マドーラの実地研修
国事に使用されるような、正式な謁見の間では無い。
それでも様式は整えられており、磨き上げられた化粧石と敷かれた碧い絨毯。
それも錦糸で装飾されており、十分に贅が凝らされていた。
もちろん飾られた花や、清掃の行き届いた室内。
あらゆる意味で隙が無い。
かつてムラタが指摘したとおり、それだけで“客”を威圧することが出来る佇まいである。
果たして“王宮の主”が従えているのは、その部屋だけでは無い。
まずハルバードを構えた近衛騎士が2人。
そして長いダークブラウンの髪をまとめた侍女。
そして銀髪を肩口で切り揃えた侍女がもう1人。
あろう事か、その銀髪の侍女は王都を賑わせている「サマートライアングル」の1人でもある“デネヴ”その人であった。
侍女として、お仕着せであろう飾り気の無い艶の無い真っ黒な衣服に身を包んでいるが、注目すべきはその足下であろう。
ブーツとも言えない。
侍女服には不釣り合いに見える、無骨な靴。
それが何とも表現しにくい光沢を放っているのだ。
言葉を選ばなければ――それは刃物を見たときと同じような剣呑さを感じる。
さらに王宮の主が控えている場所から、一段も二段も下がったところで、神妙に頭を下げているのは、リンカル侯爵だ。
言うまでもなく大貴族である。
その大貴族相手が、ここまで恭しく出迎える存在。
あるいは、これこそが“客”にとってもわかりやすかった構図であるのかも知れない。
マドーラ・レスキンタス・レタングスこそが、この王宮の――いや、この国の主であるということが。
そして次期国王であることを示す、フイラシュ子爵夫人でもある。
そのマドーラは、ムラタの手によって魔改造された例の卵の様な玉座にすでに腰掛けていた。
だが、身につけているものはかなり略式だ。
何しろジーンズに、パステルピンクのパーカー。
その上にスカジャンである。
確かに色とりどりの糸で細かく刺繍されたスカジャンは、これ以上無く豪華な衣服に見えなくは無いだろう。だが、それが施されているのは何と言っても背中なのである。
それでも、光沢のあるスカジャンはそれでかで充分“客”を威圧するのに充分ではあるのだが。
その“客”――
中心にいるのはヘルマン。
ギルド会議所の会頭、ヘルマンであった。
そしてその背後には、各ギルドの中心人物が4名。
その全員が、碧い絨毯の上で跪きマドーラの入場から、ここまでひたすら下を向いている。
「顔を上げるように、と殿下は仰せだ」
そんなヘルマン達に、大貴族たるリンカル侯が小間使いのように仕事を仰せつかっている。
それもまたヘルマン達を萎縮させるに十分な光景であった。
だが、とにもかくにも顔を上げなければならない。
ヘルマン達は、覚悟を決めて顔を上げた。
「――リンカル侯。伝達は済んでいますか?」
不意に、マドーラはリンカル侯に下問した。
だが、この辺りは打ち合わせ通りでもある。
「――御意。滞りなく」
「それでは、以降問題ないと考えても大丈夫ですか? 私が優しいなどと思われては困るのですが」
果たして、その言葉は打ち合わせ通りであったのか。
ただ、リンカル侯はそれ以上言葉を重ねず、一礼して控えるだけであった。
「――皆様方、ここよりは直答を許す、と殿下は仰せです」
リンカル侯が控えるのと同時に、そう宣言したのは銀髪の侍女“デネヴ”であった。
デネヴの姿は、市井に住むギルド関係者の方がなじみ深い。
だからこそ、もっともヘルマン達を混乱させたのは彼女の存在であったかも知れない。
そのデネヴは、舞台慣れした声量、そして凜とした発音でヘルマン達に、間違いなくマドーラの意志を伝えた。
「ヘルマンを除いた、後ろの4名は退くことを承諾した。それで間違いありませんか?」
同時にマドーラが下問する。
「そ、それは殿下……」
ヘルマンが口を開くものの、それ以上は何も言わずに黙り込んでしまう。
誰からも、咎められたわけでは無い。
ただただ自分の――後ろの4名の言い様が不遜だからと自覚しているからこそ。
……ヘルマンは言葉を紡げなくなってしまったのだ。
そんなヘルマンの様子を見てマドーラは首を傾げた。
そして傍らのダークブラウンの髪の侍女――クラリッサを呼び寄せた。
マドーラとクラリッサは何事か言葉を交わして、やがて互いに頷き合う。
そしてマドーラは、ヘルマン達を見据えた。
「私の料理番である“ムラタ”のことは知っていますか?」
いきなり脈絡の無い下問である。
だが、果たしてそれを知らないと告げることもヘルマンには出来なかった。
「そ、それは……」
「リンカル侯。ヘルマンは知らない様子ですから、侯から簡単に説明を」
「はっ。単刀直入に申せば、傍若無人、しかしながら中々の知恵者。特に人を罠に掛けるときには、執念すら感じられます」
「実に適切な説明です。侯に感謝を」
マドーラが感情の籠もらない声で、リンカル侯の説明を賞賛した。
「……重要なのは知恵者という部分ですが、ここは執念深さも倣ってみましょう。つまり、私がいかなる理由で税を集めているか? です」
「は?」
思わず、声を上げてしまうヘルマン。
あまりに話題が飛び過ぎている。
この辺り、ムラタならもっと慎重に話を運ぶところだが、そこまで上手くは出来なかったらしい。
いや、ここから先もきっと上手くは出来ないだろう。
ここから先も、マドーラにとっては実地研修であるのだから。
「王家が税を集めるのは、その税によって国家を運営するために必要だからです。つまり税を集めるのは単純に王家の都合によるものです。決して民にその義務があるわけではありません。愚かな民は『納税は民の義務』という言葉を素直に信じますが、考えることが出来る者は、それが詐術だと気付きます」
マドーラがいきなり告げたのは“王”以外の者が口にしたら、間違いなく頭と胴が泣き別れになるような発言だ。
普段“王”以上に発言が自由すぎる“埒外”の言葉に接していなければ、精神がこむら返りを起こしそうな台詞でもある。
実際、近衛騎士、リンカル侯は幾分か顔色が悪い。
ヘルマン達に至っては、土気色だ。
1人、デネヴだけは喜色満面であることがなんとも不気味ではあったが、発言することは無かった。
そんな雰囲気の中、マドーラの説明は続く。
「そもそも、民が築いてきた財をいきなり取り上げることは、いかな王家でも不可能なのです。考えればわかると思いますが、そんな事を王家が行えば、国が立ちゆきません。その点、皆の方が納得できるとは思います」
その点だけを考えてみれば、ギルド関係者の方が納得しやすくはある。
とにかく、マドーラに追従出来るということで、皆が熱心に頷いた。
「これはし、し、ゆう……」
「“私有財産の保護”かと、殿下」
クラリッサが言葉を添える。
マドーラは、頷きながらそれを受け入れ、
「……とにかく“異邦人”であるムラタはその辺りの知識もあり、そのムラタが言うには、これと納税の義務化は矛盾していると」
「で、殿下はそれに?」
――賛同したのだろうか?
と、ヘルマンが不安そうに尋ねた。
当たり前の話だが、税が無くなってしまえば、それはそれで国は立ちゆかないのである。
それはあたかも、ギルド会議所が各ギルドからの協賛金が無ければ立ちゆかぬように。
果たして、その事に気付いたヘルマンはマドーラの話の意味を悟り始めた。
「いえ。私が賛同する前にムラタがそれでも税は必ず必要なものだと断言しましたから。賛同も何もありません。問題は税を集める際に、どのような約束事が自然に行われていることか、意識することだ、と」
「意識……」
そこで独りごちたのが、ヘルマンの背後に控えていた木細工ギルドの代表、タウアーであった。
王宮に呼ばれたということで身なりを整えている。
整えているのだが――端的にいうと整いすぎなのだ。
普段、着ていては仕事にならないような衣服を着慣れすぎている。
だからこそというべきか、この様な状況下でも思わず声を出してしまう。
いや、それだけムラタの言葉に衝撃を受けたか。
マドーラの説明は続いた。
「国は、税を集めるにあたって自動的にこういう約束をする。そうでなければ私有財産の保護という国が行うべき義務と矛盾してしまう。つまりは税を間違いなく国の経営に使う、公平に分配する、そのような約束を必ず守ると意識して初めて、民からその為の資金を“先払い”で受け取ることができる。それが“税”の正体であり本質だと」
マドーラは、冷めた目でそのまま続けた。
「国がそれを忘れたとき、それはただの盗人の集団になってしまう。すなわち王は、その盗人の頭目になってしまう――果たしてその時、民に『納税は義務』だと主張して、敬意を捧げるように強制したとき。それはただの小汚い……ええっと……」
マドーラの説明が停滞した。
クラリッサがそれを補おうとしたとき、先にデネヴが反応していた。
「“チンピラ”でございます。殿下」
デネヴの――マリエルの目元が、まるで周囲に喧嘩を売るようにつり上がっていた。




