わざわざ異世界に行かなくても
再び、静寂が襲いかかってくる――
死罪。
その言葉の意味がもたらす現象だろう。
そして「殺したい」と言い続けていたムラタのかつてからの発言を、全員に当たり前に思い出させた。
「君……それは行われないと確認したんじゃないのか?」
「俺としては死罪の方が親切だと思うんですけどねぇ」
ただ1人、ハミルトンだけがその静寂を打ち破った。
ムラタも、それに未練たらしく抵抗して見せたが、肩をすくめる。
「あ……あの……」
その一連のやり取りに、どうにも理解が追いつかなかったギンガレー伯はわかりやすく右往左往。
「ああ、なんでも高貴な方への処刑はまず無いそうで。俺には十分だと思うんですが、とにかく未遂であることは間違いないわけで」
「どうしてそんなにもったいぶるんだ? 話の続きをしてくれればいいんだ。」
なんとかギンガレー伯を中心にしようとムラタは試みているようだが、ハミルトンはそれを飛び越えての、何かしら死罪にまつわる話を要求しているらしい。
ギンガレー伯が理解出来たのは辛うじてそれぐらいのものだったが、無慈悲に話は進行するようだ。
自身の処刑や死罪については置いてけぼりにした上で。
しかしムラタは、こう発言することで話が脇道にそれることを容認した。
「……ギンガレー伯の選択肢も増える可能性もありますし」
「そうだな。どうしたら『死刑を嫌がるなんてそんな野蛮な』という言葉に繋がるのかがさっぱりわからない」
「それ、もしかしたら長くなるかも……」
「構わない。私は明日、休暇だ――ああ、もう今日か」
「…………」
その発言にはムラタのみならず、大貴族2人も鼻白んだが、とにかく譲るつもりがないことだけは、これ以上無いほど伝わった。
実際、ムラタの話に興味がある事も確かである。
そんな空気を感じて、ムラタはいよいよ覚悟を決めたようだ。
「――俺のいた世界では死刑を廃しよう、という感じの流行がありましてね。いや、流行というのは俺の願望で、実際にはそういう考え方が進歩的だ、みたいな潮流がありまして。それが果たして主流になったのかどうか」
「その流れ自体が信じられない話なんだが、いったいどうしてそんな事に?」
いよいよ話が自分の望む方向に進んだので、ハミルトンが嬉々として合いの手を入れる。
ムラタも、それを活用した。
「簡単に言うと『死刑は野蛮だ』という話になると思われます。あんまり馬鹿の主張なので、私はすぐ立ち消えになると思ったんですが、これがなかなかしぶとい。いや主流になりそうで……そうなったらいよいよ人類は終わりですから……」
ムラタが何やら言い淀む。
だが、すぐに立ち直り、言葉を継いだ。
「……簡単に言うと人類という“種”としての覚悟の問題です。こちらの世界では様々なモンスターに実際に神なんて物が存在するわけですが、俺の世界においては人類の上位者なんかいません。神なんて便利なシステムもありません。つまり、人類は人類を裁かなくてはならないのです。それなのに、死刑を野蛮だと言うような輩は、まったくその覚悟がない。人類は自分で自分の面倒を見るしかないんですよ」
「……死刑を嫌がるだけで、覚悟はない、というのは乱暴に感じるが……」
「だから話が長くなるんですよ。実は死刑回避の根っ子には宗教とか、それに付随する利権とか色々あるんです。それを説明すると話が長くなりすぎるので、実際に長い間、死刑を執り行わなかった歴史を持つ国の話をしましょう。俺の国なんですけどね」
「うん? 話がわからなくなった。君の国では死刑はあったんじゃ無いのかい?」
「そうです。それで回ってたんですが、それを無くそうとしてたんですよ。まぁ、他の国もそういう感じだったわけですが――俺が話をしたいのはざっと1000年前ぐらい俺の国の話です」
「1000年……」
その言葉に思わず、ハミルトンが息を呑む。
それは、その年月を実感したわけではなく、1000年前の出来事を当然のように語るムラタに圧倒されてのことだろう。
「……それは記録か何かに残っておるのか?」
「はい。死刑がありませんでした」
ムラタは、そんなメオイネ公の問いかけにあっさりと答える。
「考えると、どうも最近の流れと根本的に同じ部分があるように思いますが、まぁ、その辺は軽く。宗教絡みになると面倒になりすぎます。だから現象だけ。死刑がなくなった結果、国はどうなったか? です。これも記録に残ってます」
「う、うむ……」
メオイネ公が、その矛先を引っ込めた。
ムラタの言い分で、そのややこしさを感じたのだろう。
「――当たり前に大いに乱れました。何しろ為政者としての仕事を何もしてないのと同じなんですからね。考えてみてください。死“刑”は無くなっても、当たり前に“死”という現象はあるのです。つまり為政者は、その現象に対する事象を放棄したんですよ。これ真っ当な国と言えますか?」
ムラタは懐からタバコを引っ張り出した。
「もっと言えば国が死刑を廃止しても、人が人を死に追いやる――つまり“殺す”ですね。死刑を廃するということは、それを抑制する為の手段としての“殺人”を否定したのです。これはね。ハッキリ言って、国が存在する意味が無い」
「国の……意味……」
「国の役割は様々ありますが、大まかに一纏めにすると、汚れ仕事を請け負う、ということなんですよ。普通は人は人を殺したくないんです。一部の異常者を除いてね」
では、予てから殺したいと明言しているムラタとは何なのか?
……誰もがそのツッコミを胸の中にしまい込んだままで説明は進められる。
「だからそれを国に任せて、多くの人間はそれを見ずに済ませようとする。だがそれでは回らないので、そういった仕事に従事する者達を尊崇する――貴方がた貴族が“貴ぶ”と言われるのも、正にこういった側面があるからだと思うんですよ。子供を躾けていて、こんな言葉聞いたことありませんか? ――人の嫌がることを積極的にやりましょう、みたいな」
だがそれにはこの場の者は誰も首を縦に振らない。
その様子を見て、ムラタはため息と共に紫煙を吐き出した。
「これがまぁ、問題のある状況でしてね。何故自分たちが貴ばれているのか、貴方達は誰も疑問に感じてないということでしょう? 人の営みの中で、貴ぶ、という現象だけが乖離してしまっている。実はこれも“見ずに済ませたい”という習性が働いてるんです。汚れ仕事を押しつけている、という本質を覆い隠したいから、貴ぶ、だけが残ってしまう。結果として、悲惨にな事になったのが1000年前の俺の国」
――そう言えばそんな話だったか。
ムラタの話は錯綜しているようで、その実、必ず元に戻ってくる。
その時には、何故か諦観を伴ってしまうのは不思議な話だが、ギンガレー伯まで、それに巻き込まれているのが気の毒といえば気の毒と言えるかも知れない。
ただ感情が摩滅したと思われるペルニッツ子爵まで頬を上気させているのは流石と言うべきか。
「何しろ当時の為政者――と言っても良いのかどうかも難しいところですが――は、政治に携わることを汚らわしいとして、退けた痕跡すらある」
一方で、ムラタの方はいよいよ回転数を上げたようだ。
その結果、何かとんでもないことを言い出してしまった。
「ま、待て。話が飛んで……はいないようだが、そういう結論になる理屈がわからん。それに、それで何をやっていたと言うんだ?」
流石にリンカル侯が、ムラタの説明を遮った。
しかし、そんな風に遮ってしまうのも無理はない。
ムラタは、もっともだと言うように、タバコの灰を携帯灰皿に落とす。
「その理屈は俺に説明させないでくださいよ。俺にだってわかるはず無いでしょ? 俺はこれでも仕事をしてるつもりなんですから。それも“汚れ仕事”をね」
「私には、嬉々としてやっているように見えるが……とにかく理屈はわかった。つまり、そういった“汚れ仕事”を嫌がるあまり、仕事それ自体を放棄したと」
父親の疑問をフォローするかのようにハミルトンが纏める。
それを、タバコを咥えたムラタが小さく頷いて肯定した。
「“貴ぶ”だけを残した形でね。これが死刑を嫌がる人間の世界のなれの果てです。せっかく生きた事例があるのに、まったく人間は学ぶことをしない」
まるで自分が人間以外であるかのような物言いだが、そもそもムラタはこんな風に鼻持ちならない“人間”である。
「……私からもよろしいですか?」
「もちろん。どうぞペルニッツ子爵」
ムラタが機嫌良く、ペルニッツ子爵の申し出を受けて見せた。
果たしてそれはペルニッツ子爵が、ムラタをこの場の最上位者と認める言動であることを示した物でもあった。
その場の最上位者だけが、発言の是非を問える。
そんな事は、今更確認するまでも無い当たり前の礼儀。
では、いつから――
ギンガレー伯は、その事実に気付き愕然とするが、ペルニッツ子爵はそれをさらに主張するかのように、ムラタに問いかけた。
「では……その1000年前の貴族は何をされていたんでしょう」
「そうですね。そこは当然の疑問になるんですが……ハッキリ言って本筋と離れすぎるので……」
「手早く頼む」
ハミルトンも加わってきた。
そこでムラタも、タバコを咥えたまま後頭部を掻いた。
そして――
「――詩を作ってました」
「なんだって?」
「あとそれで歌ってました」
ムラタの追撃で、とうとう絶句した絶句する“異世界”の人間達。
――そして、ムラタの舌峰が鈍る。




