それは皮肉に“藪の中”
自分の世界で知ったその言葉――
それは紛れもなくムラタのお気に入りだったのだろう。
心なしか、ドヤ顔を浮かべている。
そしてタバコを取り出そうと胸元に手を入れたが、結局タバコは出さなかった。
一方で、ムラタが考えていたほどには感銘を受けなかった様子のロジーとマリエル。
もっと言えば、それがどうした? というような心境ではあったのだが、ムラタの表情から見て、そう単純な話になりそうもない。
それを察したのか――はたまた予感していたのか、ムラタはそのまま説明を続けた。
「元々、物語の作り手は“嘘つき”なんですよ。これはおわかりでしょう? これまでは実在の人間を登場させていましたが、物語で描かれることは本物だという証拠がない。つまり“嘘”なんですよ。基本的にはね」
「で、でも……」
自らも会誌を愛し、そして自ら物語を作り始めたマリエルが抵抗してみせる。
だが、それもまたムラタの予想通りだった。
「はい。実は会誌の価値に“本物”であるとか“嘘”であるとかは意味を持たないんですよ。つまりは読み手の心にどれだけ訴えるものがあるかどうか――」
――価値はそこだけ。
あっさりとそう結論を出したムラタ。
そこで立ち直ったのがロジーである。
元々、編集としてアンジェリンに接していたのであるから、当然と言えば当然か。
「ああ、でも好きな人も嫌いな人も……」
「それはどんな商品だってそうですよ。服見ればそうでしょう? そして、そんな風に色んなニーズに対応できるんですよ。小説というものはね。そしてそれは、根っ子が“嘘”だからなんです」
「ああ……」
思わずマリエルが、ため息のような声を発した。
「それでも、純文学とかそういう方向に舵を切りたい連中は、そんな小説で真実を描こうとしている。謂わば一点突破ですね。これだけなら方法論としては、俺も頷けなくもない。ただ、真実に届く探求を続けているだけで、そこには何の偉さはないんですよ。ああ、政治と同じですね。時々いるでしょ? 『俺はこんなに頑張ったんだ』と偉そうにする連中」
「……それ政治とか関係ないですよ。けど、ムラタさんが純文学を嫌う理由がわかった気がします」
ロジーが苦々しげに、ムラタの説明に同意して見せた。
「となると……」
「そうですね。純文学以外の小説はどうなっているのか? という問題。こちらは最初から嘘である事を隠そうとはしません。簡単に言ってしまうと荒唐無稽――」
「なんと仰いました?」
すかさずマリエルが尋ねたことで、ムラタは自分の失敗を悟り、しばらく宙に視線を漂わせた。
「……どうやって会話してたんだ、今までの“異邦人”は。ええと、つまりいきなりマドーラが少年になってしまうとか、そんな話を組み立てようとする」
そんな例え話が、強烈すぎたのだろう。
特に接することが多いマリエルが目を見開いた。
「そんな無茶苦茶な」
「そう。まず普通には考えられないところから始める。でも、考えてもみて下さい。前のギンガレー伯絡みの話は無茶苦茶とまでは言いませんが、基本的にはなさそうな話でしょ?」
「それは……」
そう言われてみれば納得せざるを得ない。
だが性別が変わるという事は何とも受け入れがたい。
「そこを何とか仕組みを考えるんですよ。単純にマドーラが何らかの理由で男の子の格好をしなければならなくなったとか」
「ああ」
「そうしなければ、将来的に本当に男になってしまう呪いをかけられた。これはこっちの世界では説得力があるのかな?」
「いや……それは無理ですよ。おとぎ話にありそうな気もしますけど」
ムラタはそんなマリエルの反応に頷きながらも、さらに仕掛けを上げていった。
「マドーラに原因を求めなくても良いんですよ。例えば、周囲の人間が幻を見るように魔法をかけられた。これでも現象的には同じ事になる」
「それは、そうかも」
ロジーが、思わず頷いてしまっていた。
「何しろ、読み手が与えられるのは、ただの文章ですからね。書くことも自由なら書かないことも自由なんです。これで、無茶苦茶にかなり説得力が出てくるでしょう?」
「なるほど。それで……」
と、言いかけたところでマリエルがふと眉を潜めた。
「気付きましたか?」
「ええ。こちらも真実を探求……というか真実を作り出そうとしている、ですか?」
ムラタに誘われるように、マリエルがそう口にした。
「結果的にそうなってしまってるんですね。もっとも最初の無茶苦茶さが桁外れであった場合、どうしても無茶が出てくる。しかし、真実を探求するのだと息巻く方法と、嘘をつくのが商売だと、覚悟を決めた上で、嘘を真実に近づけようと、細心の注意を払って物語を構築する――真実に近付くのが究極の目的であるとするなら」
ムラタは、小さく呼吸する。
「――果たして、より真実に近付くのはどちらの方法だと思われますか?」
「それは……」
ムラタが答えを持っているのではないのか。
二人は、ムラタの言葉を待つように、しばらくムラタを見つめ続けるが、ムラタは言葉を放とうとはしない。
どうやら、教えるつもりはないようだ。
あるいはムラタ本人が、答えを持っていないのか。
その代わりとでも言うように、ムラタは肩をすくめる。
そして――
「――そう言えば、俺の世界には“史上最高の嘘つき”と呼ばれていた物書きがいたんですよ」
「物書き……なんですか? 詐欺師とかではなく?」
その物騒な表現方法にロジーが先に反応した。
「ええ。物書きとしては、大成された方でしてね。あの方に対して文句言ってる、純文学ッカーは覚えがないですね。純文学とは違うタイプの物語を作っていた方でしたが」
「それはどんなタイプの……」
「これは、今回の騒動にちょっと関係がありますかもしれません。その物語で出てくるのは実在の人物です――ただし、かなり昔の人間」
「……それでも……」
やはり家名が大事の世の中では厳しいものがあるのだろう。
マリエルが難しそうな表情を浮かべるが、ムラタはそれに構わず話を先に進めた。
「俺の世界では、意見だけなら割と自由でしたから。今回のように同時代の人間で物語を作るのはいささか問題もあった気もしますが、歴史、ということになってしまえばかなり好き勝手です」
「好き勝手?」
「ええ。それこそ、男が女に、女が男に、とかもありますよ珍説の類いでしたが」
「それで“史上最高の嘘つき”ですか?」
マリエルがそう確認してみると、ムラタは待ち構えていたように薄く笑った。
「そんな手口じゃありませんよ。その方はね。徹底的に資料を調べます。それこそ専門家裸足でね。微に入り細に入り、周到に“真実”を構築している――様に見える」
「見える?」
オウム返しに尋ねるロジー。
だがそれもまた、ムラタの思うがままの反応だったのだろう。
「そう……見える。何しろその方が構築した“真実”は多くの資料によって裏付けされている。その方が構築した物語に誰も疑義を挟み込むことが出来ない。何しろ、その方以上に資料を精査しないと反論もおぼつかない――ということは?」
「嘘が紛れ込んでいても、誰もそれを気付くことが出来ない――確かに“史上最高の嘘つき”ですね」
嘆息と共に、マリエルが答えに辿り着いた。
だがロジーは納得行かなかったのか、確認してきた。
「……それで実際には?」
「それはね。後になって資料が間違っていたりとか、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ……これは?」
「大丈夫ですよ」
マリエルが端的に保証した。
「……つまり、その方も近い時代のことを書いてしまうと、どうも経験が優先された物語を構築したのではないか? などとね。そう言われることもあったわけですが……」
「その手口、というか方法は尊敬されたままなんですね。しかしそれは……」
「そうですね。純文学とは扱いが違う、ような文句の付け方もあるんですが、そこに真実を描き出そうとする目的は同じ。その点、純文学はねぇ……あまりにも手口が杜撰で。もっとも“嘘をつくのが商売”も商売相手が間抜けであれば必然的に、嘘のクオリティが下がる一方ですから」
「……ん?」
マリエルが怪訝そうな声を上げた。
「あのそれだと“嘘をつくのが商売”という言葉自体も嘘、なのでは?」
その言葉にムラタは本格的に、ニヤニヤといやらしく笑い始めた。
「――はいそうです。どれが本当なのかわからなくなるのが物書きの世界の当たり前。こんな言葉もありますよ。“現実は幻 夜の夢こそ本物”。これまた物書きの言葉なんですけどね」
――さて。
言うだけ言い切ったと言わんばかりに、ムラタは仕切り直す。
「今までの俺の話を……そうですね。“アスハム”の書き残したものが見つかったとか何と理由をくっつけて、アンジェリンさんに伝えても良いですよ。というか、それが俺の精一杯です。基本的に俺は純文学ッカーの敵なんですから」
「それは……」
「けっこうサービスしたと思いますよ。今までの話を組み合わせて、順番を変えて……編集なら、作り手をその気にさせるのも仕事の内です。今回、ノラさんには随分世話になりましたし……」
そこでムラタは意図的に、語尾を濁した。
ロジーは唾を飲み込む。
それはわかりやすく、ムラタが示した危険信号。
――即ち、これ以上は踏み込んではいけない。
そんな後ろ向きなコンセンサスが成立したところで、この会合はお開きとなった。




