――いざという時に動けなくては意味が無い、ですね。わかってはいるだが、流石に興奮している様で寝付きが悪い」
「薬師か、魔法を手配しますか?」
「それも大袈裟な気もするし、第一、アメリアも十分疲れているように見えるよ」
その言葉にアメリアは頭を振った。
「……私など、倒れてしまってもどうと言うことはありません。しかしゴードン様は必要なお方です。我々はゴードン様に頼るしかないのですから」
「いつも君は、嬉しいことを言ってくれる。でもそれなら、君自身も自分を大切に扱ってくれないと困る。私の妻なのだから」
「ゴードン様……」
ここで、いつもの言い争いになってはそれこそ時間の無駄だ。
だからこそ、アメリアは言葉を飲み込む。
そんな妻の様子に、ゴードンは笑みを浮かべた。
「大丈夫。私も頼っているんだから。確実にあの男は何かしら細工をしてるよ。こんな、あやふやな状態では、何よりムラタ自身が安心できない」
それが果たして慰めになっているのかどうか。
しかし、それこそがアメリアの欲しかった言葉である事も確かなのだ。
愛する夫が、ムラタに取り込まれて、かつて無い場所に行ってしまうのでは無いか。
それを否定するためにはゴードン自身が、ムラタを冷徹な視線で論評すること。
アメリアが欲していたのは、そんな簡単なことだった。
それを察したのかゴードンが、さらに言葉を重ねる。
「あの男が今戦っている相手は“神”だよ。女神アティール。そのためにあの男は何でもするだろう。負けるべき戦でも強引にねじ曲げて、勝ちとしてしまうだろう。あの男自身の臆病さでね」
悪口――では無いのだろう。
実際、アメリアもそんなゴードンの論評に対して嬉しそうに耳を傾けるムラタの姿を想像出来る。
「つまり、そんな男に適当に付き合っているだけさ。いや、むしろあまり関わり合いにならないように気を付けないとね」
その言葉こそ――
その言葉こそ、アメリアの欲して止まなかった言葉であるはずだが。
だが、それで幾分か気は収まったらしいゴードンは寝床に潜り込むことに成功した。
そして6時間後。
アメリアの宣言通り、急報によってゴードンは叩き起こされる。
――“大暴走”の始まったのだ。




