自分を人質
レタングス浴場で舞台周りに詰めかけた支持者達のざわめき、が段々大きくなっていく。
開始予定時間を過ぎているのに「サマートライアングル」が舞台に現れないからだ。
だが、その音量は一定の大きさになるとそれ以上にはあがらない。
その原因は浴場に詰めかけている民達の民度が向上している側面がある事は間違いないだろう。
しかし、それ以上の理由がある。
この舞台に押しかけている支持者達は慣れているのだ。
「サマートライアングル」が遅れてくることに。
そう。
最近、彼女たちは舞台に遅れてやって来る。
果たしてそれは演出なのか怠慢なのか。
今のところは、そういった疑問が出るほどではないのだが――
□
ただ目に見える大きな変化は確かにある。
それは帽子だ。
今まで王都の住人はさほど着帽の習慣はなかった。
だが、舞台上で「サマートライアングル」が着用していることが多く、それがためにちょっとした流行を生み出していた。
“ちょっとした”と加減された流行になっている理由は、服飾を扱う店では帽子の注文に応じきれないからだ。
この辺、仕掛け人の展望が甘い部分だろう。
だが、それでも諦めないのが支持者というものだ。
どうにかして、既存の帽子に手を加える。
裁縫の達者なものは自分ででっち上げてしまう。
そうなると未完成だけに、新たなデザインの帽子が出現してしまう、というサイクルが生まれつつあった。
あるいはここから新しいデザインの帽子が誕生するかも知れない。
だがとりあえず、今浴場で主流となっているのは「サンダーバード帽」である。
この辺、仕掛け人の引き出しの少なさを物語っているわけだが、とりあえず対応できる服飾店が存在したことが大きかった。
そして、それを着用する「サマートライアングル」の出で立ちも好評だ。
明るい水色で統一された衣服、
パイピングされ、布が重ねられたことによって重厚さと軽妙さが同居している、不思議なデザイン。
そして「サマートライアングル」にしては珍しくロングスカートと思いきや、実は足下から腰まで長いスリットが入っている。
もちろんそれで肌が露出しているわけでは無く、その下にしっかりと着衣が為されていることは言うまでも無い。
だが、一瞬とはいえ観覧者を驚かせることは間違いないだろう。
つまり緊張と緩和。
果たしてそこまで計算してのことなのか。
舞台上では、やはり遅れて登壇した「サマートライアングル」が、王都での店舗紹介を行っていた。
今回は、問題の服飾店、食堂、それと劇場で掛かっている芝居の紹介だった。
現在はMCポジションにデネヴを配置し、そのキツめ容姿と相まって、ベガとアルタイルに無茶振りをする。
そんな方向性の掛け合いを繰り広げていた。
それは確かに、支持者達からも歓声が上がる構成であったのだが――
そして、そんな舞台を柱の陰で立ったままジッと見つめる男がいた。
サンダーバード帽を頭に被り、平民に思える素朴な衣服。
典型的な支持者のように見えるが、その視線に熱っぽさは全く無い。
それどころか、幾分か猫背のままタバコに火を点けると、深々と吸い込んだ。
そしてスタスタと浴場を出て行ってしまう。
紫煙をたなびかせながら。
□
浴場の2階部分。
そうとしか説明の方法が無いのだが、確かにそういった場所はある。
位置は、現在バイナム杉で覆われている浴室の真上だ。
その浴室の上に“ある”かというと、構造的に言うと少し違う。
男湯と女湯を上部で繋ぐ、謂わば架け橋のような構造になっている。
この辺り、わざわざ難しく建てているように思うのが自然な知性というものだが、何しろムラタが携わっている。
捻くれているのは、もはや宿痾と諦めるしかないだろう。
だがそれだけにムラタが一番手を入れているのも、この二階部分だ。
マドーラのように、一見してすぐにわかるような手の入れ方はされていないが、まず強度が違う。
それに併せたかのように、しっかりと防音も施されている。
これによって“下”で工事が行われても、気付くことはないし、逆にここでどんなに音を出しても、それが漏れる心配はしなくても良いだろう。
つまり2階部分は「サマートライアングル」の控え室として充分な性能を持っているというわけだ。
それに控え室とは言っても、舞台よりは当たり前に広い。
当たり前の話のように感じられるかも知れないが、実は今まで無かった構造ではあるのだ。
楽屋、化粧室、衣装室などから始まり、確実に舞台よりも広い稽古場。
そこに設置されている巨大な鏡は、ムラタが“でっち上げた”ものであることは間違いない。
これをどうにかして横流しするだけで、一財産になるわけだが、それをコッソリと行える者もいないだろう。
ある意味で、究極の防犯対策である。
そういった部分に加えてスタッフの個室等、アレコレと設置されてまだ空き部屋があるという贅沢な構造。
設備一つ取っても「サマートライアングル」がどれほど優遇されているか窺える。
そういった恵まれた2階で充分に準備されて、彼女たちはまるで女神のように、中2階にあたる舞台に“降臨”するわけだ。
上手く出来ている、と言うよりも、如何にして楽をするか、という設計思想が見え隠れしているが、支持者からは、幸いなことにそれが見えることは無い。
そして、そんな風に隠された2階で支持者に見せたくは無い騒動が起こっていた。
□
元凶ははっきりしている。
デネヴ――マリエル・トゥーレルの我が儘ぶりが、手に負えなくなってきているのだ。
遅刻は言うに及ばず、稽古にも参加はしない。
それでいて高飛車な態度で、周囲を威圧する。
なまじ頭が良かった分、彼女は気付いてしまったのだろう。
自分たちのやっている“仕事”が、他に代わりの者を用意することが出来ない特別であるということを。
他の仕事なら、代わりの者が穴を埋めることが出来る。
何故なら仕事をこなす時に重要なのは、何よりもまず仕事に対する技能を持ち合わせているかどうかなのだ。
もちろん人間関係等、様々な要素も無視することは出来ない。
だが一時的なこと、となればまず重要なことはやはり技能なのだ。
だが――
「サマートライアングル」という仕事で最も重要なことは、
――「サマートライアングルはサマートライアングルであること」
まずはこれなのである。
決して代替え品がないという、非常に危うい橋の上を彼女たちは歩き続けているのだ。
言うまでも無く、この理屈は所謂“芸能人”に通じる。
その危うさ故に、周囲は“芸能人”に気を遣う。
代替え品が効かないとという危険性を、関係者は人気が出れば出るほど強く意識するからである。
もちろんその危険性を“芸能人”自身が強く感じることが出来れば、周囲との関係性も、その面に関しては上手く行くパターンがあるかも知れない。
だが自分自身の希少性に気付いた時。
果たして人は謙虚に振る舞い続けることが出来るものであろうか?
そして、果たして彼女――マリエル・トゥーレルは、自分自身の希少性を質に取り、我が意を通し始めたのである。
こうなると周囲の雰囲気が悪くなっても意に介さなくなる。
周囲がどう考えていても、決して自分の意に添わぬ事はしないとたかをくくってしまうからだ。
だから自分の時間を削って「サマートライアングル」としての活動にも身が入らなくなる。
いやむしろ、自分自身が「サマートライアングル」であると錯覚してしまう。
確実に錯覚ではあるのだが、それを突き崩すだけの理屈の構築は困難だ。
「もう、うるさいですわ! 私はこれから用があると言ってるでしょ!」
「しかし、明日の打ち合わせが……それに今日はロデリックさんが……」
「だからなんです!?」
銀髪を揺らしながら、マリエルは今日もスタッフを威圧する。
そして、大人しくなるだろうと思われた上位者がここに来ていると知らせても、彼女の振る舞いは止まらない。
次の公演に向けて、衣装のままでいるように言いつけられているのに、すでにグレーのドレス姿。
何処かに外出するつもりであるらしい。
ベガとアルタイル――つまりはアシュリーとネリーは言いつけ通り衣装のままだが、触らぬ神に祟りなし、そのままに遠巻きにマリエルの側からは退避している。
そして、スタッフが言ったことに嘘はなくロデリックも確かにこの場所――稽古場に姿を見せていた。
大きな鏡を背にして感情の見えない表情で、スタッフからの謝罪を受け入れていた。
いや、受け入れていると言うよりは無視している。
隣に座っている、サンダーバード帽を被った男に何やら耳打ちしていた。
そんなロデリックの超然とした態度が、マリエルの心を逆なでする。
何より、ロデリックがいるからこそ、普段なら折れるスタッフが頑強に自分の行動を遮るのだ、とあまり建設的ではない正解をマリエルが心得ているからこそ話はややこしくなる。
そのために、しばらくの間マリエルとスタッフの間で、膠着状態に陥ったわけだが――
「それに、その人は何なんですか!? この場所に、関係者では無い人を入れるなんて――」
当然の展開ではあるのだろう。
その男はロデリックが何か気を遣っているように見えていたし、それでいてマリエルには見覚えがない。
また何か、新たな事を要求されるのか。
そんな風にマリエルが考えても無理はない。
だからこそ触る者皆傷つけそうな勢いのマリエルが、サンダーバード帽を被った男に矛先を向けてしまったのだ。
しかし、その瞬間スタッフの動きが止まる。
そして、どうにかしてマリエルを押しとどめようとしていたスタッフがマリエルから離れて行った。
「な、何です!? いいから私の質問に答えなさい! その人は……」
「はい関係者ですよ」
不意に問題の人物が声を発した。
そのまま立ち上がり、そのついでにサンダーバード帽を脱ぐ。
果たしてその髪色は真っ黒。
(い、“異邦人”……!?)
マリエルが思わず息を呑む。
――タバコを咥えながらこちらに近付いてくる男に圧倒されて。




