MMORPG脳とTRPG脳
ドノヴァンの前に並べられているのは、猪口に注がれた辛口の日本酒。もちろんお銚子だ。
さらに肝吸い。
そして、柔らかく蒸された白焼き。
ドノヴァンはホクホクというSEが聞こえてきそうな面持ちで、白焼きを箸で切り崩した。
そして、あたかも貴重品でも運ぶような手つきで自らの口元に運び、口腔内でたっぷりと香り、味を堪能した後に、日本酒で、キュ! と締める。
もちろんドノヴァンの部屋にコタツが標準装備されていることは言うまでも無い。
半纏を着込んで丸まった背中に充足感を感じる。
そのドノヴァンの周りには火鉢まであるという。
部屋は相変わらず狭い。
狭いがしかし、満たされている。
手の届く範囲に“全て”がある。その幸せを味わってしまった今、富を積み重ねることの虚しさも、同時に感じることが出来、必然、それが心まで豊かにしてくれる。
そんな幸せに誰よりも共感しそうな男。
そして、ドノヴァンの部屋から慎みとかそういった物を排除してしまった元凶。
ムラタは今――
「なんで白焼きなんか気に入るんです? 本当に話が合わない」
相も変わらず文句を並べていた。
ドノヴァンはそれに構わず、山葵をたっぷりと載せて、二口目の白焼き。
肝吸いに口を付けるタイミングをはかるのに夢中で、ムラタの声に構うことは無い。
ムラタもそんなドノヴァンの様子に諦めたのか、向かい側に座ってコタツに足を突っ込みタバコを取り出していた。
そしてしばらくはジト目で、ジッとドノヴァンを見つめる。
何かに悩んでいるような……そんな雰囲気だった。
「……なんだい? おいらを始末しに来たのかい?」
ついに肝吸いを啜りながらドノヴァンが尋ねる。
それに動じる様子も無く、ジト目を続けるムラタ。
だがドノヴァンがそう考えるのも無理は無い。
何しろ以前でっち上げて、ドノヴァンが気に入ったと伝えていたのに本人が嫌がって用意しなかった“白焼き”が出てきたのだ。
それもフルセットで。
それを素直に喜べるほどには、ドノヴァンも無駄な年齢を積み重ねてきたわけでは無い。
「始末する選択肢はあるんですけどね。今、進行中の作戦においては貴方を生かすという選択肢の優先順位が高すぎて」
「へぇ、そうかい」
ドノヴァンが口の端を吊り上げた笑った。
「おいらも何とも気に入られたもんだ。そんな事まで教えてくれるなんてな」
「……俺が嘘言ってる可能性だってありますよ」
「そんな時には、おいらを先に始末するだろ? どういう思惑があるのかはわかんねぇけど、とにかく邪魔しなけりゃ、おいらは安全ってわけだ。それにこんな旨い物をくれるしな」
ドノヴァンが、そう言ってうむうむと頷いてみせる。
それに再びムラタは渋面を浮かべた。
「蒲焼きの方が旨いでしょ」
「いんや。白焼きの方が旨い」
また対立構造になってしまった。
それも果てしなく、どうでも良いようなことで。
これはある意味、2人の仲の良さを証明しているのかも知れない。
「……それで安全を確認して、やりたいことは何ですか? 魔法のことだと思いますが」
「それよ」
ドノヴァンが、キュ、っと猪口を呷って唇を湿らせる。
再びムラタの依頼を受けて、ドノヴァンは新しい魔法具の開発に着手した。
最初はドノヴァンのほんの手すさびで始めた物で、ムラタもさほどせっついたわけでは無い。
「こういう物が出来るか?」
という、実験に近い取り組みだった。
ドノヴァンもそれに気楽に応じた。
元は楽隠居のつもりであるし、趣味の一環ならば気負わずに“暇つぶし”が出来る。
またその時にムラタの話を聞くのも楽しみになった。
まずムラタが切り出したのは、
「ベントロリキズム、ってありますか?」
だった。
言うまでも無く翻訳スキルが悲鳴を上げた。
上げたがしかし、辛うじて翻訳には成功する。
「うわ、またこれか……ああ、でも……わかるよ。腹話術の事だな」
「あ、それはあるんですね。そういう名前の魔法は?」
「兄ちゃんは、一体何を言ってるんだい?」
そうドノヴァンが返したときのムラタの表情こそ、見物だった事は言うまでも無い。
そのあと、リプレイスサウンド、とムラタが言い出してさらに混迷が深まることとなったわけだが、ムラタはそこでアプローチを変えた。
「……もしかして音が伝わる仕組みが周知されていない?」
そこから、ムラタによる簡単科学講座が始まる。
この辺りは本当に趣味と言うか、道楽だった。
その終着点に舞台で使えるかも知れない、という下心があったことは間違いないだろう。
だが、いつか完成するだろう。
いや完成しなくてもイイや、という緩さが確かに存在したのだ。
それが5日ほど前に、いきなりムラタの様相が変わった。
「音だけを記録する魔法――いや魔法じゃ無くて良いんです。むしろ魔法具で作ってください」
いきなり要求が峻烈さを増した。
これがいきなりの話であれば、さすがにドノヴァンも断っただろう。
だが趣味で進めていた研究は実を結び始めたところで、何とか形になりかけていたところだった。
そして、程なく完成する。
ムラタ命名――「録音」の魔法具の完成であった。
それほど小型には出来なかったが、首に巻き付くように――つまり襟のように――集音部分が備わっており、実際に音を貯める部分は背嚢のように背負う形だ。
あからさまに後ろ暗い形状で出来上がってしまったわけだが、これもムラタの要求通りというわけだ。
この魔法具がどのように使われるのか。
ドノヴァンは、関心を持たないようにした。
年齢を重ねて、諦めることにも経験を重ねたドノヴァンにとってそれは容易いこと。
だがしかし――
どうしても確認しておきたいことがあった。
そしてそれが今、ドノヴァンがムラタに聞いておきたい事。
即ち――
「……魔法使い達は間違っていたのかい?」
若い頃であれば、ドノヴァンも血を吐く思いでその問いを発したことだろう。
それほどにムラタのリクエストは、ドノヴァンにパラダイムシフトを強いていたのだ。
より高威力に。
より広範囲に。
それこそが魔法研究で生み出すべき成果だったはずだ。
それなのにムラタの発案で作り出した魔法と言えば、
「平面」
「白黒」
そして、
「録音」
である。
威力に意味は無く、範囲も限定的。
それなのに人の生活に役立つのは間違いなく、これらの魔法だ。
では、自分が修めてきた魔法とは一体何だったのか?
ドノヴァンが、そう疑念を覚えても仕方が無い。
「ああ、それは単純に今までの“異邦人”がバ……頭が不自由だっただけです」
そんなドノヴァンの苦悩も何処吹く風。
ムラタはあっさりと答えを導き出した。
それも、ドノヴァンが思いもよらなかった方向から。
「な、なんだい? “異邦人”が悪いのかい?」
「そうですよ。この世界に放り込まれた“異邦人”は、魔法を発展させるだろうという期待があったはずです。それがまぁ、さっぱり発展してない。恐らく神が選ぶ選択基準がおかしいんですよ」
いきなり話が大きくなった。
「神様だって?」
「これはアティールだけなのか他の3人も噛んでるのかは知りませんけどね。恐らくMMO的思考がこびりついている奴らばっかり送り込んでいる」
ムラタの説明に遠慮が無くなってきている。
そして、上手く伝えようという気も無いらしい。
何しろさらにムラタの説明が続く。
「魔法の発展を促したかったのなら、TRPG的思考の持ち主で無いと、どうしたって偏ります。かたや戦闘だけが花形の趣味。かたや、何とか異世界全部を構築しようとする趣味」
「しゅ、趣味なのかい? おいらには何の説明されたのかさっぱりわからないんだが、それでも何だか大仰な話をしてるのはわかるよ。それに……何だか不思議な言葉が混ざってるね」
「簡単に言えば“異邦人”がもたらすべき魔法には2系統あるということですね。で、今までは攻撃を中心にして……というか攻撃しか考えてなかった魔法が主流だったんですよ。幸い俺は、もう一つの系統の方が少しばかり明るくてですね」
確かにムラタはいつも以上に答えてくれる。
だが、その言葉には感情が見えない。
「……兄ちゃんは魔法使えないんだよな?」
思わず、そう確認してしまうドノヴァン。
それにもムラタはすぐに答えた。
「使えませんよ。ちなみに、元の世界でだって使えたわけでもないです。でもね。概念……いやこれは魔法の概念を知っているわけではないですね。世界の概念を推理した――こういった言い方の方が正解に近い気がする」
変わらず淡々と。
ムラタはタバコを燻らせながら、独り言のように。
一方でドノヴァンはたまったものでは無い。
すっかり肝吸いは冷めてしまい、熱燗も温んだ。
それでも白焼きに、多めの山葵を塗りたくり気付け代わりに口に放り込む。
「……それに世界の謎を知る。この考え方は俺の世界の“魔法”に似たような概念がありますね。魔法があるならば、という前提が必要ですが」
そんなムラタの声――言葉では無く声――に、ドノヴァンはついに思い至った。
これは弔辞だ。
葬儀の時に並べられる声の響きに似ている、と。
では、誰の葬儀であるのか――
「ああ、リンカル領にお帰りになるとしても、しばらくは王都に留まり続ける事をお勧めしますよ」
そんなドノヴァンの様子を見て、ムラタが察してしまったらしい。
一転してにこやかにドノヴァンに声を掛ける。
「兄ちゃん……」
「遅かれ早かれ、俺は1人になる。それがどんな世界でも俺に示され続ける“答え”ですから」
そういってムラタは、タバコを携帯灰皿に放り込んだ。
――まるで自分自身を捨てるように。




