最終的にこうなってしまう
果たして「サマートライアングル」としては、ただただ呆気にとられるしかなかった。
そしてロデリックは、苦笑を浮かべながら頭を振る。
その間にも扉の向こうからは、
――ムラタ殿! 大丈夫ですか?
――またこんなに追い詰められて……
――お休みが必要だと申し上げたでしょう?
目一杯の同情の言葉を買い占めるムラタの姿が伝わってくるようだ。
脂汗を流し始める「サマートライアングル」。
ムラタの異常性――というか単純に働き過ぎ――が、声を掛ける神官達によって証明されたようなものだからだ。
だがムラタは、大声を発したことで幾分かは自分を取り戻す事が出来たらしい。
――大丈夫です。くれぐれもフォーリナさんにはご内密に。ご心配をお掛けしてしまいますから。ええ……ええ…大丈夫です。お世話様でした。
如才なく神官に応じている様子が窺える。
「……ねぇ、“ござる”ってなんだろう?」
ネリーが、他に気にする点は無いのか? と言いたくなる様な疑問点を挙げたが、それはそれで心の安寧を取り戻すためには必要な事なのだろう。
貧民街育ちのネリーだからこそ、目の前に事態に対して、どうでも良いような事柄から、自分を取り戻していく手法の重要さを理解していた。
「さぁ……単純に言い方の問題なのでは?」
ロデリックがそれに乗っかった。
「……丁寧な言葉遣いとか……王宮で」
「それはないですわ」
アシュリーとマリエルも参加してくる。
それで結論が出るわけではない。
だが会話をしたことでムラタの異常性からは、脱出する事が出来たようである。
「……失礼しました。ちょっとタバコをいただきます」
部屋に戻ってきたムラタが、懐に手を入れながら申し出た。
一も二も無く、了承する面々。
――再びの仕切り直しだ。
□
おかしい、と言えば。
一向に座ろうとしない段階で十分おかしいのである。
ムラタは、タバコを燻らせながら相変わらず部屋の隅。
それを傍から見れば、まるでムラタが「サマートライアングル」を怖がっているように見えるだろう。
立場的には真逆と言っても良いわけだが、そのせいか「サマートライアングル」の方も落ち着かない。
そのために、1人安定しているロデリックが仕切り始めた。
「……つまりは、最初からデネヴの家族については注意してたんですね」
ちなみに“デネヴ”と、ロデリックが彼女たちを芸名で呼ぶのは、そうやって職業意識を高めるという狙いがあるからだ。
あとは、ほとんど親交が無い状態で同僚として仕事をこなさなければならない彼女たちを慮ってのこと。
しかしその気遣いが、この先どう変化するのか。
ただ、ムラタはそう言ったロデリックのやり方について、今まで文句を付けたことはない。
今回も、ごく自然にムラタが応じる。
流石は“偽名なれ”しているというべきか。
「そうですよ。『サマートライアングル』に厄介な支持者が発生した場合、家族に危険が及ぶ可能性がありますから」
「そんなことが……」
「ま、それで逆に注目浴びたらややこしくなるので、あくまで遠目から、ですが」
この配慮についてはロデリックも知らなかったらしい。
その理由は、ムラタがノラに依頼したからだ。
ここで芸能プロと裏社会の繋がりが出来ることを、ムラタが似合わぬ潔癖症で嫌がった部分があるのかも知れない。
「あ、あの……それって、あたしの家族も?」
ネリーが手を上げながら、尋ねてきた。
ムラタはそれに、すぐさま応じる。
「確か今では、王都から出ていますよね? 警護が必要ですか?」
「いえ……あの、出来ればあんまり知られたくないなって……」
ネリーが、言葉を濁しながら応じた。
それに一番に反応したのは、マリエルだった。
「どうしてです? ご家族もお喜びでしょう? 何故そんな真似を……」
「マリエルさん」
それはムラタから放たれた、叱責の響きを伴った呼びかけ。
昼の出来事もあって、マリエルが首をすくめる。
「貴女は、どうにも考え方が固い。それなのに“会誌”の趣味を持ったものだから、自分で自分を追い込んでしまったんですね」
「うう……」
ムラタは、携帯灰皿に灰を落とす。
「どこもかしこも家族仲が良いなんて、そんなバカなことあり得るはずがありません。ついでに言うと、親兄弟が良い人ばかりなんてことも、あり得ません」
「それは……」
「基準にすべきは自分の思い込みでは無く、実際にその人を知ってからの判断です。都合良く情報が集まらない場合“普通はこういう物だろう”と、考えてしまう事もあるでしょう――ですが、貴女はネリーさんを知っている」
マリエルは黙り込んだ。
「……念のためにロデリックさん――いえ、アシュリーさんにお伺いしてみましょう。ネリーさんの判断は信頼できますか?」
「はい」
即座に、アシュリーは答える。
やはり彼女は“ベガ”として「サマートライアングル」のリーダーとして、その自覚がしっかりと出来ている。
だが、それが強ければ強いほど、マリエルの叛乱については心を痛めていたはずだ。
ムラタは、そのアシュリーに確認する。
「アシュリーさんのご家族は?」
「私は……大丈夫です。確かに王都にも家はありますが、基本的に家族は近くにいませんから」
ムラタは、そんなアシュリーをジッと見つめ、やおら頷いた。
「……そうですね。やはりこちらから逆に注目を集めるのも愚策ですから」
「それで、王宮にマリエルさんのご家族が呼ばれているお話しは?」
「ですから、特に問題なく――」
「王宮に招いた時には、どういう名目だったんですか?」
ムラタが、アシュリーを斜めに見やる。
そして、タバコを一服。
「……その部分は、俺が適当言ってるだけだと?」
「そうは申しませんが、ムラタさんがどういうお方であるのか、しっかりと知っておきたいと思いまして」
言うまでも無く、アシュリーの申し出は危険が伴うものであろう。
それでも、ムラタの為人を見極めたい。
つまりはこれは、一種の危機管理なのだろう。
今までの雰囲気から、ムラタがいきなり具体的な手段に訴える可能性は低いと考えて、踏み込んできている。
それによって何を得られるかと言えば、交渉時にどこまでムラタを押せることが出来るのか?
その感触だ。
実際、この感触を掴んでおくことはかなり重要で、これを掴んでいるかどうかで交渉時の成否に関わってくる。
アシュリーは、ムラタの相手をするのに“それ”が必要だと判断したのだ。
それは「サマートライアングル」のリーダーとしての自覚がもたらしたものなのか、あるいは……
だがとにかく、そういったアシュリーの態度、あるいは覚悟。
――間違いなく“ムラタ好み”であることは間違いない。
その辺り、ロデリックには理解出来ていた。
だからこそ、その口の端に笑みが浮かんでいる。
だがマリエルとネリーにとってはいきなり始まった諍いに、再び身を縮こませるだけだ。
むしろ、せっかく無事に帰れそうな雰囲気だったのに、何故こんな事を? とアシュリーに対して非難がましい目を向けている。
あるいは、それもまたムラタの反応を決める一因になったのかも知れない。
ムラタの価値観では、圧倒的に正しいのはアシュリーだ。
それが、このままでは“悪者”になってしまう。
となればムラタに出来ることは……
「実はマドーラ絡みで、ちょっとした問題……いや問題になりそうな……」
性教育含めての問題を、何とか説明するしかなくなったわけである。
だが咄嗟のことであるので、いつものように口が回らない。
「問題ですか? マドーラというのは……殿下のことですよね?」
「そう。今のところ俺と組んでいるというか、お互いに協力者という状態なんですが……迂闊な話で、マドーラって、女の子なんですよね」
ゴールが見えていれば、ムラタがそんな事を言い出す理由もわかる。
だが、わからない者にとっては、突然に何を言い出すのか? と戸惑うばかりだろう。
その不具合に気付いたムラタは、自分の言葉を組み立て直した。
まず、マドーラの身体の成長。
その年齢。
そして王宮内の駆け引きの結果、今はマドーラの身のまわりの世話に関しては厳しいものがあるという現状。
それを打破するために、相談した結果、聖堂に話を持ち込んではどうかと忠告されたこと。
そしてその結果――
「お母さんが……?」
マリエルが、驚きのあまり声を上げた。
「そうです。こちらの提示していう条件に適う、ということで。ただ、それはともかくトゥーレル家には、ご家庭もありますからね。いきなり命じるのも問題ありますし、職場環境をご家族の方々にも知って貰った方が良いだろうと――色々“ついで”では、あるんですが」
ようやくのことでムラタは、説明を終える。
そして説明が進むにつれ、アシュリーの表情が何とも奇怪なものに変化していったのである。
その理由は言うまでも無く――
「ひょっとして……ムラタさんって、良い人?」
ネリーの言葉が、全てを物語っていた。




