はたまた抵抗の常套手段
貴族街――
王都の喧噪からも遠ざけられた、閑静な一角。
そこにギンガレー伯が、屋敷を求めてから随分経過している。
時刻は午後。
遅めの昼食も終わり、午睡のまどろみに身を任せようとしている者も多いこの時間帯。
「よくぞ! よくぞ見つけてくださった!」
ギンガレー伯の声が響いていた。
ここ最近の演説で声帯が鍛えられたのか、随分と声が響く。
これが街中であれば、間違いなく注目の的になるところだが、有り難いことに伯爵が手に入れた屋敷は広さも充分であった。
決して“近所迷惑”にはならないだろう。
その代わりに、側で使えるノウミー出身の護衛、ヨハン、キーンの表情が歪められる。
もちろん椅子に腰掛けている伯爵の背後に控えているので、その変化を伯爵自身が気付くことは無い。
その代わりに、伯爵の正面に腰掛ける人物――ペルニッツ子爵には、しっかりと見られたはずだ。
だが、その子爵からは変化が窺えない。
先ほど、ギンガレー伯に報告してきた時と同じように、うつむき加減でジッと伯爵を見つめていた。
ここ最近の、黒づくめと言っても良い出で立ちで、背後にはお付きらしい老爺が1人。
言っては何だが、なんとも縁起の悪そうな取り合わせである。
「まずは伯爵に報告すべきだと考えまして。閣下は護民卿であらせられますから……」
「まことに。助かりまずぞ、殿下!」
相変わらずギンガレー伯はボリューム調整失敗したまであるが、先ほどよりは大人しくなっているようだ。
そのギンガレー伯は、しっかりと豪奢な衣服に身を包んでいて、相変わらず商人のような出で立ちである。
やはり緑系統が好みなのであろう。
それに金糸で細かく刺繍が施されていた。
率直に言えば、なかなかの成金振りだ。
何しろバイナム杉でぼろ儲けしている真っ最中である。
浴場で使用されたことで、すでに十分な富を得る事が出来た。
しかし特需の本番はこれからである。
高級な建材として評価を確立してしまったバイナム杉。
名前だけでは無く、実際に建材とし優秀である事も手伝ったのであろう。
建材のみならず、家具造りにも利用され、貴族達の間で奪い合うような状況であるのだ。
需要に対して供給が間に合わなければ、当然価格は上昇する。
それは伯爵のみならず、ノウミー、ギンガレー領を潤わせた。
護衛のヨハン達に特注の鎧を仕立てる事など、朝飯前。
一時期、自領との折り合いが悪かったが、今では向こうから何も言ってこない。
こうなればギンガレー伯の次なる野望は、名声の獲得に向かう。
そしてペルニッツ子爵がもたらした情報は、色々な意味で喉から手が出るほどに欲していたものだった。
単純に悪事を突き止める――というわかりやすい理由ばかりでは無い。
不具合を発見する事が出来た。
これが大きい。
何しろ王宮の支配者たる“異邦人”は口を酸っぱくして、何度もこういうのだ。
――絶対に、上手く行っているはずが無い。
と。
ギンガレー伯だけに留まらず、このムラタの“悪癖”には皆が辟易していたが、実際にアレコレと問題点が出てきているのも確か。
となれば、なんとか問題点を見つけ出さなくてはならない。
それこそが名声を得るための、絶対条件。
ギンガレー伯はそんな風に捉えていた。
「して、その問題のギルドは何をしていたのですかな?」
「譜面ギルドですな……こちらがその資料です」
ペルニッツ子爵は書類の束を伯爵に差し出した。
それを無言で受け取って、伯爵は目を通す。
だが、その眉間にしわが寄った。
「……これの何処に問題が?」
「私もそれを見たとき、理解しがたかったので説明を求めました――確かヨハン、といったかな?」
不意に名を呼ばれたヨハンが、自らを指さしながら一歩前に出てきた。
「閣下。その資料を彼に見せて貰えますか? 恐らく、すぐに気付くと思われます」
「う、うむ……」
戸惑いながらもギンガレー伯もヨハンに資料を渡した。
その書類が特別なものだったわけでは無い。
その資料は、譜面ギルドの出納記録。言ってしまえば、それだけが記されている、真面目な事務資料である。
――だが、表に見せることが出来ないものであることも確かだ。
「……これおかしいですね。この人、1番仕事をしてるのに、何故こんなに少ないんですか? 他にもそういう人が結構……このラックというのは?」
案の定と言うべきか、即座にヨハンはおかしな部分に気付いた。
「サマートライアングル」に曲を提供した報酬は、当たり前にその制作者にわたるのが道理であるはずだ。
だが、その道理が為されていない。
商取引であるので、そこに譜面ギルドが乗り出してくるのも不思議は無い。
そこに浴場から入金がされる。ここにも問題は無い。
だが譜面ギルドに入ってからの金の流れが、道理に反している。
ほとんどの金がギルド長であるラックの懐に入っているのだ。
一番上の者が潤うのは貴族にとっては、不思議な事では無い。
だからこそ発見が遅れる――ギンガレー伯の特質である可能性もあるが。
だが、ギルドとは相互互助会だ。
手続きの関係上、ある程度は組織内での上下関係は必要になるが――最優先に守るべきは上下関係では無い。
この辺りが貴族には、理解しがたいのであろう。
だがヨハンのような一般人から見れば、ラックがおかしな事をしているのは自明の理であった。
その辺りをヨハンから説明されて、ギンガレー伯は曖昧に頷いた。
「と、とにかくお手柄ですな殿下。これは報告を……」
「閣下」
相変わらず幽鬼のような面持ちで、ペルニッツ子爵が再度ギンガレー伯に呼びかけた。
「な、何か?」
「その件について1つご相談が。護民卿であらせられれる閣下に是非ともお聞き届け願いたい」
「とにかく聞いてみないことには……」
「閣下には――
□
――またおかしな事を考えたものだな」
そう王宮で応じたのは、リンカル侯だ。
現在、ムラタに呼び出されて王都での経済効果についてダメ出しをされている真っ最中だ。
とは言ってもダメ出しをされているのは侯爵の配下で、ダメ出しの理由は「上手く行っていない部分を発見できないから」という、理不尽この上ないダメ出しだ。
そんな風にダメ出しされ続けて、今では油断無く王都の景気を観察し続けて現在がある。
だがムラタは何時になったら満足するのか?
そのままムラタに精神崩壊に導かれそうになってはいる侯爵の配下であるが、そのムラタがまた、
「絶対に上手く行っているはずが無い」
と、先に偏屈をさらに拗らせて精神崩壊を起こしそうな状態であるから、その内に同時に崩壊しそうな状態である。
もちろんリンカル侯にとっても、この雰囲気を歓迎しているわけでは無い――ほとんど他人事であっても。
だからこそ、顔を出したギンガレー伯の提案に興味を覚えたのだ。
不具合の発見の報告である事は間違いなく、しかも、その後の提案がなんともムラタ的だ。
「良いではないか。これはなかなか良い提案だと思うがな」
「そうですか~?」
ムラタには、良い提案だとは思えなかったらしい。
つまり民衆を安んじ、景気の高揚に繋がる――そう主張する――出来レースについての提案だ。
「そんな面倒なことをしないで、スパッと首切り落としましょう。ああ、もしかして絞首刑ですか?」
その上、物騒なことを言い出した。
提案したギンガレー伯が生唾を飲み込み、リンカル侯が渋面になる。
「そういうことも必要ですって。こう、引き締める意味が……」
「まぁ、待て。おい、普通に処刑した場合と、先ほどのギンガレー伯の提案。どちらが景気に貢献する?」
「え、あ、はい……しばしお待ちを」
ここで簡単に勘で答えてもムラタは納得しない。
それがわかっているから、リンカル侯に尋ねられた配下の者達も真剣に検討した。
そこからギンガレー伯への直答も許され、さらに検討を続ける。
だが、そこまで慎重になるまでも無い。
殺すよりも、殺さない方が有益である事は間違いのだから。
特に心理的な萎縮という方面に関しては。
だからこそリンカル侯が、意趣返しとばかりに配下の者達の真剣な姿勢に苛立ちを見せることも無く、ムラタは口をへの字に曲げ、ギンガレー伯は余裕の笑みだ。
あれからペルニッツ子爵に提案された出来レースについて、詳細を詰めてきたという自負が伯爵にはあった。
そしてムラタは、処刑の実施に賛同しないという予想にも自信がある。
それはムラタが死を厭っているのではなく、単純に経済の縮小を嫌がると踏んでのことだ。
そしてそれは、的中した。
「――わかりました。その計画で行きましょう」
投げ出すようにしてムラタがギンガレー伯からの申し出を了承した。
そのまま、タバコを取り出すとジッポーで火を点けた。
「詳細はさらに突き詰めなくてはなりませんが、この方向性で間違いは無いと思われますし、護民卿であるギンガレー伯の役割にも合致します。もちろんその後の伯爵のお仕事にも期待して大丈夫なんですよね?」
その台詞がムラタの最後の抵抗だったのだろう。
ギンガレー伯は、余裕を持って、
「お任せください」
と答えて見せた。
実際、この企みが成功裏に終われば“護民卿”としてギンガレー伯の役割は強化されることになる。
だからこそ伯爵は自信を持って応じた。
「あ、そうだ」
そんな中、不意にムラタが声を発した。
それに身体の線を固くするギンガレー伯。
ムラタに対する警戒心は、そう簡単に緩めることが出来ないのであろう。
そしてムラタは、その“期待”に応えるように、タバコを突きつけながらこう告げる。
「そのラックという人物――“晴れ舞台”に引っ張り出す前に、話をさせて貰えませんか?」




