願うは、ウイットに富んだ脅迫
ついに浴場は完成した。
名を「レタングス浴場」という。
名付けたのはムラタだ。由来は単純にマドーラの姓、つまりは国姓を与えたという形になる。
王家から王都に住まう者たちに下賜された形を整えたわけだが、マドーラはそれに対して無表情を貫いていた。
ムラタにしても別に積極的では無かったが、政治的な意味合いから、このような運びになったわけである。
浴場建設はマドーラの人気取り政策に違いなく、それならそれで「マドーラ浴場」とでも名付ければ良いのだが、それはマドーラが拒否したようだ。
そこで折衷案に国姓をくっつけたというわけである。
マドーラは言うまでも無く、自分の姓については愛着も執着も無かったので“レタングス”については何ら反応を示さなかった。
あるいは嫌ってさえいたようだが、それだけに“レタングス”については、まったくの無関心であり続けたわけである。
ムラタは言うまでも無く“埒外”であるので、王家もへったくれも関係ない。
ただ、その姓が都合が丁度良いから使った、という以上の考えは無いらしい。
むしろムラタが心を砕いたのは、開場予定日の天候である。
当たり前に雨天を嫌がった。欲を言うなら晴天であって欲しい。
最終的にはそういう時に使える魔法は無いのか? とまで言い出した。
そこでメオイネ公が、
「晴れるまで、延期すれば良いだろう」
とあっさり告げ、その瞬間呆気にとられたような表情をムラタは浮かべたのである。
メオイネ公にしてみれば、ムラタの心配の方がよほど滑稽に見えていたのだ。
何もかもが、自分の都合の良いように調整できるのに、一体何を憚っているのか心底不思議だったのだろう。
確かに天候を都合通りに操るのは難事だが――できないわけではない――だからといって民の都合など考える方がどうかしている。
ましてや今回は、浴場の開場だ。
それこそ王家の、つまりはムラタの都合に合わせれば良い。
後は、下の者達が勝手に調整する。
それが“世の中”というものであるのだ――メオイネ公にとっては。
ムラタも、ただその一言で、状況が理解出来たようだ。
そして自分の心配がズレていたことも。
その後、「専制君主る~る~る~」と不思議な歌を歌い始めたが、取りあえず正気ではあるらしい。
ムラタがマドーラを専制君主などと考えているとは思えないが、自らが持つ権力を正確には把握できていなかったことは確かだ。
果たしてこれを小市民的と言うべきか否か。
だがとにかく、それ以外にさして問題も無く――ムラタの心配も問題では無いのだが――開場の日を迎えることが出来たのである。
□
取りあえずは快晴。
雲1つ無い、とはならなかったが、十分であろう。
浴場の前の広間には簡易的な舞台が設置され、式典の真っ最中だ。
いつぞやの「浴場の癒やし手」――現在は「サマートライアングル」に名義変更――最終競技の発表会と、基本的に造りは同じだ。
違うのは舞台に上っている者が、年齢を重ねた男性が多い……というか、女性の姿は無い。
神官の姿もあるし、裕福そうな衣服に身を包んだ商人らしき人物もいる。
そして、中央にはギンガレー伯も。
この浴場を開設にあたって、協力して協賛した面子であろう、と舞台を見上げる民達は考えていたが、ギンガレー伯に関しては内実は少々違う。
正確なところを言えば、ギンガレー伯は王家のスポークスマンに過ぎないからだ。
浴場建設にあたって耳障りの良い言葉を並べた――という部分を功績と考えることは可能であるが、ギンガレー伯は最近自分の手柄について、いささか勘違いしている部分がある。
こういう舞台に上がってしまうと、内容がさほど伴わない、美辞麗句で以て自分を飾り立て、やたらに演説が長くなるのがその証だ。
だが民衆は、ギンガレー伯が何か手を尽くしてくれたのだと考えているから、それでも大人しく聞き続けている。
今回は、この騎士がしっかり会場を警備しているのだが、その手を煩わせることも無い。
ギンガレー伯の近くに侍る、彼自身の個人的な護衛に腐……熱い視線を送る一団もいるのだが、さすがに視線の性質では取り締まれるわけもなかった。
このままギンガレー伯オンステージが繰り広げられるかと、ある意味覚悟を決めた民衆達。
とにかくこれが終われば、浴場なる珍奇なものを見物することが出来る。
「サマートライアングル」に声援を送ることが出来る。
どうやら警護の為に引っ張り出された「鋼の疾風」に会うことも出来る。
様々な期待を抱きつつも、民衆はただギンガレー伯の退場を待った。
ギンガレー伯の演説には、さほど興味を抱くことも無く。
……一定の層には必要な時間だったとしても。
ところが、である。
「それでは私からはここまでとする」
出し抜けにギンガレー伯から終了の言葉が紡ぎ出された。
今までの演説と比べれば、ザッと10分の1。
聴衆が、何か聞き違ったのか? と呆気にとられるほどの短さだ。
これにも、もちろん理由がある。
当たり前にムラタだ。
浴場がいよいよ開かれるとなった時、落ち着きが亡くなったムラタは、ただただ当日の天気に気を取られていたわけではなかった。
□
さすがに“護民卿”たるギンガレー伯から、浴場の開場について王宮に報告が成された。
多分に儀礼的なものであったが、ケジメとしては必要な事ではあるだろう。
かと言って、そこまで格式張ったものでは無く、実際その場にマドーラはいなかった。
儀礼というよりも、事務的側面の方が近かったのかも知れない。
ギンガレー伯が王宮に登城したときも、ムラタを中心にして内務卿たるメオイネ公と、ムラタの言うところの制服組たるルシャートが何事か討議をしている真っ最中であった。
現状の村落の経営状態について、何事か問題が発生したらしい。
部屋の中央にあるテーブルを取り囲むようにして、立ったまま向かい合っている。
問題が深刻化すれば、財務卿のリンカル侯も呼び出されることになるだろうし、それは護民卿たるギンガレー伯も同じ事だ。
だから、報告が終わった後にムラタがギンガレー伯を呼び止めた時も、その方面での伝達であろうと、その場の者が考えたとしても無理は無いだろう。
だが実際には――
「開場に際しての挨拶は短くして下さい」
ムラタは出し抜けにこう告げた。
さらに呆気にとられる一同を前にして、こう続けた。
「ああ、申し訳ない――言うことを聞かないと、生きているのが呪わしい状態に追い込んでやるぞ」
一斉に、皆の血の気が引いたのはいうまでも無い。
だが、ルシャートは立ち直りが早かった。
とにかく声を出すことが出来たのだから。
「……なぜ、最初に謝られたのですか?」
それが最初に尋ねるべき部分か? という疑問は出てくるだろうが、とにかく理不尽である、という点では、その部分が一番取っつきやすかったのは確かだ。
そしてそれに対してムラタは、
「どうも脅し文句として陳腐すぎませんか、これ? 何かもっと効果的で、尚且つクスッと笑えるような言葉を言おうとしたんですが……上手くいきません」
と、完全に軸のずれた答えを返してきた。
「脅し文句? それではギンガレー伯に含むところは……」
「ああ、それはあります」
何とか穏当なところに収めようとしていたメオイネ公の取りなしを、ムラタはあっさりと無為にした。
「ギンガレー伯がお仕事熱心なのは結構。そのために言葉を尽くすことの必要性もわからないでは無い。だが、最近どうも挨拶が長い――単純に言えば、ですが」
「そ、そのようなことは……」
ギンガレー伯が真っ青になりながら辛うじて、声を出した。
だが、それはそれで幸運であったのかも知れない。
ここで反抗するようなら、ムラタは即座にギンガレー伯を処断する可能性すらあったのだ。
あのおかしな言動は、それこそ周囲への危険信号として機能していたわけである。
「浴場については、名前からもわかるとおり王家が主導で建設してきました。そして協力者である俺も手を入れてます。当然ご存じの事と思いますが」
「は、はい……」
危険状態のままなのか、あるいは落ち着いたのか。
それが判明しないままであるので、ギンガレー伯としても唯々諾々と従うしか無い。
マウリッツ子爵領での“踏み潰し”についても、王宮ではすでに知れ渡っているのだ。
ムラタがさほど抜かないとしても、その手に握られている剣の鋭さは保たれたまま。
ギンガレー伯がじっとりと脂汗を額に滲ませる。
「開場の時の主役は“王家が下賜した浴場”。これをお忘れ無きよう。別にそれを宣伝せよというわけではありませんよ。ただ、出来るだけ早く住人に浴場を渡すように。それを心がけて下さい」
「は、はい。確かに……」
□
こうして、王都の住人達はギンガレー伯の災禍に見舞われること無く、浴場への一歩を踏み出すことだ来たというわけである。




