どっちの串焼きショー
「では殿下。参りましょうか」
と、浴場前の広場でアーチボルトに声を掛けたのは、近衛騎士団から派遣されたクリスティンという名の騎士だ。
騎士とはいっても平服であり、肌寒くなってきた季節であるのに半袖の短衣姿である所がまた異様だ。
その短い袖からはみ出している様にしか思えない筋肉量も、異様と言っても良いかもしれない。
アーチボルト自身も力自慢ではあるが、さすがにこの男には負ける。
そういう面では確かにうってつけの男ではあるが……
「本当に2人だけで?」
「そのように伺っております」
満面の笑みでクリスティンは応じた。
そう。
浴場を見物と言っても、せいぜいが馬車に乗ったままで外観を遠くから一瞥。
アーチボルトが考えていたプランとは、せいぜいこれぐらいだ。
それがまさか浴場に入るように、などと指示が出るとは思わなかった。
最初は単身乗り込んでこい、などと言われたので、そこで抵抗してみせると、クリスティンをあてがわれたというわけだ。
そんな事情であるから、
(……どうにも嵌められた気分だ)
と、アーチボルトが考えてしまっても、仕方のない話だ。
その“疑う”という心をもっと早くに持ち合わせていれば、随分状況が変わっていただろう。
その上である。
「おや、クリスさん。今日はお仕事じゃ無かったのかい?」
「実は今日は仕事なんだ。羨ましいかい?」
などと、クリスティンは浴場の常連と思われる年配の紳士と気安く挨拶を交わしている。
「こちらは、はるばる王都に訪われたマウリッツ子爵殿下だ。今日は浴場の視察でな」
「なんと、お貴族様かい? これはもったいないお話で」
護衛対象の素性を明かす。
これ自体が尋常では無いが、さらに驚くべき事態に移行した。
「そうだ、ナフィアさん。私と一緒に殿下を案内して貰えないだろうか?」
「私もかい? それは畏れ多いことだが……お役に立てるのなら」
さすがに事ここに至っては、アーチボルトも悟らざるを得ない。
護衛とは、やはり名目に過ぎないのだと。
だが、ここでどのように文句をつければ良いのか。
それがさっぱりわからないのが田舎者の哀しいところ。
さらには名目上は王命を拝している状態である。
ここで反抗することも出来ない――何しろムラタの“踏み付け”を直に体験しているのだ。
こうしてアーチボルトはクリスティンに引きずられる様にして、浴場に乗り込むことになったのである。
□
ムラタは鬼かも知れないが、計算は出来る。
つまり、
――浴場で貴族が酷い目に遭うなどということが起これば、ろくな事にならない。
ぐらいは予測できるということだ。
だから、ナフィアという紳士からして組織の手配であるし、他にもアーチボルトを守るために人が配置されている。
クリスティンも護衛の仕事を放棄したわけではない。
ただそれ以上に、アーチボルトに浴場を紹介する、という任務が重要であるというだけだ。
「何か……思った以上に賑やかなんだね。お酒も……」
浴場に入る前の空間。今は公会堂などと呼ばれているが、そこでは多種多様な人々が、椅子に腰掛けて、何やら談笑している。
いや談笑だけではない。
酒場の様な雰囲気はないが、それも含めて軽食を摂っているもの。
カードなどの遊戯にのめり込んでいるもの。
あるいは談笑と言うよりは、婦人達が集まって井戸端会議の様な雰囲気を醸し出しているところもある。
なにより、これだけ人が集まっているのに、トラブルらしきものが見あたらないのが、アーチボルトには異様なものの様に思えた。
公会堂全体で、和気藹々という様な状態では無いだけに特に。
せいぜいで口喧嘩止まりだが、それでも尚、手を出す様子が見られないのだ。
自分の領地では、まず間違いなく殴り合いに発展している――アーチボルトは、それこそ異世界に迷い込んだ心地になってしまっていた。
「確かにここでは酒精も提供されてますが、殿下はいけませんな」
クリスティンがしかめっ面でアーチボルトに応じた。
「そ、そうかい? やはり……」
「殿下には厳正なる判定をお願いしたい」
クリスティンがさらに迫る。
今、アーチボルトの前には2つの串焼きが並べられていた。
この2つの串焼き、どちらが旨いか? ということでまさに今、アーチボルトの前で諍いが起きている――手が出ることは相変わらずないのだが。
つまりは公会堂で軒を並べている出店の味比べだ。
最初は、純粋にアーチボルトをもてなす考えがあったらしく、普通に串焼きが提供された。
だが、それに異論を唱える様に、
「こっちの方が旨い」
と、別の串焼きを差し出す者がいた。
この2つの串焼きについては、そもそも公会堂で派閥が出来ていて、謂わば喧嘩のタネではあったのだ。
それをクリスティン――それにナフィアも――知らぬはずがなく、最初からアーチボルトを巻き込む気満々であったわけである。
さて、そんな塩梅で熱くなった民衆に囲まれてしまった貴族であったが、いざそういう環境に追い込まれると、不思議に自領の雰囲気を思い出していた。
つまりは民と共に楽しみを分かち合う雰囲気。
となれば、自領で行っていることとあまり変わらない。
片方は豚肉。片方は羊肉。
果たしてこれで、何故競い合う必要があるのかアーチボルトには不可解であったが、民が求めているのならば、判断せねばなるまい。
アーチボルトは貴族としての責務を果たすため、2つの串焼きに挑みかかった。
その様子を、周囲の人々が口を噤んで見守る。
まず片方を一口。
そして、こういう状況になった以上、片方を味わったあとにはエールで口を一端流さねばならない。
その辺りは、クリスティンも心得たもの。改めて注意することもなく、こちらも黙ってアーチボルトを見守っていた。
その視線を受けて、もう片方も一口。
それからアーチボルトは、じっくりとそれを咀嚼してから、決断した。
「――うん。こちらの方が旨い様に思う」
アーチボルトが差し出したのは羊肉の方だった。
その一瞬に、弾ける周囲を囲む人々。
歓喜でも、悲嘆でも。
同じ音量で騒ぎ立てるので、果たして自分の裁定が受け入れられているのかが、アーチボルトにはさっぱり見えない。
「殿下。理由をお伺いしても?」
「あ、ああ――」
アーチボルトはクリスティンに促されるままに、説明を始める。
それにつれて騒ぎ出していた、周囲の人々も静まっていった。
「……私は王都に住まう者たちの様に、洗練された料理に馴染みが無いのかも知れない。だが、それを考えても、こちらの羊肉の串焼きはハーブの使い方が見事だとおもう。タイム……とはわかるのだが、もう一つ何か。これが深みを与えている様に思う」
おおおおおおおおおお――
今度は声を揃えて、歓声を上げる人々。
「なるほどなぁ」
「さすがは貴族様」
「俺は前から、そう思ってたんだよ」
「最初から言え、ってな」
そして“お祭り”を充分に堪能したのか、人々は三々五々と散ってゆく。
どうやら無事に済んだらしいと、アーチボルトが胸をなで下ろしたところで、こんな声が聞こえてきた。
「――どうやらカタントで決まりだな」
と。
その言葉の意味について、アーチボルトが首を傾げていると、クリスティンが満面の笑みで声を掛けた。
「ではいよいよ浴場へ。と、その前に脱衣場ですかな」
アーチボルトはコクコクと頷きながら、クリスティンに従った。
□
脱衣場と言っても、服を脱ぐだけの場所では無い。
じっさいに湯船に身を浸すときは別だが、この脱衣場では湯帷子に似たものに着替えることになる。
だがアーチボルトは、クリスティンに引っ張られるままに脱衣場をスルーしてしまった。
クリスティン曰く――
「まずは湯殿でさっぱりしましょう」
ということらしい。
ということで浴場に乗り込んだアーチボルトは、人々と交わりながら入浴した。
元々、海に面し半裸で仕事をすることもあるマウリッツ子爵領であり、そこの領主である。
こちらも、短い時間で馴染んでしまった。
いやそれどころか、しっかりと鍛え抜かれたアーチボルトの身体に賞賛が集まり、すっかり良い気分になってしまっていたのである。
それに湯殿の広さが一役買ったの事は言うまでもないだろう。
もちろんただ広いだけでなく、打たせ湯など趣向を凝らした施設も堪能した。
それによって、アーチボルトはすっかりリラックスしてしまったのである。
「――つまり公会堂はアピールのための場所なんですな」
脱衣場で湯帷子に身を包んだアーチボルトは長いすにうつぶせに身を投げ出していた。
そして、その横には同じ姿勢のクリスティンが。
つまりは並んでマッサージを受けている、という状況だ。
「アピール?」
「そうです。何しろ人が集まってきますからな。例えば、壁をご覧下さい」
言われるままにアーチボルトは頭を巡らせた。
壁には、何事か刻まれた銅板が掲げられていた。文字だけでなく、絵のようなものまできざまれている。
「あれは?」
「あれらは告知です。芝居の告知。講座の告知。はたまた新商品の告知。それが掲げられているのですよ」
「そう言われてみれは、公会堂の柱にも……」
よくは見なかったが、確かに柱には似た様な銅板があったことをアーチボルトは覚えていた。
「さすがにお目が高い。そのとおり。今や浴場はただ湯殿に浸かるだけの施設では無くなっているのですよ」
「それは……」
湯に当てられただけでは無く、のぼせ上がっていたアーチボルトの頭の芯が冷めてゆく。
――浴場という施設の価値に気付いてしまったらしい。




