お姫様はセカイ系
「……つまり、ラフォール産の乾酪」
「ああ、名前はよく聞きますね。俺はチーズが嫌いなので、何とも判断はしかねますが」
「お主! チーズが駄目だと?」
「なぜいきなり怒り出すんですか? ああ、そうそう。焼いたチーズは大丈夫です。ピザとか……」
「ぴざ……とは何だ?」
「ああ、これがない……ということはパスタもない?」
「ぱすた? それも聞かない言葉ですね」
「と言うことは、デュラム小麦も厳しいか?」
「ええい! わかる言葉で話せ! 何だか小麦の話をしているのはわかるが……」
一応、今日の会合の本題に移行はしていた。
早速、ムラタが翻訳スキルに悲鳴を上げさせてはいるが。
カルパニア伯の紹介で、次に王都で流行らせるべきメオイネ領の産物を検討しているわけだが、そこにムラタが“異世界”の知識を容赦なく持ち出してくるので、話にいちいち水が入ってしまうという塩梅である。
ただムラタにしてみれば、今までパスタ関係をでっち上げてきた自分の振る舞いに動揺している面もあるのだろう。
翻訳スキルに無理をさせてしまうのも仕方がない。
そもそも今日、西洋料理の大元は? と問われればどうしてもイタリア料理になる。
そういうトリビアを抱えているムラタにしてみれば、どうしてもイタ飯の知識が混ざってしまうのだ。
これでフォアグラとかキャビアとか持ち出したら、話がますますややこしくなる。
ムラタもそこで一時停止して……説明を諦めた。
「カルパニア伯、他に印象に残っているものはありませんか?」
どだい無理だと諦めることの重要性というものが確かにある。
「そうですね……ああ、普通に肉料理が美味しかったですよ」
「アサードみたいな?」
懲りていないらしい。
ここでアルゼンチンの料理名をだして通じるわけが無い。
流石に、ムラタも自分の発言の至らなさっぷりに気付いたらしい。
どうやら食い気が先に立ちすぎているようだ。
ムラタはそれと悟り“アサード”について丁寧な説明を試みた。
「……つまり、小さな火で長時間かけて牛肉を焼くという。そういう料理です」
「それ、美味しいんでしょうか?」
「美味しいらしいんですよ。こっちの牛は当たり前に草食べてるわけでしょ? 条件は同じだと思うんですけどね。半日ぐらい焼き続けるとか」
「半日! それは存じ上げませんね。私が申し上げたのは普通に串焼きですから……そうだ! 王都で実験――」
「お、ぬ、し、ら!」
このままではメオイネ公がツッコミ続けて脳の血管が破れてしまうかも知れない。
「肉料理よりもチーズの素晴らしさを語らぬか! それに牛乳に関してもだ!」
……こちらも壊れ始めているようだ。
そもそもチーズ好きであるのか、年齢のため肉料理を忌避してしまうのか。
それでもしっかり、牛乳に関しては自慢したい気持ちがあるらしい。
「そうだメオイネ公。牛乳が届けられるのは有り難いんですがね。やはり魔法具で冷やし続けるというのは無理がありますよ。個人で取り寄せるなら、それで十分なんでしょうが王都で流通させるのはやはり厳しい」
「うう……やはりか」
「はい。そちらの領と王都の間に整備された大きな道があればあるいは……」
そこでムラタから、インフラについて提案が成される。
道を整備されることによって「瞬間移動」以外の魔法を使用して、高速で運輸させることが出来るようになるかも知れない、とメオイネ公にムラタは説明する。
そこにフォローを入れるのがカルパニア伯だ。
従来の街道は、あまりにも起伏のある場所を通り過ぎている、と。
もっと平坦な道筋を。
丘を削り、森を切り開き、馬車での運搬を容易く行えるようになると助かります、と。
ムラタのフォローでは無くて、単純に自分の欲求をぶちまけただけであったが、新しく街道を敷設するための新しい基準が、ここで形作られたようなものだ。
それにはメオイネ公も殊勝に頷いて、カルパニア伯が挙げる道筋を脳内で検討し始める。
ムラタもそれを見計らって、王家との共同出資で街道を整備してみないか? と持ちかけた。
ムラタがこういう事を言い出すからには、当然そこに親切心があるわけでは無い。
あからさまに行軍速度を頭に入れての、申し出であろう。
それに気付かぬメオイネ公では無いが、それを上回るほどの経済効果がもたらせることもまた事実。
何とも思案のしどころだ。
「……いや、それよりも先に浴場での“売り”をな」
しかし残念ながらと言うべきか、メオイネ公はこの場での優先事項を思い出してしまったようだ。
実はカルパニア伯が「ラフォールの乾酪」と言い出す前にも、あれこれと産物の名前は挙がっていたのだ。
多分に、堂々巡りの匂いを漂わせながら、出てくる名前は旨そうな食べ物ばかり。
それはそれで魅力的な土地であることの証明であるかも知れないが……それを浴場にどう使うべきか。
この辺りの答えが出てこないのだ。
「う~ん、カルパニア伯。お酒はどうですか? ワインとか」
「もちろん。ワインも見事なものでした」
不意に、ムラタがワインを議題に載せてみる。
「それだと、やはり俺は役に立てませんね。酒の類い、嗜みませんから」
「……何というか……お主、楽しみの少ない生活じゃのう」
「ほっといてください。これはこれで楽しいんです」
メオイネ公の言葉に拗ねたようにムラタが応じる。
そして拗ねたからにはムラタは報復を決意したようだ。
「そもそも、酒の類いは頭の中を破壊していきます。これは俺の世界では証明されているんです。そして俺自身は、自分の頭で何とか身を立てている自覚があるものですから、酒は遠慮しているんです」
「は、破壊とは、お主……」
不穏当な物言いにメオイネ公もたじろいだ。
ムラタの説明は某・軍曹によるものであったので、しっかり裏付けが為されたものでは無い。
単純に「酒が嫌い」という自分の好き嫌いに、適当に理屈を貼り付けているだけとも言える。
「ですが酒は旅の楽しみですからね。私などは『旅に病む』愚か者ですから、どちらにしろ頭は破壊されてます。となれば、旨い酒は聞こし召していきたいものです」
そんなムラタを、カルパニア伯が良い具合に中和した。
知ったばかりの俳句まで引用して、小洒落て宣言する。
毒気を抜かれるとは、このことを言うのだろう。
カルパニア伯は続けてこう告げた。
「ワインとなると、ベリデュール地方ですね。葡萄畑もまた見事なものでありました。王命がなければそのまま長逗留になるところでしたよ」
何とも暢気でマイペースな佇まいだ。
メオイネ公も軽く咳払いをして、その言葉に頷いてみせる。
「確かにの。ベリデュールのワインは私としても勧めたい逸品ぞろい。この度も主力になるとは……思うのだが……」
「そうですね。浴場でどう使うか……」
ムラタも建設的な方向に舵を切ったらしい。
「あの……公会堂と言うのだったか。あの場所は?」
メオイネ公が当然というべきか、公会堂に出品を提案する。
だが……
「それだと新たな浴場とはなりませんよ。つまりギンガレー伯の後塵を拝する」
「ぬ……」
「かと言って、浴場でワイン風呂というのも……」
「ワイン風呂じゃと?」
そこからムラタとメオイネ公の間で正面衝突とならない、ぼやけた検討会が続いた。
その最中に、小麦についても討論が重ねられたが、やはり小麦と浴場で新たなエンターテイメントを創設するには厳しいものがあったらしい。
ムラタは「湯だね」とか「ウドン」とか持ちだしてはいたが、どうにもまとまらない。
「……これは……そうだマドーラ」
実はその場にいた次期国王に突然声を掛けるムラタ。
マドーラが完全に放置されていたわけだが、それでもジッと聞き耳を立ててはいたらしい。
ただ玉座の上で立て膝を抱え込み、何ともアンニュイな雰囲気だ。
それでいて、中世とも思えないジーンズにスカジャン姿。
その玉体を護るのはフルプレートの騎士が2名。
ムラタの感覚では――つまるところ、あまりにも絵になりすぎる様相をマドーラは晒していたわけである。
“セカイ系”とか今度こそ翻訳スキルが叛乱を起こしそうな言葉を、ムラタは辛うじて飲み込んだ。
そして平静さを装って、マドーラに尋ねた。
「君――ラベンダーって通じるか?」
「わかりますよ。ラベンダーを浴場で使うんですか?」
立て膝のままであったが、マドーラはしっかりついて来ているらしい。
「そういう使用法があったことを思い出してな。ただ今が適した季節なのかがわからない」
マドーラは心得たと言わんばかりに頷いた。
ただ、その答えは芳しくなかった。
「今は……あまり」
「そうか。じゃあ、この季節に適した植物……ハーブだな。心当たりはあるか?」
「今だと……そうですねローズマリーとか」
「ああ!」
カルパニア伯がポンと手を叩きそうな勢いで声を上げた。
「ローズマリーとは、あの葉が長細くていっぱい生えた草ですね」
「……それです」
納得しがたいものがあったようだが、マドーラはカルパニア伯の言葉に頷いて見せた。
「それなら、女性が摘んでいるのを見たことがあります。料理に使うとか……」
「また料理――」
「湯浴みに使うこともあるんです」
不満の声を上げそうなメオイネ公を遮って、マドーラは断言した。
相変わらず立て膝のままで。
「――よし。とりあえず、それで進めよう。もう他に手はないですし」
「しかし、何やら見窄らしいような……」
「そこを上手くやるのが我々の腕でしょう。それに価値が王都で認められれば――」
「なるほど。確かに我が領で新たな産物が増えることになるな」
その辺りは聡いメオイネ公だ。
そこにマドーラが付け足す。
「……今は季節が違いますが、先ほどムラタさんが言っていたラベンダーも使えると思いますよ。他のハーブも。多分ですが、これはメオイネ領だからこそ産物に出来るのだと思います……その収穫の多さ的に」
それは果たして正鵠を射ていた。
広大とも言える平地、耕地面積。
そういったものがあってこそ、ハーブは産業になり得る。
その栽培も視野に入れるなら――それはやはりメオイネ領が最有力となるだろう。
「――殿下。ご忠告痛み入ります」
それを瞬時に理解したメオイネ公は、胸に手を当てて恭しくマドーラに頭を下げた。
公爵たる自身の忠心を捧げるべき次期国王に向けて。
「……まずは浴場での反応を確認してからですね」
「御意。専心して事にあたります」
照れたように応じるマドーラに、素直に応じるメオイネ公。
それはそれで美しい光景なのであろうが……そう簡単に事が運ばないのが宮廷力学というものだ。
――明日にはカルパニア伯のもたらした地図で、メオイネ領での軍略会議が開かれる予定なのであるから。




