ムラタの理想形
「俺が良い人ですって? 無い無い、それは無い」
そう言ってムラタは、笑い出した。
なんなら、カンラカンラ、という擬音が見えるような屈託の無さである。
「思い出してください。そもそも俺はマリエルさんを殺すつもりだったんですよ。そんな“良い人”が居るわけがない」
「でも……それは、ハッタリだったんじゃ……」
尚もネリーが言葉を重ねるがムラタは首を横に振った。
「いえ。最初の判断は殺す一択でしたよ――これ理由の説明も?」
「お願いします」
そう告げたのは――果たしてマリエルだった。
何か言おうと身を乗り出したアシュリーを制し、ムラタを見据えて。
これ以上、自分のことでアシュリーの手を煩わせている自分が許せなかったのだろう。
それだけの気概を……いや、あるいは自分のプライドを保つための、防衛本能に近いものが根っ子にはあるのかも知れない。
「――“約束を破ったから”です。先に、その辺りはキチンと説明するようにロデリックさんには伝えたはずで、俺も確認してます。と言うことは『サマートライアングル』としての活動に支障が出るような行動は……」
ムラタは最後まで言わずに、タバコを一吹かし。
「……そ、それだけで?」
「充分でしょう」
アシュリーの言葉に、あっさりとムラタは応じた。
だが、そんな風に判断される可能性が――いや限定的に、危険性があると言った方が良いだろう。
その危険性に、マリエルは気付く事が出来なかった。
今、彼女を苛んでいるのは、そういった想像力の欠如の自覚に起因するものだ。
「まぁ、補足をするのなら、少々の苛立ちがありましたね」
不意にムラタが言葉を継いだ。
「苛立ち――私が約束を破ったせいなんですよね?」
マリエルがそれに応じる。
それは当然と思える流れであったが、ムラタはまた首を振った。
「違います。俺はそこまで人を信頼してません。破る人は破ります。そういう人とは付き合わない。ただそういう風に処理するだけですから苛立ちはありませんよ」
ムラタの淡々とした言葉に、感情の行き場を無くすマリエル。
いくら話してもムラタの正体が掴めないのだから、それも仕方の無い話だろう。
だが、ムラタもすでに火が入ってしまっている。
止まることはなかった。
「俺が苛立っていたのは、こんな未来もあったのに、という何とも身の程を弁えない後悔に似た感情があったからです――皆さんが舞台上で行う掛け合い。あれの完成形か見えていたものですから」
「完成形?」
ロデリックが声を上げた。
「そうです。マリエルさんを――つまり“デネヴ”を進行役に据えて、掛け合いを回すバランスが、俺の思っている理想形に一番近い」
「それを伺っても?」
「良いですよ。最初は“ベガ”で回してましたよね。アレも悪くはない。悪くはないんですが……やはり司会にはツッコミが良いと思うんですよね」
再び翻訳スキルに無理を強いるムラタ。
案の定と言うべきか、肝心なところで言葉が意味不明になる。
「……ムラタさん」
こめかみを指で揉みながら、ロデリックがムラタに注意を促した。
すぐにそれと察したムラタが、少し宙を見上げて、何とか言葉を捻り出した。
「……つまり、マリエルさんを中心にして掛け合いを回す方が安定する、というぐらいで――扱うのは、基本的に王都のことですからアシュリーさんには、不利なこともあるでしょう。となれば、アシュリーさんは疑問を提出し、それにマリエルさんが答えることで、自然と店舗紹介が出来る」
「ああ、なるほど」
ロデリックの理解が及んだ。
「あ、あ、あのあたしは?」
「うん。そこが鍵です。ネリーさんは、恐らく中心に居ない方が良い」
1度、良い人認定してしまったことも影響したのだろう。
ネリーが思い切って声を上げ、それに対してムラタが身を乗り出すように応じた。
「何でですか? あたしもやる予定なんでしょ?」
「それも考えたんですけどね。君は裏回し……でも無いし……ハッキリ言って無茶振りなんだが……」
また、ムラタからの翻訳スキルへの無茶振りが行われてしまった。
だが2回目と言うことで、周りも素直にムラタによる、スキルを伴わない翻訳を待つ姿勢だ。
それは、それだけムラタの話に惹かれ始めているということの証明でもある。
「……例えば店舗紹介するだけじゃ、舞台でやる必要は無いわけですよね? そこで観客の注目を集めるためには、生きた会話である、と錯覚させる事が重要なんですよ。その点、ネリーさんには。それを成し得るだけの素質があると見ました。これはね。俺の世界では“ボケ”と呼ばれているんです」
「あの……悪口……ですか?」
ネリー自身も翻訳スキルの不具合だとは感じているのだろう。
だがムラタは、翻訳することを諦めたようだ。
「“ボケ”は、もう訳し方の見当がつきませんから、そのまま行きます。ボケは、本当に難しいんですよ。あるいは素質がない人は、どうやってもボケの仕事は出来ません。天才だけが務めることが出来る役割。それが“ボケ”」
「あ、あの…」
当たり前にネリーの腰が引ける。
「しかし、ムラタさん。全部の舞台で、その……ボケですか? それが仕事をしなければいけないというのは――」
「流石です、ロデリックさん。そういう危機管理の必要もあって、重要になってくるのがツッコミです」
「また難解な言葉を……」
「いやこれは、掛け合いの中心、司会の役割と同じと考えてくださっても良いんです。ボケが何かしら舞台を沸かすようなことを言ったとします。でもそれを元に戻すのがツッコミの役割です。これは観客の代行という意味もあるんですよ。ボケが、ちょっとズレたことを言いますよね――それは良いんですよ。それが仕事ですから。で、それに対して『それは違うぞ』と指摘する。これが掛け合いの1つの型なんですよ」
いきなり、これだけ説明されては間違いなくついて行けなかっただろう。
だが、ロデリックも「サマートライアングル」もすでに掛け合いについては体験済みだ。
ムラタの“ツッコミ”に対する説明に、どうにかついて行くことが可能だった。
「……なるほど。確かに安定した型になりますね」
ロデリックが頷きながら、呟いた。
すると、当然の流れでアシュリーが声を上げる。
「ですが……それですと私の役割は?」
「アシュリーさんがいる事で、もう一段階、掛け合いを進めることが出来ます。具体的に説明しますと……」
ムラタはさらに続ける。
まず“アルタイル”がボケる。
そこに司会者たる“デネヴ”が訂正することで、情報が整理される。
「ここまでが基本になることは、お話ししたとおり。ですがこればかりですと、すぐに飽きます」
「飽きる?」
「そうです。普段はあれで良いんですが時には、この基本を崩す手法があるのです」
そこでムラタが提示するのは“デネヴ”をいじる手法。
あるいは、時には“アルタイル”が勝ってしまう型。
これはいつでも使えるわけでは無いが、その型を加えることによって、さらに舞台に観客を引きつけることが出来る、とムラタは主張する。
言ってみれば観客に「今度はどんな型で来る?」という具合に、緊張を強いることが可能になり、自然と情報の収集に身が入るようになる。
「それは……本来の目的とは違うのでは?」
「店舗情報が頭の中に残れば良いわけですから、それで問題ありません。記憶の仲に『サマートライアングル』が何か言っていた気がする――それで充分なんですよ」
アシュリーの疑問にムラタは丁寧に答える。
それにつられた様に、今度はネリーが声を上げた。
「でも、それじゃ、話が終わらないでしょ? その……あたしが勝っちゃう型だと」
「そうです。そこで重要になるのがアシュリーさん……“ベガ”の役目というわけです」
ムラタが、ネリーに頷きながら先を続けた。
“ベガ”の役割とは即ち、長女であると。
次女と末っ子が、喧嘩になったときに、裁定者として現場を納める役どころ。
「え? でも、司会者は正しい事を主張してるんですよね?」
ロデリックが首を傾げる。
正しい方が勝つから、喧嘩にはならないのでは無いか? と言うのがロデリックが疑問に感じるところなのだろう。
「ええ、ですから、この段階では“アルタイル”“デネヴ”共にボケに回っているわけです。そこで重要になるのが“ベガ”の役割でしてね。“ベガ”が舞台上にいる限り、どう転がっても、しっかりと元に戻る、と観客は安心することが出来るわけです。これに必要な事は、観客の信頼を集めること――アシュリーさんには充分それが可能だと考えました」
――確かに。
と頷かざるを得ない、これまでのアシュリーの言動である。
普段は元より、このムラタとの会合の間だけでもアシュリーは“長女”として、しっかりとした振る舞いを示してきた。
となれば、ムラタが思い描いてきた未来図も全員が共有することが出来るわけである。
そして、それは確かに“面白そう”であったのだ。
だからこそ、マリエルのここ最近の振る舞いは、そんな可能性を潰していたのだと理解出来る。
「そう……なんですね……」
マリエルは、あるいは「サマートライアングル」の中では一番聡いと言っても良いだろう。
ムラタは何も教えてくれなかった、等という言い訳も通用しない。
そういう腹案があったとしても、ムラタは特に無茶を押しつけようとしていたわけではないのだから。
いや無茶であっても、それもまた納得して契約を受け入れたのは自分なのである。
もはや自分で自分を慰める事も許さないムラタの言葉による包囲に、マリエルは完全に白旗状態だ。
そしてムラタは尚も告げる。
「さて、マリエルさん。続けますか? 続けませんか?」
と。




