なぜ彼は1人だったのか?
夕空が映える時間帯――
2人の女性が王都の職人街を歩いていた。
1人長いダークブラウンの髪。
片方は、金色の髪をショートでありながら短いツインテールに結っていた。
出で立ちは両者とも冒険者風。
神官職と斥候職――つまりはクラリッサとリナである。
午後からマドーラの警護に回ったメイルとアニカ。
そこでリナ――もう一つのサークル「鎹同盟」についてもまとめて――の面倒を見ているのがクラリッサというわけである。
クラリッサの四角四面な融通の利かない性格は、リナを制御するのにうってつけだとも言える。
それに併せて、今回のような力仕事には。
逆に言うと、リナはかなり役に立たない。
その分、大人しいのだが……
2人が職人街にまで出向いているのは、発注していた革製の“栞”を受け取るためだった。
別に売ろうと言うつもりは無くて、次の膝下会で配るためである。
ちなみにタダ。
栞というアイデア自体はムラタから出されたものだが、タダで配ろうという考え方自体は、主催のカトリーヌから出されたものだ。
その発案をムラタに伝えたところ、ムラタは苦笑を浮かべながら首を振った。
「何? やっぱりタダはダメ?」
メイルがそう聞いてみると、ムラタは苦笑を浮かべたままでこう告げた。
「どうにも儲けすぎて、贖罪したくなるという現象はこっちでも起こるんだ、と思ってな。俺の知ってる限りでも儲け度外視で、あれこれ配るサークルは――もちろん俺の世界での話だが――複数発生している」
実際「鎹同盟」は売り上げ的に「車輪会」を上回っていた。
基本的に書いている物が、謂わば大衆的ではあるからだろう。
つまりはわかりやすくエンターテインメントであったわけだ。
そのため勢力は拡大の一途を辿っていた。
だがそれでも「車輪会」の愛好者の牙城を崩すことは叶わなかった。
これには支持者の性質の違いが現れている。
「鎹同盟」の支持者は、その作品の性質上、自己批判も含めた批判的なスタンスを持っている者が多い。
一方で「車輪会」の支持者たちは、多分に叙情的だ。
それはどうかすれば狂信に陥る危うさ――いやもう陥っているのかも知れない。
その「車輪会」に加わった新人は、どうにかすると「鎹同盟」の作品を批判でもって切り伏せてしまう論客である事も、事態をややこしくしている原因だ。
何しろ中心人物であるカトリーヌの作品こそ無事であったが、他の作品は皆ダメージを食らっている。
論客は元々「鎹同盟」の支持者であるから、その創作の手法を心得ていることも大きい。
そして、この“裏切り者”に対することで、論理的に作品を構築しようとしていた「鎹同盟」の中で叙情的な作品に逃げようとしていつものまで現れていたのだ。
それこそ論客の“大好物”であるのだが……
とにかく、そういった事態であるからカトリーヌ自身は伯爵絡みのカップリングに興味が薄れていても引くに引けない。
それがムラタの望みと合致してはいるのだが、まさか論客――つまりはマリエルの策中に嵌められているとは流石に気づけない。
もちろんリナもそれに気づけないでいるので、今もこうやって勢力拡大のために栞の手配に動いているわけである。
彼女はもっと売れる題材があるのに……と、不満たらたらではあるのだが3人娘の監視よろしく、何とか我慢していた。
それでも「鎹同盟」が保持するに至った資金力の恩恵は十分に受けてはいるのであるが。
それに「鎹同盟」のストロングポイント、巧みな絵師の活用については確かにセンスがある。
革製の栞にキーンの姿をカリチュアライズされた絵を、焼き印する。
この発想、そして実行までやってのけたのは確かにリナであるのだ。
だからこそ、いつまで髭だるまにこだわらなければならないのか――という具合に堂々巡りをしてしまう。
「リナ、重くはないか?」
その栞が詰められた木箱を小脇に抱えながら、フルプレートのクラリッサが声を掛ける。
革鎧という軽装姿のリナに。
どうにも当てつけに思えてしまうが、クラリッサとはそういう人物だ。
リナもそれは理解していたが、木箱を両手で抱えて、びっしりと額に汗を浮かべている状態では、返答も難しい。
ましてやクラリッサの持っている木箱よりも小さな木箱であるから、文句の付けようがない。
そしてこういった自分の状況を、
(クラリッサに追い込まれた)
と感じてしまうのも、リナのリナたる由縁だろう。
重さ以上に、何かしら耐えきれぬ表情で口を開こうとした時――
「クラリッサさん!? 久しぶりだな」
声を掛けてくるものがあった。
夕陽に輝く真新しい金属鎧を身につけた……
「ヨハンか! 確かに久しぶりだ。ギンガレー伯爵閣下にお仕えしていると思ったが……」
そう。
謂わばクラリッサとは同郷であるヨハンがそこにいたのだ。
「今でもそうだよ。伯爵様の警護をしてる」
「だがここは……」
貴族が普通、足を踏み入れる地域では無い。
用があっても、自分の屋敷なりに職人を呼び出すのが“通常”の手続きになる。
「伯爵は王都で大人気だからな。今はそこの職人のところにわざわざ出てこられて、注文くださってるところだ。知ってるかな? 今浴場で……」
「もしかすると『サマートライアングル』のことか? 新しい衣装関係で」
「流石に知っていたか。クラリッサさんも、女の人だな」
言いながらヨハンはニヤリと笑った。
何かしら自慢げに。
何しろヨハンと出会ったのは織物を手がけるギルドの前だ。
となれば、そうと気付かない方がおかしい。
「あの刺繍がされた物が今評判だろう? それにさらに工夫をした物を伯爵様は注文しに来られたんだ。実はあの衣装のアイデアは伯爵様が出されたものでな」
「ほ~~」
そのヨハンの言葉に、クラリッサの声が1オクターブ下がった。
そんな風に、ギンガレー伯爵が喧伝していることは王宮も掴んでいた。
だがムラタの指示で、その件は放置、と通達が成されている。
クラリッサは目一杯我慢をすることでなんとか、その場を堪えていた。
いや、やはり我慢出来なかったのか逆襲に転じた。
「ヨハンは1人だけなのか? キーンはどうした?」
その言葉にピクリと反応するヨハン――そしてリナ。
「……キーンはほら……伯爵様と一緒だよ」
「そのギルドにか? 警護は? お主は良いのか?」
矢継ぎ早にクラリッサが尋ねていくと、ヨハンの表情がドンドン曇っていく。
その反対に、リナの表情が輝いていく。
「……それよりも王宮には、あの男がいるんだろ? 相変わらずなのかよ」
「ヨハン。お主まだそんな風に拗らせているのか? あの方が何も言わずに去ってくれたからこそ、ノウミーで立場を失わずに済んだのだ。だからこそ閣下の覚えもめでたくなって、今がある。それがわからぬわけではあるまい」
「…………」
先ほどまでの自慢げな様相は何処へやら。
ヨハンは黙り込んでしまった。
「ねぇ、紹介ぐらいしてくれない」
その隙に、リナが声を挟んできた。
「ああ、すまない。こちらは故郷で同じ冒険者ギルドに所属していたヨハンだ。私たちとは違って伯爵閣下にずっとお仕えしているようでな――いや、そもそも私たちは正式に仕えたわけでは無いのだが」
「そうだよね。そうじゃないと王都のギルドに顔出すはずが無いし」
その点では納得したのだろう。
リナにしてみれば素直に頷いた。
そして、そのまま首を捻った。
「あれ? じゃあ、この人は……それに……あの……」
「キーンだな。故郷にいた時から、ヨハンとキーンは閣下のお気に入りでな。今はヨハンが外の警護を請け負っているのだろう。昔は不真面目なところがあったようだが、その点では成長したんだな」
どうやら、先ほどの質問攻勢は本気で疑問に思っていたようだ。
それがクラリッサの恐ろしい部分でもある。
もちろん、リナの方はヨハンの反応から何事か察したようだ。
忘れてはいけない。
何がどうあれ、リナもまた“腐っている”と言うことを。
「クラリッサさん。何か用事があるんじゃ無いのか? 伯爵様は嫌いなんだろ?」
「ああ、そうだった。それじゃあ、そちらも壮健でな――リナ行こうか」
「ああ、うん。――ねぇ、一体何があったの? 故郷で」
リナの不躾な質問をあしらいながら、2人は職人街を去って行った。
そして、それを見送る形となったヨハン。
夕闇に沈み始めた街並みに、自然と浮かんだ表情を隠すようにしながら――ヨハンは舌打ちをした。
□
「思いつきでよろしいのなら」
その頃、マドーラの部屋ではムラタとマリエルが真剣な表情で何事かを相談していた。
「もちろん、思いつきで良いんですよ」
「再開発中の港湾地区はどうかと思うんです」
そのマリエルの提案に、ムラタは目を見張った。
そして、タバコを取り出そうと胸元を探る。
マドーラの部屋なので、それはギリギリ抑え込むことが出来たようだ。
だが、その代わりに独り言を抑えることが出来なかったらしい。
即ち――
「……なにかこう……人間の業なんですかね、これは」
と。




