南の国より
リンカル領を象徴するランドマーク。
それは領都ロンバルドに聳え立つ、竜の立像であるかも知れない。
確かに一頭屠ることができれば、領に多大な富をもたらす竜を有り難がる者もいるだろう。
富の象徴としての竜。
そういった意味合いであれば、確かにランドマークとしての資格は十分なのかも知れない。
だがそれでも、多くの領民にとって竜は災厄の象徴。
となれば、次に思い出されるのは“大密林”からやって来る災厄を止め、自分たちを守る“ディベータ”と呼ばれる城壁こそが、領民にとってはあらゆる意味での支え。
“大密林”と人間の生活圏を区分けする、明確な境界線。
ディベータの建造されたのは果たして何時のことであったのか。
建設当時の資料はすでに散逸されて、始まりがわからない。
ただそれでも有り難みは否が応でもわかるから、人々はメンテナンスを欠かさず使い続けてきたのだ。
全長100Kmは余裕であるとも言われていて、最大の高さは10m。
石を積んで作られている箇所から、砂岩のように崩れてしまっている場所もある。
あるいは蔦が絡みついて、一見人工物とすぐに見て取れぬ場所まで。
その姿そのものが領の歴史を物語っていた。
“大密林”へと開かれた、唯一の門――モディック。
いざ知なれば頑丈な石門を閉じることが出来る大きな門ではあったが、ここ数十年と緊急時に閉められたことはない。
メンテナンスの必要から、定期的に閉められているわけだが“大密林”に出立する冒険者を送り出すために、基本的には開かれたままだ。
実のところ冒険者が“大密林”に乗り込み、その富をリンカル領に還元してくれないと、ディベータの維持に支障を来すのであるから、何とも難しいとろである。
以前、事実上の内乱状態であった時に、このモディックを巡っての戦いもあった。
当然その時には閉められていたわけだが、この時にディベータがもっとも荒れたといわれている。
――残された記録の限りに置いてであるが。
そして結局、モディックを制した者こそが、この地域一帯の覇権を握ることとなるのだろう。
リンカル家が、今日の隆盛を獲得しているのも宜なるかな。
現在、事実上の管理者たるリンカル侯世嗣ゴードンも、その辺りは抜かりはない。
いや――
今やモディックさえも無価値にするかのような開拓を主導していた。
ディベータの外に道を切り拓き、安定して“大密林“からの恵みを入手できるように、民を導いているのだ。
そしてそれに合わせるように、兵士たちにも訓練を施し、治安維持にも当たらせる。
これは領民を守るため以上に、冒険者が“大密林”へ挑む動機付けにもなっていた。
真面目に探索、採取を続ければ、領では間違いなくそれに応える。
上前をはねようとする動きには、厳しく対処する。
正直者が馬鹿を見ない――そのための施策。
多くの者はそう考えたに違いない。
実際、ゴードンの名声は高まるばかりであった。
つまり、
――「やぁ、上手い具合に“冒険者”の役目を限定させたな。外面も良く」
そんな声が聞こえる者は、そうは居なかったということである。
そのゴードンは今、領都ロンバルドを発しモディック近くの都市、ミニーナを訪れていた。
□
ミニーナはモディックがあるからこそ出来上がってしまった街だ。
必然的に発展したが、必然的に発展が頭打ちになってしまっている。
どうしても、この街に骨を埋めようとはならないからだ。
それに加えて、商売を興して何かしらの施設を建てたとしても、いざ事が起これば、あっという間に接収されることになる。
やはり何を始めるにしても不向きな街ではあるのだ。
かと言って、この街に事実上の支配者が赴く時に滞在できる建物がないというのも不便な話だ。
そこで侯爵家は、コストに目を瞑って別館を維持していた。
さほど広くはないが、いざという時の司令部として機能できるだけの設備は整えられている。
城――と言う程では無いが、石造りの堅牢な造りだ。
平屋であり、平均気温が高いこの地域に合わせて、幾分か開放的な部分はあるのだが。
さてその一室。
開かれた窓と、そこから見渡すことが出来る整備された中庭。
間違いなく館の主にあてがわれた部屋だ。
藤製の家具が多く、それがさらに涼を感じさせ、尚且つ上品な印象を与えていた。
敷かれたカーペット、吊されたタペストリーも目が粗いものを意図して選んでいるようで、これは気候を鑑みての選択だろう。
その部屋の、南寄りの隅。
午後の日差しがかろうじて差し込んでくる一角に、藤製の背もたれの高い椅子にリンカル侯世嗣――
ゴードン・テレンス・リンカルは前屈みの状態で腰掛けていた。
季節柄、鳶色の長衣姿。
疲労の陰の濃い面差し。
それなのに、群青色の瞳は快活そうに輝いているのが何ともアンバランスだ。
灰色の髪が綺麗に撫でつけられているあたり、確かに高貴さも感じられるのだが、それも何か無理をしている様に感じられてしまう。
右手の指に挟んだ細巻きだけが、不思議な調和をゴードンの雰囲気にもたらしていた。
その傍らに立つ侍女――ゴードンの認識では妻――のアメリアがそっと漏らすため息もまた同様に。
「……やはり、変化は決定的と言うことだね」
そんな絶望的な確認を、ゴードンはどこか愉快そうな笑みを浮かべて行った。
「はい。それは間違いなく。サー・ゴードンのご指摘通りでした」
応じるのは「ガーディアンズ」のリーダー、ザインである。
いや、ザインばかりではなく「ガーディアンズ」全員がその場に揃っていた。
ゴードンの依頼で“大密林”へ調査に赴き、モンスターの変化を確認し報告のために、この別館に帰ってきたわけである。
もちろん、帰ってすぐの報告と言うわけではなく、モディックを越えて帰還したのが昨日。
そこから休息も兼ねた、食事、湯浴みも含めての時間を取り、ゆっくり眠った上での報告だ。
当然、報告の精度、さらには独自の意見を求められる事も「ガーディアンズ」も覚悟の上なのだろう。
だが、それに対して笑みを見せたゴードンの反応には戸惑ってしまう「ガーディアンズ」。
どうにも――王都の“誰か”を思い出させる笑みなのだから。
そしてゴードンは首を横に振りながら、ザインの言葉に応える。
「私の指摘でも何でもないさ。ただ過去の事例から“こういう状況ではないか?” と、あて推量しただけだ。その推量さえも、私が自分で始めたものでは無い。ムラヤマ……と、今は“ムラタ”だったかな。これも説明したと思ったけど」
ゴードンのその言葉に「ガーディアンズ」全員が、顔を見合わせる。
今は全員が武装を解いて、普段着姿だ。
ゴードンに対して全員が差し向かいの形になるかのように、背もたれのないソファに腰掛けている形になっている。
ゴードンとの間には白く塗装された、大きなローテーブル。
それぞれ、好みの飲み物が用意されている。
……当たり前に酒精は無い。
ゴードンは傍らのサイドテーブルに細巻きのケースを用意していたが、先ほどからアメリアとの間で無言の攻防が繰り広げられていた。
「……と言うことは、ムラタはずっと前に大暴走の可能性を指摘していたということですか?」
ルコーンが、疑い深そうにゴードンに尋ねる。
「そうだね。先にそれを教えてしまうと、報告に影響があると思って誤魔化していた。騙した形になって申し訳ない」
そう素直に謝られては、ルコーンも言葉を継げない。
逆に切り込んだのは、ブルーだった。
「それって、僕たちがムラタ絡みだと疑いすぎるってこと?」
「あの男は自分の人望の無さに対してだけは、まったく自分を疑ってないところが実に鼻持ちならない。そしてそれが、それほど的外れでは無いところもね」
それを聞いて、ルコーンはさらに顔をしかめた。
逆に「ガーディアンズ」の他の面子は、表情を緩めた者が多い。
どちらかというと、疲れたような笑みを浮かべたような感じではあったが。
「……どうやら王都でも随分やらかしたようだ。概ね報告は受けているが、殿下がそれで無下にされているわけではないのだろう?」
「ええ。それは間違いなく」
「そうね。お姫様には借りがあるもの」
その言葉に反応したのは、ロームとキリーだ。
それを聞くだけでは、わけがわからないはずなのだがゴードンは説明を求めなかった。
興味がないというわけではなく、すでに知っているのだろう。
「それでどうするんです? 実際大暴走が起こるとなれば……」
「そのための備えは行っているよ。どこまで効果があるかはわからないが、これでもそれを見込まれて、私はここに居るんだからね。それには応えようと思っている」
サムの建設的な問いかけに、ゴードンは告白した。
自分もまたムラタの“駒”である事を。
その言葉の意味を「ガーディアンズ」の面々が察し、それと同時にムラタの底知れ無さを改めて味わった。
そんな「ガーディアンズ」にゴードンは追撃を繰り出す。
「それでどうかな? これから後も協力してくれると助かるんだ。何しろ行き当たりばったりの部分が多くてね。冒険者達の助けをまだまだ借りなければならないと思ってる」
それは甘言。
身分の高い者からの信頼は心を溶かす媚薬にも似ている。
――つまりゴードンの言葉はムラタにも似ている。




