どこへ征くのかマドーラ
コンケーブショルダー。
西暦1979年にピエール・カルダンが発表したデザイン。
ムラタは単純に「強制いかり肩デザイン」と考えている。
その実、このデザインを実際に縫製して、形を作り出す技術は素直に賞賛すべきだと考えていたが、元々大嫌いな分野であるので、その辺りの勉強はしていなかった。
ならばファッション用語など元から知ったことでは無いと決めつければ良いのでは?
……と、当然の推論がなされるわけで、それと知れば自然と「知的好奇心に負けたのか?」などと、例えばハミルトン辺りがアイロニーを含んだ口調で論評されるかも知れない。
だが、その本質はさらに厄介だ。
「何時かファッションなんてものでマウント取ってくる馬鹿に逆ねじを食らわせるため」
と、ムラタのその“本音”を知ってしまえば、誰もが顔を背けてしまうだろう。
そのあまりの薄汚さに。
もっとも動機があまりにも人でなしのせいか、それ以上、知識を蓄えることはしなかったことが、この場合救いかも知れない。
単純に、自分の身の周りに「ファンション嫌い」を浸透させて、その話題を自然とシャットアウトしてしまう環境を作り出してしまっていたのか可能性もある。
さて、そんなムラタが“異世界”にやって来て、ファッション嫌いには一端目を瞑って、あれこれと一応考えていたのは、
「目立ちたくない」
というより重要度の高い欲求があったからである。
さらにマドーラに関わるようになってから、引き出しをひっくり返して、奥に引っ込んでいたコッペパンを提出しなければならなくなったのが現状であるのだ。
そして、もう一度言うがムラタのファションセンスは、
虚無
である。
だから、今も無茶苦茶やり始めていた。
それがどれだけおかしな事なのかは、ムラタは気付くはずもない。
しかしこれはムラタ個人の問題であろうか?
あの奇妙奇天烈なデザインを「最先端」などと評してきたファッション界に、責を問うのは的外れなのだろうか?
つまり――
――コンケーブショルダー仕様のスカジャン。
等という、悪魔合体の産物を提案してしまう事態になってしまったのであるから。
一応、そこに行き着くまでの流れはある。
まずはマドーラの「コンケーブ?」という疑問に対して、ムラタは口で説明することを放棄して、着ている服を、まさにコンケーブショルダーのスーツに変化させたのである。
ムラタの感性では「小っ恥ずかしい」としか思えなかったわけだが、部屋にやって来ていた、仕立て屋のモムセン女史の目にしっかりと捉えられてしまった。
これは確実にムラタの迂闊さが招いたものだ。
そして、元の世界のデザイナーのセンスは確かに普遍的なものがあったのだろう。
モムセン女史をして、コンケーブショルダーの虜にしてしまった。
いや、コンケーブショルダーと言うよりも、スーツという衣服自体に。
元々この世界にはどういった絡繰りかネクタイだけはあった。
恐らく、過去の“異邦人”の業績――業績かどうかは微妙なところだが――なのだろうが、これによってミッシングリンクが繋がった様なものである。
冒険者ギルドで使われることが多いらしい事も“異邦人”絡みである事を裏付ける傍証であったのだが、そこにムラタだ。
半端に知識だけをため込んでいるこの男が、スーツが何故生まれたかを、突っ込みがいない事を幸い、いつも通り適当に口先だけででっち上げたのである。
だが、これでモムセン女史がすっかりムラタを信用……いや一種信仰に近い状態になってしまった。
女史の年の頃は初老と言ったところ。
深い色合いの焦げ茶色の髪に、薄めの茶色の瞳。そして鎖付きの鼻眼鏡。
いささかふくよかな体型を包むのは藤色のドレス。
そこに凝った意匠はなく、あくまで職人として事にあたっているのかも知れないが、相手がど素人のムラタ相手では、そのドレスにどんな技が為されているのかがわからないのだから、これもまたねじれの関係と言ってしまっても良いのかも知れない。
そしてムラタが提供するジャケットを早速ばらしに掛かり、追求しなくてもいいスカジャンの可能性を追求しているわけだから、どうにも地獄の蓋が開いているような状況だ。
それでもムラタが、マドーラの負担が少なくなるようにファスナーを生かす形に誘導しているのが救いと言えば救いか。
それとも、さらに余計なことを思いついたのか。
そんな、自分のドレスの相談が為されている状況を斜めに観ながら、マドーラ達はテーブルでさらに話込んでいた。
ちなみにキルシュ、マリエルはムラタの“提案”にくっついていくだけで目を白黒させている。
「……それでリンカル領はまだ大丈夫なのかしら?」
そんな最中に、メイルが小さな声でマドーラに尋ねる。
「はい。知らないふりをしてないとダメですから」
それに応じるマドーラは、両手でマグカップを抱えていた。
どうやら、カフェインの覚醒効果が効かない体質のようで、まったく躊躇する素振りがない。
というか、アニカにお茶を煎れてくれるように頼んだのはマドーラ自身であった。
「クラリッサさんと聞いたってあれ? その辺りは例の如くムラタが上手くやってるんでしょうね」
そのアニカが諦観溢れる口調でそれに応じる。
かつてのムラタとマドーラの短いやり取りから、リンカル領で何かあったらしいと推理したのはアニカなのであるが、完全に受け身の状態だ。
前ギンガレー伯の見事な嵌められっぷりに、アニカとしても思うところがあるのであろう。
「じゃあ、それはそれとして」
そしてメイルもこだわらなかった。
完全に、ムラタへの借りが超過している段階で、あれこれ詮索する事がメイルの心意気にそぐわなかったらしい。
そして話題を変えた先は――
「このまま行くとマドーラ様も、浴場に行くことになるよね」
この話題が本命らしい。
ちなみにマドーラを“お姫様”と呼ぶのは、前ギンガレー伯失脚の辺りにやめていた。他はさほど変化はなかったが。
「……そうなりますけど、浴場には行きませんよ」
「ああ、うんそれはそれで良いんだけどね。ただちょっと、今の浴場がねぇ」
「ローズマリーのお風呂は良くありませんか?」
「ううん。ずっとあれだとイヤだけどたまに入るぐらいなら、丁度良いと思うし、そういうのって本当に浴場向きだと思う。掃除も大変だろうし」
特殊浴室はすでに改装を終えていた。
バイナム杉から、ローズマリーへと。
「……うん。ちょっと、パッとしない気もするね」
アニカがメイルの結論を先回りする形で、口に出した。
それを聞いたマドーラが考え込んだ。
その様子は、何やらムラタに似ているようにも見える。
「すいません。他にもありますか?」
そして、さらなる情報を要求した。
「それとねぇ。やっぱり名産品が……」
「……元々、メオイネ領のものは有名だったもの。それは仕方ないと思う。それに王都で、それが食べやすくなってるのは確かだよ」
どうやら街中で出回っている名産物にも“売り”が見えないらしい。
個人消費の起爆剤としての使命がある中で、この状態ではなかなか厳しいものがある。
まったくの失敗、よりも尚悪いかも知れない。
何しろ見切りをつけることが難しくなるからだ。
だが、今回のメオイネ領がフィーチャーされたのは景気対策のためではない。
ある程度は覚悟の上ではあったが、このまま壊死する可能性を見過ごすわけにも行かないだろう。
「で、マドーラ様。浴場は行かなくても良いけど、王都をちょっと見て回るのはどうかな、と思って」
「……なるほど。別に殿下にご一緒していただかなくても、それぐらい買えるでしょ?」
アニカの穿った指摘に、メイルは頭を掻いた。
「いやいや。実際にマドーラ様に声を掛けて貰うのはいい手だと思うよ。そのついでに、あの極上の肉を……」
「……やっぱり、そういう目論見があるんじゃ無い」
そう言ってアニカが窘めたところで、いきなりマドーラが片手を挙げた。
「え? え? マドーラ様、そんなに怒った? す、すいません」
「違う。君は突然入ってくるな」
慌てるメイルに、ムラタから声が飛ばされてきた。
「俺が主張してる方が君の好みってわけだな」
マドーラがコックリと頷いた。
どうやら、ドレスに関するせめぎ合いにも注意を払っていたようだ。
マドーラにとっては、こちらの重要度も確かに高い。
「やはり背中は重要だよな。それに、スカジャンがベースなわけだし」
「それでもその、ナスとか、茸とかがどういう関係があるんですか?」
キルシュが不思議な言葉を並べてムラタに反駁する。
「いえですから。ドレスの背中の話ですよ。別にマドーラに色気は求めてないわけでしょ?」
「ですから、そのナスというのは……」
「殿下を辱めを与えるつもりがない事はわかります。その辺りは信頼に値します」
いきなりマリエルが宣言した。
だがその目は確実につり上がっている。
「……ですが、その模様は一体何なんですか? 絶対に王家の方が身に纏うものでは無いでしょう?」
「ええと……どうしてそう思われるんです?」
「“勘”です」
マリエルは断言した。
しかし、マドーラもまたその勘に従った結果、その“模様”を好みだと判断したのだ。
ムラタが、ひらひらさせている紙に描かれたその模様――
――果たしてそこには“縁起の悪い”漢字が描かれていた。
一体どこへ行くのか、マドーラ……




