田舎者、餌食となる
マウリッツ子爵爵位襲名――
略式から随分時間が経ってしまったが、この度、王都において正式な襲名式が執り行われた。
しっかりと儀礼を守った形で。
お役目を請け負っている大貴族達が見守る中で、アーチボルトは緋の絨毯の上で跪き、改めて次期国王に忠誠を誓った。
この時ばかりは2人とも一張羅と呼べる様な出で立ちである。
とは言っても、マドーラは新たにドレスを仕立てるわけではなく、御前会議で身につける、あの不思議な光沢の衣服だ。
それで充分、威儀を整えられてはいる。
それにプラスして、例のムラタが手を入れた玉座の効果もあった。
マウリッツ子爵領から出てきたアーチボルトには、それで充分であったのだろう。
その驚愕を隠そうともしない表情は、居並ぶ大貴族の達の心を随分と安らげた。
その光景を素直に喜ぶことが出来る、素朴さ、幼気さに、慰められたのだ。
……諦観というものに近いのかも知れないが。
そのアーチボルトは巻き毛をしっかりと油で固めて襟足で縛っている。
長衣はエメラルドグリーン。
なかなか気張った出で立ちではあったが、不思議と似合っていた。
元々、彫りが深い顔立ちではあるので、いくらでもいじりようがある、ということかも知れない。
一方で、彫りが深くもないムラタもこの場にはいた。
だが、襲名式典の時には特に目立つこともなく、ただただマドーラの横で佇んでいただけ。
アーチボルトは礼をしようとしていたが、ムラタがそれを手を翳すだけで不要である事を伝える。
そもそもムラタは“埒外”。
そんなものに対応する儀礼なぞ設定されていないのだ。
それをアーチボルトが理解したのかどうかはわからないが、ムラタはあの襟ぐりの広い白い長衣にうずくまる様にして、ただ黙って襲名式を見つめ続け――
――襲名式は無事に終了した。
□
そんな襲名式の翌日である。
昨晩、アーチボルトは王宮に宿泊していた。
典儀卿を勤めていた先代マウリッツ子爵は当然、王都に屋敷を抱えていたわけだが、その屋敷は賠償金の一部として、王家に譲渡されている。
そういった事情であるから、アーチボルトには宿がない、というわけだ。
だが、その屋敷を使えば要らぬ費用が掛かっていた事は間違いなく、王宮にいればロハ。
賠償金の支払いで緊迫――と言う程では無いが、節制を奨励したい状況では、こちらの方がアーチボルトにとっては助かるのも事実。
助かる、という以上に「上手く出来てるなぁ」とアーチボルトが感心してしまうのも、無理からぬところだろう。
そういう理由であるから、午後になってマドーラに呼び出されたアーチボルトは素直に侍従の案内に従って指定されていた「ゼラニウムの間」を訪れた。
襲名式での格式張った空間では、どうしても踏み込んだ話も出来ない。
昨晩の式典には、当たり前にマドーラは出席していなかった――つまりムラタもその場にはいない。
代わりにメオイネ公、リンカル侯を始めとする大貴族達から、マウリッツ領を窺う眼差し付きで、行われる“様子伺い”。
それに対しては、曖昧に――あるいは正直に。
それを心がけて乗り切った翌日のことでもある。
アーチボルトにしてみればこれからが本番、と気合いを入れ直したいところだ。
「ゼラニウムの間」とは、王家の使う応接室の様な間であることは聞いている。
ここで具体的な話になるのだろう――父の運命に関して。
「ふむ。やはり小麦の備蓄に不安が残るというわけですね。こちらの援助は必要ですか?」
「は、はい。対価については次の春まで待っていただきたく……」
確かに食糧事情についても、調整しなくてはいけない。
この辺りも必要な事であることは間違いないのだが、父であるフェルディナンドのことにも興味があるはずなのに、一向に話題に出てこない。
そもそもマドーラは、さして発言するわけではないが……
(となると、一体何故お会いになろうとされたのか?)
この辺りが疑問だ。
今は3人共が子爵領で会っていたときの様な、それぞれが動きやすい服装だ。
アーチボルトも髪を固めてはいない。
その辺りも、ざっくばらんに、という指示があったからこれで間違いはないはず。
大体、相手もそういう雰囲気の出で立ちであるのは間違いないはず。
いや――
(……もしかして、あれは気を遣ってくれただけで、本当は装いが相応しくないのか!?)
愕然として声を上げるアーチボルト――もちろん胸の内で。
だが、そんなアーチボルトのあからさまに過ぎる表情、仕草にムラタが気付かないはずが無かった。
「体調が思わしありませんか? アーチボルト殿」
前マウリッツ子爵を“フェル爺さん”と呼んでいるのだから、彼の呼び方がファーストネームになるのも必然の流れだろう。
「あ、いや……その……父のことですが……」
そして、その気安さの為か問われるままに、心情を吐露してしまうアーチボルト。
この辺り甘いと言えばそうなのだろう。
だが、その甘さに吊られたようにムラタがこう返した。
「お父上がどうかされましたか?」
と。
少し考えれば、すぐにわかる。
こんな風に他人事の様に尋ねる事自体が、異様なのだということに。
現在の王宮の体制に反発するフェルディナンドを強制的に引退させてから、まだ1年も経っていない。
これで改めてフェルディナンドの話となれば、警戒するのが当たり前だ。
それなのに、この危機意識の足り無さ。
――王宮は、それにムラタとはそんな人物であったか?
と疑問を覚えなければならない。
となれば可能性としては、自分の領内に密偵が入り込んでいる可能性に気付かなければならない。
それをムラタはわかりやすく示したわけだが、アーチボルトはそれに気付く気配はなかった。
それを愚鈍と捉えるべきか。
はたまた朴訥と捉えるべきか。
あるいは密偵に探られていても構わない、と王家への忠誠心をアピールしているのか。
「……どうもここ最近、父の様子が」
「何か不都合なことでも? 不逞の輩とつきあい始めたとか」
そういった駆け引きは何処吹く風で、アーチボルトはそのまま会話を続けた。
その様子を黙って見つめているマドーラは、どのように判断しているのか?
なかなか難しいところだろう。
「いえ孤立……しています」
「では、そこまで不安に感じなくても良いのでは?」
さすがにこれにはアーチボルトも言葉の意味を察した。
「確かに父1人で孤立している分には問題は無いのかも知れません。今まで強硬に父と同調していた年寄り達も、今では心を入れ替えた様子ですし」
「それは何より。となれば、ますます危険視する必要は無いと思いますが」
「ですが父1人であも、あの有様では……」
「アーチボルト殿」
ムラタが居住まいを正す。
「冷たくお感じになるかも知れませんが、それは子爵領で処理すべき案件です。例え、その先に再び王家への叛意が認められるとしても、それに対処するのは貴方であるべきなんです――マウリッツ子爵」
アーチボルトの喉がゴクリと鳴った。
「確かに急場になっての爵位襲名。色々と不慣れな事もあるでしょうが、まずは足下の不安には対処できるようにならなければね」
「は、はい……」
すっかり小さくなるアーチボルト。
そこにムラタは優しげに語りかけた。
「ちなみにフェル爺さんはどんな様子なんですか?」
その言葉に救われた様に、アーチボルトが顔を上げる。
「は、はい! なんというか神官職を得ようとしている様子でして」
「……それは良いことなのでは? “異邦人”には詳しいことがわかりませんが」
「いや、それがですね。何やら神官と言い争うことが多くて……父はああいう人間ですから」
「何か譲れぬ物を、神官職の中に見出したわけですね」
ムラタが先回りして、アーチボルトの発言を引き取った。
アーチボルトは、我が意を得たり、とばかりに大きく頷く。
何かを期待するかのように。
「……わかりました。少し考えてみます」
そしてムラタはアーチボルトが期待する言葉を口にした。
これで王都での目的が果たされる、とアーチボルトが表情を緩めたところで、ムラタは狙い澄ましていたかのように、身を乗り出した。
「――実はこちらからもお願いがありまして」
「は、はい」
カウンターを食らった形になったアーチボルトが、戸惑いながら答える。
深く考えないままに。
「“浴場”についてはご存じですよね?」
「はい無論」
王都を訪れているのに知らないはずがない。
帰る前に、1度見物に行こうとまで考えていたぐらいだ。
「ほら――マドーラ」
そこで何故かムラタはマドーラに話を振った。
わけもわからずマドーラに視線を向けるアーチボルト。
そういった状態になって、ようやくのことでマドーラは口を開いた。
「……私の代わりに浴場の視察をお願いできませんか?」
「はい?」
慣れぬ新しいマウリッツ子爵は、確実に礼を失した対応をとってしまう。
そしてそれを見つめるムラタ。
――唇の端に不満げな閃きを見せて。




