それは今、ヒーローになるとき
「そうだ! 滓ラックだ!」「滓ラック! 滓ラック!」
「こんな奴は、本当に滓だ!」
「お前の贅沢の仕方――間違いなく滓ラックだ!!」
怒号。
と言うほど、一斉に声が上がったわけでは無い。
広場に集まった民衆。
そのあちこちから、ラックに対する悪口が放たれたのだ。
こういった現象自体は珍しいものでは無い。
このように衆目に刑の様子を晒すこと自体が、この様にして民衆のストレス発散が目的であるのだから。
実際、周囲を取り巻く近衛騎士――いや従騎士達からも制止の声がかかることは無い。
そういった“祭り”であることは確かなのだから。
それに加えてラックを生贄に捧げることで、民に対する統制も出来る。
為政者にとっても、公開処刑は利点が大きいのだ。
――滓ラック! 滓ラック!
その語呂が良かったのだろう。
広場に詰めかけていた民衆が声を揃えて叫ぶ。
元々、ラックの罪状は確かであったのだ。
弱者からの搾取。
普段から貴族がやっているようにも思うが、とてもそこには手を出せない――文句も言えない。
だがそれも平民相手では、戸惑う必要も無い。
何しろラックを生贄に提供したのは、貴族以上――次期国王なのであるから。
意気揚々と、人々は叫ぶ。
殺せ!
と。
だが……
一方で、死刑台の上のラックはいよいよ自分の運命を受け入れ始めていた。
ここまで槍玉に挙げられては、もはやラック自身は「死」と変わらない状態だ。
この先、どうやって「生」に執着すれば良いのか。
今の状態は単純に「まだ死んでいない」だけ。
でも……
でも、ここまでのことを自分はしてしまったのだろうか。
確かに、横領はした。着服した。
それは確かに悪事であろう。
だが、問答無用に首括られるようなことだろうか?
これは見せしめ。
ただ偶然に自分が槍玉に挙がっただけ。
自分が死ぬ理由は、そう――偶然なのだ。
そんな風に、ムラタの世界で言うところの「悟りが啓けそう」な表情を浮かべるラックの頭部に、麻袋が被せられる。
いよいよ処刑執行だ。
ギリギリギリ……
荒縄がよれて、軋んだ音を奏でる。
ラックの両足が浮く。
広場からは久しぶりの見世物に、あちこちから生唾を飲み込む音が聞こえてきた。
「……待て待て待てーー!!」
その広場に声が響き渡った。
それは有り得べからざる言葉。
しかし、聞き馴染んだ声。
果たして声の主はギンガレー伯だった。
栗毛の馬にまたがって、いつもの髭面で広場に乗り込んできたのである。
ただ、いつもは、しっかりと整えられている衣服が随分と乱れている。
そしてそれに続くのが2人の従者だ。
馬には乗らず、ギンガレー伯よりも表情を歪めて、民達を威嚇している。
もっとも威嚇というのは、偶々そうなっただけであろう。
騎乗のギンガレー伯についてきただけで、体力が限界まで絞り尽くされてしまっているのだから。
あるいはラック以上に、今にも死にそうな面持ちである。
「その処刑、しばし待たれよペルニッツ子爵!」
そんなギンガレー伯を止める者はこの場に居ない。
何と言っても“伯爵”だ。
ギンガレー伯は慌てた様子で死刑台に登ると、従者――ヨハンとキーンなのであるが――に指示を出して、吊される寸前のラックを下に降ろす。
「閣下。何事かありましたか?」
相変わらず幽鬼のようなペルニッツ子爵が尋ねる。
「その処刑、一端待っていただく――皆にも聞いてほしい」
突然、ギンガレー伯が民に呼びかけた。
「確かにこの者が為した事は、認められることでは無い! 自らに何の功もないままにいたずらに、利を貪った!」
ここのところ、講義が続いているせいか、声量、言葉遣い。
その全てが堂に入っている。
民達も吸い込まれるように、ギンガレー伯に視線を向けていた。
「だが、ここまでのことだろうか? 皆には今一度考えて欲しい。これは死に相応しい罪状であったかを!?」
実際、この国には法律――明文化されている“決まり事”が無い。
だからこそ典儀卿なる役職を設け、何事も前例に従うという慣例が出来上がっている。
それは確かに不安定さがあるが、必要とあれば恣意的に判断出来るということだ。
明文化する利点は、まさに恣意的に治世が運営され、民を苛む危険性を防ぐ理由があったにちがいない。
だが――
「それに私も、こんな事で皆の心から優しさが失われるのを悲しく思う。皆! 許そう! 大きな心で! 簡単に死罪を選ぶような余裕がない在り方は、自らを貶めることになる!」
恣意的に選択された事柄が民を思う故の結果であったなら?
果たして、権力者が恣意的に振る舞うことの危険性を訴える事が、民達に出来ただろうか?
そして、確かにラックについては死罪が本当に適当なのか?
そう感じていた者が多いのも確かな事実であるのだ。
「――閣下。然りとて、ここで訴えるだけでは……」
「ご安心めされいペルニッツ子爵。報を聞いて、私自ら殿下に上奏させていただき、条件を緩めていただいた」
「緩める?」
この辺りのやり取りはいかにもスムーズだ。
まるで公会堂で「サマートライアングル」が行っているかのように。
それもそのはず。
言うまでもない事だが、この一連の流れは“出来レース”だ。
「然様。次期国王殿下も、お心、お塞ぎになられていたご様子であった。本当にこれで良いのか? と」
ここでしっかり間を取るギンガレー伯。
最初からペルニッツ子爵の提案には、この様に次期国王を立てる事が盛り込まれていた。
逆にそれさえ守っていればムラタは、この出来レースに対しても首を縦に振ると。
それに――
「マドーラ様が?」
「そうだな……殿下も、そう考えておられたのか」
「お姫様も、苦しいんだ」
広場の民からも、そんな声があがり始めていた。
これもまた予測通りだ。
「――しかしながら前例があるため殿下としても難しいところであったのは間違いない。だがそこに私が申し出たわけだ。『殿下。私めは初の“護民卿”であります。私めの判断、行動を前例で縛ることは出来ません』とな」
ここでギンガレー伯の登場だ。
民衆もまるで芝居を観てるかのように、じっとギンガレー伯に注目した。
……本質的は、まさしく“芝居”であることも間違いないのだが。
「その私の言葉を聞いて殿下は。愁眉を開かれた」
だから、こういう難解な言葉を平気で使う。
民衆の理解について考え及んでいない。
それでも民達のコソコソ話で、その弊害は除かれたようだ。
たっぷり間を取った演説が、功を奏した形だが、これは偶然だろう。
「私は民を護る護民卿だ。だからこそ、あまりに行き過ぎた前例から民達を護らねばならぬ。荒んでゆこうしている民達の心を護らねばならぬ」
周囲に自らの声を染みわたらせるかのように。
また、ギンガレー伯自身もそうなることに確信があるのだろう。
言葉を重ねる事無く、まるで広場の民1人1人を見つめるように、左から右へとギンガレー伯は見渡す。
決して威圧的にならぬように。
この辺りの匙加減は、やはり講義を重ねた事で身についたものなのだろう。
「……だから、もう一度問おう。本当にこの者は死すべきであったか? と。そうすることで皆の心に後悔が生まれることは無いか? と」
その質問に対して即座に判断出来る者は希であるのだろう。
そこで、死すべきだ、と声を上げることで自らの責任を受け止める覚悟は簡単に出来ない。
さらに、ギンガレー伯が死罪を望んでいないこともまた明白。
その言葉を信じるなら次期国王もだ。
「……伯爵、私は死罪を望みません」
ついに民達の間から声が上がった。
しかも女性の声だ。
「おお、真か。勇気ある淑女よ。やはり王都の民の心は健やかさを示してくれたか」
あまりに芝居がかったギンガレー伯の台詞。
だが、それはこの場の雰囲気に相応しかった。
――即ち王都の歴史が動く、記念すべき転換点に。
「……俺もやりすぎだと思うぜ!」
「伯爵、アンタ良い人だよ!」
「そうだ、俺たちは許すべきなんだ!」
声が次々と上がる。
この声こそが、たどり着くべき場所。
死罪によって人々の心が萎縮して景気の後退を招くよりは――
それこそがムラタを説得しうる、最大の切り札だった。
これによってギンガレー伯は、王都と、民と、そしてムラタに勝利を収めることが出来たと確信した。
――今、自分は、ムラタの思惑を越える形で、自分が思い描いていたままの形の、絶頂を味わっている!
ギンガレー伯は、その熱にうなされていた。
「ありがとう! 皆、ありがとう! 皆のその声が、この者を救ったのだ。そういう声が挙がれば、この者を救うようにと、そのような条件だったのだ! 今、皆は1人の人間を救った!!」
うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
歓呼の声が上がる。
熱気が渦巻く。
その中心に居るのがギンガレー伯であることは間違いない。
――確かに今、ギンガレー伯は英雄であった。




