異世界を覗く時異世界もまたあなたを覗いている
王都某所――
簡単に言えば、少人数用の部屋だ。
キッチンとリビングがセットになっており、寝室が別にある。
王都の基準で言えば、商家に勤め、そこそこ重要な仕事を任される若手幹部が好んで使うような部屋だ。
まだ家族は成しておらず、さほどの広さは必要無い。
かと言ってまったく付き合いが無いわけでも無いから、ある程度体裁も整えなければならない。
そういった要望に適した部屋だ。
これに通いの家政婦でも雇えば暮らすのに不便はないだろう。
ただ、この部屋に住むものには家政婦の手配は必要無い。
何しろ、この部屋を使う2人――ノラとルシャートは人の手を借りずとも普通に家事をこなす。
むしろ第三者に、この部屋を知られる方が問題で、2人はこっそりと逢瀬を楽しむためにこの部屋を利用しているのだ。
となれば部屋に意を凝らすのも手を掛けるのも楽しみの内であり、無闇に金を掛けているわけでは無いが、落ち着いた色合いの壁紙とアースカラーに統一された調度品は所謂、趣味が良い、と評されるには充分だ。
ムラタが求める「金持ちの金の使い方」の答えの1つの形。
そう考えても、ズレてはいないだろう。
そして、今は午前中だ。朝と言っても良い時間帯。
そのため王宮への出仕に備えて、ルシャートはすでに騎士としての平服に衣服を整えている。
昨日までのドレス姿からは、完全に切り替えている。
少し前までムラタからは、
「休め~、休め~」
と、呪詛をかけるように言われ続けてきたが、今は仕事が落ち着いてきて、身体を休めることが出来るようになってきている。
そうなるように動いてきたつもりであったが、どちらかというと、ムラタを見返すためにこういう状態を作り出した気がするルシャートであった。
そのムラタが、一向に休もうとしないので今となっては、意趣返しのように会う度にムラタに「休みましたか?」と言葉を投げることにしている。
最近では、ルシャートの姿を見ると回れ右するようになってしまった。
王宮では、マドーラに続いて「ムラタを何とかしてくれる人」という評価を、ルシャートは獲得しつつある。
もっとも、それでいい気になるほどルシャートには可愛げが無い。
こんな事は、ほんの一時のこと、という認識はしっかりと持っている。
今はただ、マドーラと同じ扱いになるつつある事を、内心で喜んでいるだけだ。
それがムラタの作為であったとしても、嬉しいことであることに違いは無い。
さて、そのマドーラの“危機”と、またも仕事が忙しくなりそうな“危機”が同一線上に並んでいるらしい。
それを確認するために、ルシャートは出勤の前の一時、細巻きを燻らせながら、リビングのソファで“会誌”を確認していた。
「……また読むのかい?」
うんざりした口調で、キッチンで立ったまま珈琲の香りを楽しんでいたノラが告げる。
こちらも仕事着とも言える男装姿だ。
「うん。これは“調査”だからね」
ルシャートがはきはきと答える。
どうやらノラと違って“素養”の持ち合わせがあったらしい。
「何度読んでも同じだよ。君――強い仕事、まさか昨晩……」
「そんな事あるはず無いだろう。ウルディス」
互いに、彼女たち専用の愛称で確認しあう2人。
どうかすると、そのまま別れ話に突入しそうなものだが、そう簡単に別れられるような間柄でもない。
結局はいつものように、ルジーと呼ばれたノラが折れることでその場は収まった。
だがモリーと呼ばれた、ルシャート――近衛騎士団団長チェルシー・ルシャートは眉を潜める。
「しかしこれ、本当に殿下には……」
「ああ、それは大丈夫なんじゃないかな? あの男に誠意に似たものを感じられるのは殿下を相手にしているときだけだ。アレは完全に保護者だね」
「その点は同意だね。やはり、結構年齢行ってるんじゃ無いのかなぁ?」
「それも間違いないと思うよ」
ルシャートの続けての疑問に、ノラが珈琲を口に含みながら応じた。
そのルシャートは、目の前のローテーブルに置かれた灰皿に、細巻きをこすりつける。
そして伸びをしながら、独り言のように告げた。
「結局、ムラタ殿が関わっている事業はいくつあるんだろう?」
「そうだねぇ……」
ノラも思わず宙に視線を彷徨わせながら、数えてみる。
「騎士団絡みは、もう手を離れているのかな?」
「それほど関わらなくても良いはずだけど、今は王都の外での巡回計画が――」
「まだ、やってるんだね……」
呆れたようにノラが応じることで、そのまま2人で数えて行くこととなった。
先に出たのは農村に駐留では無くて、前線基地を作って緊急時に対応させる計画だ。
これは近衛騎士団の人数が増えない以上――あるいは将来的に必ず手がけなければいけない計画である事は間違いない。
そこに派生している事業と言えるのが、農民を都市部に出てこなせない計画だ。
充分に生活が出来るように手を尽くしたはずだが、都市の生活に憧れを持つ者が必ず現れる。
そこで農村の生活に潤いを、というのがムラタの主張であり、田舎での生活の経験があるマドーラがその相談を受けている状態だ。
この計画に関しては、他の“領主”に尋ねるわけにはいかない。
相も変わらず、ムラタとマドーラの仮想敵としては貴族である、農地の改革については直轄領が他領を出し抜かなくてはならないからだ。
情報が漏れることは厳禁であり、時には領を持たぬルシャートに相談することもある。
もちろん直接的では無く、騎士の配置変更にかこつけてだが。
また王都での事業も、尋常では無い数だ。
浴場の事業はそのままに、その改築。
さらには、もう1つ建造物の予定もあるらしい。
浴場が憩いの場とするなら、そちらは民衆意識を高めるためのもの――などとムラタは説明しているらしいが、具体的には説明されていない。
ただ、そういう計画があるというだけで景気は盛り上がるものだから、ノラはそれが狙いかとも考えていた。
建造そのものを事業としてとらえるなら、港湾事業の方が具体的だろう。
さらに具体的に言うなら、港の拡張だ。
港を深く掘り下げ、さらなる大型船を迎え入れる事が出来るように改造する。
もちろん、一朝一夕に形になるものでは無いが、王宮が主導になって計画を進めている。
今までは“働かざる者食うべからず”状態であったわけだが、
「何でも、この圧倒的に正しいと思われ、見事に翻訳スキルも仕事を果たした格言なんですが、これがきっぱりと間違いだと言い切る意見がありましてですね。理屈で言えば、確かにこの格言は否定されるべきようで」
と、ムラタから言われたことで、現在では海のものとも山のものともつかぬ案に、ひたすら予算をつぎ込んでいる。
そういう意味では、確かに“働いていない”状態の者を食わしていることになるのだが、そういった状態の者達を食わせる――つまり先行投資しなければ発展もまた無いわけだ。
ムラタという権力者の後ろ盾と、理屈が揃ったことで、王宮主導では無い事業においても意識改革が起こりつつある。
ただ忘れてはいけないのは、それもこれも好景気という背景があったればこそだ。
ムラタは、その好景気をどう使うべきか手本を示したことになる。
ただ“懐が温かい”では為政者は務まらない。
事実、これ以外に新たな水道を引いてくる計画も進行中だ。
浴場での使用量が増えたこともあるが、それ以上にムラタは浴場が開いている時間も長くしたいらしい。
これで、港の建設で身体を使う者達からも小銭を巻き上げる――いや、あくまで健康と衛生のために浴場を使用して貰えるように、という腹案があるらしい。
そういった人格者のような振る舞いの影では、ギンガレー伯を貶め、冒険者を駆逐し、例のアレの殲滅を画策しているというわけだ。
働き者の異常者。
あるいはそんな言葉が、一番似合う評価なのかも知れない。
「……困ったことに、彼の話ばかりになってしまうね」
ノラが付かれたように、吐き出した。
「それはムラタ殿に対する、効果的な評価になるかも知れないよ。本人は目立ちたくないみたいだし」
「まぁ……確かに名前はさほど知れ渡ってはいないようだが」
今は、ギンガレー伯の評価が高くなっているところだ。
つい先日、ついに浴場に乗り込んだらしい。
以前のマウリッツ子爵のように、僅かな供回りを連れて、民衆からの忌憚ない意見を取り入れるためと称して。
それを同時に思い出したのだろう。
2人は互いに微妙な表情を確認し合う。
「それで……」
「ああ」
話題を変える必要性を感じたのも事実だった。
「その会誌絡みのことだけど……本当にムラタの言うような事は起こるのかな? 俄には信じがたいんだが……」
「こればっかりは感覚が必要だよルジー。その感覚に従うなら可能性は高い」
困惑を続けるノラに、ルシャートは断言した。
そして、こう続ける。
「――むしろ、それを予見したムラタ殿の方が奇妙に感じるけどね。あの人は素養が無いんだろう?」
「……らしいけど、ムラタの世界ではそれで事件が起こったらしいよ。血が流れたこともあるらしい」
そんな風に苦しげに呟くノラを見て、ルシャートの表情が引き締められた。
「……思うんだけど、ムラタ殿の元の世界って……」
「ああ、間違いなく“奇妙”だ」
それだけは確信を持って、断言するノラ。
その言葉に、何故か安心したようにルシャートは笑みを見せ――2人は口づけを交わし、それぞれの“仕事”に向けて、心を切り替えた。
果たして戦うべきは“仕事”か“ムラタ”か?
――それが問題だ。




