松本に相談するようなこと
不毛とも言える、ロジーとの会合。
それが終われば全員がその場で解散――のはずだが、ここで変化が起こっていた。
単純に言えば、ムラタとマリエルが同道したままであるのだ。
かと言って帰路――王宮に向かうわけではない。
そもそもムラタはともかく、マリエルが帰るべきは王宮では無いのだ。
2人はノラの家を辞した後、言葉を交わさなかった。
ムラタが先行し、その後ろ黒いコートとまるで喪服を着たようなマリエルが続く。
馬車を呼ぶこともなく、スタスタと歩いて行き――辿り着く先は「竜胆と猫」。
あのムラタが常連未満となった珈琲専門店である。
最近は輸入元のシャフル帝国との交流も盛んになったようで、取り扱っている豆の数が増えたようだ。
……もっともムラタにはあまり関係ないようだが。
店主の好意で、店先のテーブルに2人とも腰を下ろし、芳しい香りをまずは楽しむ。
ここではムラタの用心深さが発揮されない。
このダブルスタンダードぶりに、ノラがムラタに尋ねたことがある。
そうするとムラタは、ごく平然とこう答えた。
「まずは単純に俺の“壊れスキル”が毒を吸収することを許さない、ということです」
実際に試したのかどうかまでは、流石にノラも聞けなかった。
それに理由としては、それだけでは無いらしい。
ノラはそれが説明されるのを待った。
「――もう1つは礼儀ですね」
「礼儀?」
そのムラタの言葉に、思わずオウム返しに尋ねるノラ。
だがムラタは悠然と、
「はい。そんな風に相手をまったく警戒しないなんて、まるで馬鹿にしたような振る舞い出来ないでしょう? 礼儀として。対等な危険な相手であると考えているから警戒するんです」
「それは……」
「あの店で毒殺を目論むのは難しいですよ。俺が生き残ったら、間違いなく――」
――というわけで、組織が手を出さないままに手厚い庇護を受けている「竜胆と猫」なのである。
もっとも、それで足繁くムラタが訪れるわけでもなく――何よりムラタが忙しかった――北東区画の流儀そのままに、のんびりとした雰囲気はそのままだ。
だが、どうしても気温の問題がある。
屋外で珈琲を啜るにはなかなか厳しい環境だ。
「……ちょっと厳しいですかね。マリエルさん、大丈夫ですか?」
「私は構いませんよ。それにこれはこれで、趣があります」
「趣……」
思わず首を捻るムラタ。
そんなムラタに向けて、マリエルは尋ねる。
「……先ほど、タバコを我慢されたのは、この店の珈琲を堪能するためですか?」
と。
ムラタは続けざまのマリエルの奇襲に驚きの表情を浮かべた。
それが尋ねてみたいことなのか? と不審感を覚えたという理由もあるのだろう。
だが、マリエルの質問は確かにムラタの心を揺すぶったらしい。
笑みを浮かべて、
「俺はそこまで趣深い人間じゃありませんよ。普通に珈琲とタバコ一緒にヤリます」
まずこう告げた。
そして、
「しかし同じヤルとしても、タイミングでかなり旨くなったと聞いた覚えがありましてね。いきなりそれを思い出したので試してみようかと。向こうの世界にいた時はタバコやらなかったものですから」
と、まくし立てた。
コーヒーカップを持ち上げていたマリエルの動きが止まる。
「――私に至らぬ事がありましたか?」
続けてマリエルは、自分自身に最後通牒を突きつけた。
だがムラタは動揺すること無く、言葉を返す。
「実は逆でして。これからマリエルさんに頼ることが多くなりそうなのでサービスの押し売りです」
「自らの情報がサービスになると?」
「はい。マリエルさんが俺に好意を持っているのは流石にわかりますので」
あっさりとムラタは、普通なら言いにくい理由を口にした。
だがマリエルもそれで恐れ入りはしない。
「なにかありましたか? それとも何かが起ころうとしているんですか?」
「後者です」
ムラタの言葉数がドンドン少なくなっていく。
「メイルさん達は?」
「今のところは、きっちりと役目を考えていません。彼女たちの希望もありますので。ただ侍女稼業には留まらないと思います」
そこでマリエルは、一瞬考え込んだ。
「――『サマートライアングル』については?」
「休業になるでしょう」
「“なる”? “する”じゃなくて“なる”ですか?」
「そうですね。ギリギリまでは続けた方が良いんでしょうが……世論、建前、色々な要素がありますから」
「戦……ですか?」
マリエルが当然導き出されるであろ、結論を口にした。
「多分、戦の範疇なんでしょうね。俺の元の世界では無かったものですから」
「それを予期されたんですか?」
「予期、と言えば非常に頼もしく感じられますが。これはですね……仕方がない、と言った方が良い気がします」
「天災……ですか?」
「ああ、そういう言葉の方がしっくりきますね。恐らく、天災と思わせた方が良いんでしょうね」
そこでようやくムラタはタバコを取り出した。
そして悠々と、それを咥え火を点ける。
果たしてその味わいが趣深かったのか。
一方でマリエルはコーヒーカップを置いて、冷めるのも構わずジッと考え込んだ。
「――他に私が貰える情報はありますか?」
「そうですね。何故俺が危険が迫りつつある事を感じたのか? という辺りですか」
それにマリエルは首を横に振った。
「それは当然いただける情報ですね。私に何か頼み事があるのに、それを出し惜しみするムラタさんでは無いでしょう?」
「そういう貴女の反応がね――」
タバコを咥えたままの無表情で、ムラタは応じる。
「――ハッキリ言って俺好みです。正直、上手くやっていけるのではないかと考えてしまうこともある」
「それは!」
思わず声を上げたマリエルを、ムラタは変わらぬ無表情で制した。
「例えば、こうも考えます――マリエルさんが俺に好意を抱く“計算”。それはもちろん会誌絡み。マリエルさんは考える。どうしたって自分はこれから足を洗うことが出来ない。それなら理解ある相手を最初から見繕った方が将来的にも手間が少ない」
そして、無情を通り越して外道な理由を並べ始める。
やはり無表情のままで。
それに対してマリエルは――反応できなかった。
ムラタの分析もまた真実であると、とうの昔に自己分析を終えていたが故に。
「実は、そういう性質もまた俺好みなんですよね。互いに依存しない。むしろ定期的に敵対する。どうもこれが俺の好みらしい。その点、頭の何処かに冷めた部分を持ち続けているところは、ある種、俺の理想的と言っても良い」
「会誌のことがあるのにですか?」
「はい。即座にそこに辿り着くのも素晴らしい。貴女は常に疑問を抱くことを忘れない」
ムラタはようやくタバコの灰を落とした。
「疑問を抱くことと同時に、それと同時に自分がどう動くのか? そういう基準がないと、結局疑問に振り回されますが……貴女の欠点はその基準が完全に見えてしまっている点ですね」
「それでは――」
――貴方の基準は何でしょう?
そう言いかけたマリエルはすんでの所で口を噤むことが出来た。
口にしてしまえば……
「では、情報の開示と行きましょうか。マリエルさん、他領の事はご存じですか?」
「……いえ。王都のことほどには」
何とか心を立て直しながら、マリエルが応じる。
ムラタのサービスはここまでだと理解出来てしまうのがマリエルであるのだ。
そこに希望を持つか、果たして哀しみを感じるべきなのか。
ムラタは、それらを一切無視して話を進める。
「もっとも俺も大して知ってるわけではないんですけどね。問題はリンカル領」
「リンカル領なら多少はわかるかと」
何と言っても経済的に有力な領だ。
それだけに王都との交わりも多い。
必然的に王都の住人であるマリエルも、ある程度は詳しくなる。
「あそこを実質的に収めているゴードンのことは?」
「え? ああ……はい」
マリエルが意外に感じたのは、ムラタがゴードンを呼び捨てにしたことだろう。
そして呼び捨てにしているという情報を開示したこと。
……少しは、甘めにみて貰っているようだ。
そう感じたマリエルの鼓動が少し早くなるが、それをマリエルは自分で無視することに決めた。
何しろ、ここから先は聞き逃すわけにはいかないのだから。
「随分な辣腕家と伺っております」
だからこそ逆にムラタに話しかける。
言わずもがなの事柄を。
「……そもそも前ギンガレー伯排除を依頼してきたのも奴ですからね。その仕事は無事済ませましたから、今度は俺の番と言うことで」
「そう……だったんですか?」
「その辺りはお話しする機会もあるでしょう。で、そのゴードンがリンカル侯を伝書鳩に使っての連絡手段の構築を目論んだようでして」
「え?」
「この辺りは奴の茶目っ気なんですがね。連絡方法が1つだけとか、そんな馬鹿な話は無いですし。実際、他にも方法はあるんですが、確かに魔法具の使い勝手としてはリンカル侯を利用するのが1番早そうですし」
「それで……一体何が?」
ムラタが意図的にぼやかしていた部分にマリエルは踏み込んだ。
それにムラタは満足そうに笑みを見せる。
「“大密林”です――とうとう異常が確認出来たようですよ」




