積極性は毒
ペルニッツ子爵に何が起こっていたのか。
それはある一面から見れば、単なる工作の結果でしか無かった。
しかも消去法によってである。
ペルニッツ子爵が、その能力によって選ばれたわけでは無い。
言ってしまえば、たまたまそういうことになった。
これが一番的確な説明だろう。
――敵は分断する。
そんな単純な手口をムラタは好んでいた。
そしてムラタの目標は、前ギンガレー伯と定められいた。
この前提条件を崩すわけにはいかなかったので――
「貴方を籠絡するという選択肢しかなかったわけです」
と、ムラタは、まったくペルニッツ子爵の心情を思い遣ることなく説明した。
そしてムラタが説明するからには、当然のことながら“手遅れ”だったのである。
ペルニッツ子爵の家族、親類、配下、子弟――
完全に、監視され生殺与奪を握られていた。
それとわかる形で。
つまりは人質。
だが、そこからの展開がさらにペルニッツ子爵を追い詰めた。
ムラタは生殺与奪を握った上で、彼ら“人質”を丁重に扱ったのだ。
優遇し関わっていた者は、かつての警務局のような仕事を果たせるように。
もちろんそれは、ペルニッツ子爵に対してもだ。
しかし、それは普通に言うところの“優遇”では無かった。
ムラタは徹底的に、ペルニッツ子爵をしごき抜いたのである。
それには時折、近衛騎士団団長ルシャートも加わって、ペルニッツ子爵を責め苛んだ。
貴族という身分こそが、重要なのだとペルニッツ子爵は考えていた。
だがムラタという“埒外”が王宮の権勢を握ったことで、そんな価値観は揺らぎ、実際の能力不足はルシャートを相手にすることで露呈してしまう。
そして、そんな状況への不満と羞恥とストレスをペルニッツ子爵は抱え込むしかなかった。
彼に近しい者は完全にムラタのシンパになってしまっている。
ペルニッツ子爵は孤立した。
ただ「ムラタに人質を取られている」という理由に縋って、ペルニッツ子爵は懸命に仕事をこなした。
そうして気付けば――
かつての部下、従騎士、さらには冒険者から志願してきた者を束ねて「警務局」という容れ物を満たしていた。
そして今も、王都の治安を守る仕事に携わってしまっている。
「ストックホルム症候群が人為的に起こせるかという実験もあったんですがね」
最近になって、ムラタがそんな事を言っていた。
相変わらずペルニッツ子爵のことを思いやることもない、傍若無人な言葉を使用して。
ただペルニッツ子爵にわかることは、ムラタがろくでもない理由で自分を選び遇していると言うことだけだ。
なにしろこの時ペルニッツ子爵は、ムラタが望む「猜疑心に溢れた心」を獲得していたのだから。
「こっちの世界では“出世するなら執金吾”みたいな言葉がありましてですね。ペルニッツ子爵は最初からその執金吾――つまりは王都の治安維持長官だったわけですから」
突然に、ムラタがさらにわからぬ言葉で、着地点の見えない説明を続ける。
「ちなみに、そんな言葉を残した人物は最終的に王になりましたよ」
それを聞いてペルニッツ子爵は、幽鬼のような頬に笑みを浮かべた。
別に、ムラタの言葉を使嗾だと感じ、そこに皮肉を感じ取ったわけでは無い。
皮肉を感じたのは、そんな貧乏くじを引いてしまった、その発言者の身の上を思ってのことだ。
小役人を希望しているのに、何故か王である。
そして自分はそんな小役人を務めることで精一杯だ。
身分だけで仕事が出来るはずも無い。
そんな当たり前のことをペルニッツ子爵は理解し……結局、仕事に虚無感を覚えた。
そんなペルニッツ子爵の心を、ムラタは読み取った。
同時に、こちらも苦笑を浮かべる。
「ある程度立場のある人間は、自分の役職を誇りに感じるのでは無く、面倒ごとだから仕方が無い、というスタンスの方が上手く回る気がしますね――ですから」
ムラタは、警務局詰めであるペルニッツ子爵に語りかける。
現在、次期国王を迎えるため、浴場という最前線で指揮を執る彼に。
「ここはお任せしますよ。それから、これから先も。何というか貴方は私にとって最大の計算違いでしたね。精々、嫌々ながら仕事を続けてください」
ムラタは、そう声を掛けると離れて行った。
――式典はまもなく始まる。
□
マドーラが自分の声で、賞賛したり、手ずから褒美を与えたりするわけでは無い。
その会場に臨席することがなにより重要なのである。
そのために開け放たれたのは、公会堂の舞台だ。
普段は「サマートライアングル」が公演を行う場所。
では「サマートライアングル」がどこにいるかというと、普段は降りることの無い公会堂の1階部分だ。
自らの舞台を明け渡し、マドーラを迎えるという形。
わかりやす過ぎる形だが、わかり難いよりもずっと良い。
何よりも、これによって民から見ても特別なことが起こることが自明の理なのであるから、その方がよほど重要だ。
そして「サマートライアングル」の3人も、奇を衒った様な出で立ちでは無く、それぞれのイメージカラーは守りながら、きっちり仕立てられた王宮晩餐会でも見劣りのしない、ドレス姿だ。
“デネヴ”は必要無いが、たの2人は淑女のたしなみとしてしっかりと髪を結い上げている。
そして、やがて現れる、舞台上のマドーラを迎えるように、侍るように、並んで貴賓席に正対していた。
もちろん「サマートライアングル」目当ての支持者も詰めかけてはいるが、警務局の職員にきっちりと整理されている。
公会堂に入ることが出来た者は、まだしも“幸運”と言えるのかも知れない。
何しろ公会堂に用意された、貴賓席は公会堂すべてを使う規模だったからだ。
出席を望む貴族のためには、スペースを確保した上で、さらに椅子も特別なものを設えなければならない。
そしてそれは神殿関係も同じこと。
その出席者にも十分配慮しなければならない。
何しろ最高司祭ケルディム・フォーリナもこの式典には出席しているのだから。
赤い長衣を纏って、その顔には笑顔は浮かんでいる。
それはここ最近の神官職の、そして司祭としての充実感がもたらしているのだろう。
王都での貧民街の縮小は言うまでも無く。
王都近辺において、近衛騎士団との共同巡回も意義あるものとして十分な成果があったからだ。
ゴブリン等、モンスターの跳梁を防ぎ、民衆の生活を護る。
そんな神官職の本懐を遂げられているわけで、今までの冒険者に同行するというスタンスよりもよほど手応えがあるわけだ。
今までが対処療法とするなら、今行っているのは予防。
そしてそれを可能とする、王宮ひいては王家と神殿の協調。
フォーリナはその背後にムラタがいることは当然知っているのだが、そのムラタから式典を盛り上げ、且つ権威ある物にしたいという要望を受けて、実際にはそこまで関係があるわけでは無い、式典への出席を決めた。
言ってみれば“ムラタの顔を立てて”という事になるわけだが、神殿をより良い方向に強力に主導した恩人の頼みであるから、フォーリナにとっても嫌々この場に姿を見せているわけでは無い。
ただ、そうなると神殿の面子にかけて、ある程度の面子は揃えなければならない――結果、貴賓席はさらに拡張されるという塩梅である。
そういった貴族、神殿関係者が並んで座る席のその後方。
本来の主賓と言える、ギルド関係者が並んで腰掛けていた。
ギルド会議所の会頭、ヘルマンを筆頭として今回賞賛される面々が緊張の面持ちで居並び、さらには一張羅を着込んだ顔役達が並ぶ。
これが王都の規模であれば当たり前なのだが、やたらに数が多い。
――その中に冒険者ギルドの責任者が出席しているのが何とも皮肉ではあるが。
冒険者ギルドは丁重に扱われながらも、王宮からは捨て置かれている状態で、いよいよその扱いについて自覚し始めている者がほとんどであった。
が、それに対してどう行動すべきかがわからない。
元々、冒険者に対して強制するような権限を持っていないからこそ、冒険者が登録していたわけで、逆に言うと強制力が無い以上、こういった状態に対処する術が無い。
一戦交える――
等と思い切ったとしても、果たして賛同者が現れるのか。
ただ立ち枯れるしかなのではないか。
そんな状態で、今回も丁重に扱われるまま、この式典に出席してるわけである。
彼らの席がある辺りだけ、傍目にも何やら複雑な雰囲気であるのだが、果たして王都の民としても、如何ともしがたいというのが正直なところだ。
元より、冒険者の仕事は王都の外で行うことが普通であり、王都内での仕事は警務局が甦りつつある今日、ますます冒険者と民の間に繋がりが乏しくなっているのである。
そして、そんな民達は、こんな風に日常を変化させた立役者、次期国王の出現を待ち受けていた。
貧民街への働きかけで、姿を見せて以来の久しぶりにその姿を見せるマドーラ。
元々“女の子”と言うことで、民からの人気はそこそこあったのである。
そこに、王都改革という実績が人気を後押しした。
民達は、素直な気持ちで自らの王を、自らの為政者の出番を待ち望んでいたのである。
そして――
「ただいまよりフイラシュ子爵夫人殿下、御入場されます!! 全員起立!!」
公会堂に号令が響いた。
起立は言われるまでも無く、貴賓席の全員が号令と共に行っていた。
そして民も含めて、その場に居る全員が、頭を垂れる。
次期国王を前にすれば、全員が皆等しく臣下。
そんな建前が“形”になっている。
そんな中で全員の耳朶を打ったのは、階を降りてくる、小さな足音。
――その小さな足音に全員が緊張した。




