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異世界も、俺は俺だし、そうボッチ。  作者: 司弐紘
王宮に
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「オイラーの公式」に咽び泣くムラタ

 ピピピピピピ……


 枕元から響く電子音。

 起きるのに何と便利なことか。


 この電子音を聞きながら、再び布団の中で微睡む。

 これ以上の幸せが……色々あるが、それでも幸せに変わりはないとマドーラは感じている。


「殿下。起床の時刻です」


 そのマドーラの幸せを打ち破る声が扉の向こうから響いてきた。

 優しいキルシュの声では無く、マリエルの声だった。


 どうやら抵抗は無駄らしいと察したマドーラは、むくりと上半身を起こす。


「……はい」


 何とか返事をするマドーラ。

 そして綿製のベージュ色のパジャマを脱ぐ。マドーラとしてはジャージで構わないと思う。


 何しろ、この後着替えるのはジャージなのであるから。

 ここで、着替えるのは……何というか“合理的”では無い。


 ムラタがよく使う言葉で、マドーラにはなかなか便利な言葉のように思うのだが、キルシュにも、そしてマリエルにも通用しない。


 通用しないどころか、ジャージで寝ていたマドーラを叱り飛ばしたのがマリエルであった。

 何としてもジャージを使うことは死守したが、そのための犠牲は大きかった。


「殿下、おはようございます」


 寝室の扉を開けたマリエルが恭しく頭を上げた。

 

 ――さぁ、1日が始まる。


                    □


 今日はムラタがいる。

 そして相変わらず、豆腐と油揚げとネギの味噌汁を啜っていた。


 マドーラが見ている限り、他の味噌汁を食べているところを見たことがない。


(確実に変な人だ)


 マドーラの再確認が終わった。


 そういうマドーラの朝食は、オーソドックスにパンとスランブルエッグ、サラダ。

 そして牛乳ミルクである。


 最近はメオイネ領からの輸入品が増えている。

 次の浴場改装に向けて、王都でもメオイネ産――特にラフォールの乳製品の評価が高いようだ。

 

 それを魁けて、次期国王マドーラに供されるというのは自然の流れなのだろう。

 つまりムラタのスキルで用意したものでは無く、キルシュが用意した朝食だ。


 もちろんムラタによる“検査”済みの食材で拵えられていることは言うまでもない。


「今日の予定は……カルパニア伯だな」


 ムラタの確認にマドーラがコックリと頷く。

 ちなみに、キッチン前のテーブルではマドーラとキルシュ、それにマリエルが共に食事を摂っていた。


 マリエルは抵抗したが、


「それで別々に片付けの時間を使う? そんな贅沢なこと誰が許したんです?」


 と、ムラタに言われて黙り込んでしまった。

 ああいう脅し方は覚えていきたいと、マドーラは着々と成長中だ。


 そのムラタは、自分のスペースで低いテーブルを前にしてあぐらで朝食を摂っている。


(何とか、ああいう感じで朝食を食べたい)


 と、こちらも決意を固めるマドーラであった。

 それに卵焼きについても。何なら自分が覚えてもいい。


「ラフォール産を推す、ということでよろしいんでしょうか?」

「そこが問題です。メオイネ公はさほど熱心では無いんですよね。元々ラフォール製には定評がありましたから……」


 突然始まったマリエルとムラタの問答。


 流れとしては、カルパニア伯がメオイネ領から帰ってきてその報告。

 「サマートライアングル」でもあるマリエルが、浴場でメオイネ領製品の宣伝を行う方針を確認。

 それに対して、ムラタがその方針を未だ検討中。


 ……という流れである事はマドーラには理解出来るのだが、この2人のやり取りは傍から聞いていると、親切さが欠片もないな、とマドーラはパンを囓りながら思う。


 実際、キルシュは諦めの表情を浮かべていた。

 あとで説明しておこう。自分は優しさを心がけよう、と胸の内でマドーラは誓った。


 マドーラは成長する。


 もっとも、ムラタとマリエルのやり取りはそれはそれで面白いとマドーラは感じていた。


 ムラタはあからさまにマリエルと距離をとろうとしているが、彼女の優秀さがそれを許さない。

 それでいてムラタの性質を心得ているのか、マリエルから積極的に動こうとしない。

 それでいて“仕事”絡みだと、積極的に確認する。先回りする。


(これは面倒そうだなぁ)


 と、マドーラは密かにムラタに同情していた。

 ムラタを封じるのに、これほど有効な……いや彼女マリエルほどの優秀さがないと意味を成さないか、とマドーラは修正する。

 

 ではマリエルはどうかというと、あからさまにムラタを好きである事がわかる。

 何かの弾みで、マドーラがムラタについて口の端に上らせると、即座に食いついてくる。

 

 紫の目で。


 何か銀髪も波打っていた気もする。


 どうやら本人ムラタに直接聞く危険性は察しているらしい。

 そこで、間接的な情報収集としてマリエルはマドーラに目を付けたわけだ。


 仮でも何でもなく次期国王相手にこの扱い。

 どうやら根っ子の部分の「好意有理」的な心根は変わっていないようだ。


 会誌から、ムラタへと対象が変化しただけ。

 それに加えて、ムラタに嫌われないようにと計算まで行ってしまう。


 ムラタがキッパリと独り身である事もマリエルを昂ぶらせた一因ではあるだろう。


 ――となれば。


 マリエルを操ることなどマドーラには朝飯前だった。

 本人にその自覚はなかったとしても。


 ある程度マリエルの顔を立てる形で自分の行動を修正した上で、肝心な所でムラタの話に誘う。

 それだけで、基本的には平穏なマドーラの生活は維持されるのである。


 ただ問題なのはムラタの話をマリエルにしていると、思っていた以上に面白くなってマドーラ自身が夢中になってしまうことだろう。


 先日も、ムラタが話してくれた「オイラーの公式」にまつわる話は非常に面白かった。

 マドーラ自身は、公式なるものがよくわからなかったが、実はムラタ自身もわかっていなかったのだから問題あるまい。


 ムラタが、それを話してくれた理由の方がよほどマドーラの興味を惹いた。


 つまり、人間の営みなど関係無しに絶対視出来る理屈は世界に確かに存在し、それがあるからこそ、まず人間は自分のやり方にも理屈を構築しなければならない、とムラタは主張する。


 判断するときに、理屈を考えないのは愚か者の行為だ。

 それを「オイラーの公式」の存在は証明している、と。


 マドーラにはそれだけで十分であったのだが、マリエルの興味を惹かれたのは、そもそも“公式”とは何だ? という点だった。


 マドーラは、当たり前にそれを説明出来ない。

 ただ、それがムラタが口にする「数学」に関係していることはわかっていた。


 あのムラタが、好きでたまらないのに、それを理解するセンスが全く無かったと、照れ笑いを浮かべながら告げた「数学」である。


 果たしてマリエルが、その話の何処に惹かれたのか、今となっては不可分であった。

 それでもマドーラは記憶の中にあった、マイナスの概念、対数、群、虚数などを口にしてみると、マリエルの目の色が変わった。

 紫の瞳の色が変わるほどに。


 そんな事もあって、2人揃ってマドーラの部屋のベッドの上で話込んでしまい、キルシュにまとめて怒られるなどと言うこともしばしば。


(……本当に寝なくて大丈夫なのかな?)


 などとマドーラは思うのだが、それを口にする程親しくは無い。

 何処かで帳尻を合わせているのだろうと、深く考えないことにしている。


 それよりも今は、カルパニア伯からの報告受けてからの、メオイネ領に対してどういう手段を執るか。

 そちらの方が優先度が高いのは言うまでもない。


「……やはり、直接的には難しいですね」

「そのようにロデリックさんには伝えます」


 そうこうしているうちに、とりあえずの結論は出たようだ。

 その判断に、自分の思惑を挟み込むにはどうすれば良いか?


 それがマドーラの考えるべき事だ。


 もっとも、その思惑をムラタからイヤな顔で褒められているのだから、ムラタの方で何かしら動いているのかも知れない――どちらにしてもカルパニア伯の話を聞いてからにした方が良さそうだ。


 ブーーーーーー


 呼び出し音が鳴る。

 立とうとしたマリエルを制して、キルシュが部屋の外を確認した。

 そして、ムラタが頷くのを確認してから扉をスライドさせる。


 扉の外にはメイルたちだ。

 午前中はムラタが王宮にいるので、逆に彼女たちは王都に向かう予定だ。

 もちろん仕事として。


 さっそくムラタに対して何やら文句を言っているが、ムラタはそれを適当に流して、茶を啜っている。

 手は相変わらずタバコを求めて、ワキワキと動いていたが。


「では、失礼します」


 3人娘と入れ違うように、マリエルが辞するための挨拶を述べた。


 それを全員が思い思いに、それでいて親しげにマリエルに声を掛けていく。

 しっかり馴染んでいると言っても間違いないだろう。


 いやそれ以上に、女性陣はムラタとの仲の進展を皆が望んでさえいた。


 ただ1人――マドーラを除いては。


(……まぁ、話を進めない方が良いんだろうな)


 マドーラは朝食を終え、紅茶を味わいながら胸の内で首肯する。


 ――こうしてマドーラの1日が始まった。

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