楽をするために働く
王宮の一室。
王家のプライベートスペースと、執務の為のスペース。
その中間辺りに位置している「サルビアの間」。
従来なら王家の者が使うような部屋では無い。
言ってみれば、使用人達の休憩室と言った方が良いのだろう。
何より、さほど広くは無い。
ただ、中庭に面しその点では確かに雰囲気の良い部屋ではある事は確かだ。
決して大きくは無いが、小さな窓から見える景色が、小品の絵画のような趣がある。
王宮での支配権を獲得して以降、マドーラが好むのはこういう部屋が多かった。
つまりは、さほど広くなく自然に接することが出来る――例え見るだけであっても――そんな部屋だ。
その中でも「サルビアの間」はマドーラのお気に入りでもある。
そしてそれはムラタも、それに実務に携わる者にとってもだ。
儀式ならともかく、毎日の仕事となるとあまり形式ぶりたくないのが人情というもの。
特に今はムラタのせいで、控えめに言っても激務、という状態なのだ。
もっともその分、しっかり休みを取るように強制されている。
ムラタが言うには、
「この方が効率が良くなる」
ということで、決して温情では無いことを本人は主張するわけだが、そのムラタは何時休んでいるのか?
これが、わからないのである。
相変わらず王宮の外に出て行くことも多いのだが、遊んでいる様子は無い。
何しろ財務官に、金銭を要求することが無いのだから。
まったくもって、欲が見えない人物である。
そのムラタが「サルビアの間」で着ているのはいつもの“異世界風”だ。
本人が全くファッションに気を遣うのを止めてしまった結果である。
片や、マドーラについてはムラタも気を遣いたいところのようだが、これまた本人にその気が無い。
ジャージで出歩くことさえ辞さない、という構えであったが、これにはキルシュが頑強に抵抗した。
それがどのような使われ方をしていたのかは知らなくても、ジャージが放つオーラが、
「これは相応しくない」
ということを知らしめているのだろう。
結果として、ジーンズ姿にレモンイエローのギンガムチェックのセーターということになってしまっていた。
ストロベリーブロンドの髪は、簡単に2つに結わえられただけだ。
こちらもやはり、部屋着には違いない。
ただ先にジャージ姿でいるを要求しているので、これでも十分であるように“錯覚”してしまう。
この辺り、果たしてマドーラの思惑通りなのか。
ここ最近のマドーラを知る者は、確実に「計算だ」と呟くのは間違いないだろう。
「サルビアの間」において、ルシャートによって広げられた資料を、チョンと座ってしげしげと眺めている様は、もはや可愛らしい、のでは無く、頼もしい、に周囲の目が変化している。
特にルシャートにとって、それは喜ばしい事であった。
かつて、マドーラを可愛い女の子として扱っていた自分自身を戒める部分も大きいだろうが、今や忠誠を捧げることに何ら躊躇いはなくなっている。
いや、そもそも躊躇う部分は無かったわけではあるが、最近では信仰に近い物を感じられてしまう程だ。
それでもキチンとマドーラに反論することもあり、バランスは取れているらしい。
思い切り優しい目で見ると「妹バカだが何とか威厳を保とうとしている、年の離れた姉」。
――この辺りが妥当なところであろう。
今は髪をひっつめ、かなり濃いめの臙脂色のフロックコートを身につけていた。
騎士団団長であるが帯剣すらしていない。
戦うことよりも、騎士団の運営にかかり切りで、もはや文官と変わらない仕事内容だ。
ムラタなどは「やはり制服組に任せた方がスムーズなのか?」などと呟いているが、もちろんその意味がわかる人間はいない。
今、3人が資料を見ながら話し合っているのは、王都の外で巡回する騎士の――言ってみればシフト表を鑑みての腹案作りだ。
もちろんマドーラは“見学”だけだが、これはこれで充分意味があるだろう。
窓からは差し込んでくるのは午後の陽光。
通常であれば、マドーラの仕事は済んで居室に引き上げているところだったが、ルシャートの要望で同席している。
マドーラは表情を変えずに、それに同意して、黙ってムラタとルシャートの討議を見つめていたが……
(こいつ、また風呂を我慢して気分を盛り上げてるな)
という感じで、ムラタにはお見通しだ。
しかし、それで見学がおざなりになっているかというとそんな事も無く、時折鋭い質問を発することもある。
油断させないという点では、確かに良い主君なのであろう。
「……取りあえず素案はこれで行くことにします」
討議の果て、ついに結論が出た。
結論が出た、というよりはルシャートが音を上げた。
――その表現の方が事実に近い。
「……ああ、タバコが飲みたい」
そしてムラタが、欲望に忠実すぎる言葉を吐き出した。
相変わらずマドーラの前では吸わないことに決めているらしい。
ムラタとルシャートが対立していたのは、言ってみれば予備兵力の使い方だ。
ルシャートにしてみれば、予備兵力が遊兵に思えてしまうのである。
どうせ王都にいるのだから従騎士の訓練に狩り出したい、と言うのがルシャートの主張。
一方でムラタは、
「予備兵力は本来“使わない”ことこそが肝要」
と言うことで、しっかり準備させた上で、ただただ待機させる。
それが重要だ、と主張して譲らなかった。
この辺り、騎士団には相変わらず余裕が無く、現実を見るならルシャートの意見が妥当なように思える。
一方でムラタの意見は、未来を見ていた。
将来的には予備兵力の運用こそが柔軟に対応するための鍵となるのだから、最初から組み込んでおいた方が良い。
騎士団の仕事とは言うまでも無く、戦いである。
戦いであるからには、確実に不都合な状況に陥る。
そういう時に、予備兵力の有無が事態を決するのは確かだ。
であれば、そういう運営が当然のもの、と考えられるように、騎士団全体で共通認識を持った方が良い、と言うのがムラタの主張であった。
この意見、言うまでも無くどちらにも分がある。
つまりはどこで折衷するか? という問題なのだが、そこに疑問を感じたものがいた。
言うまでも無くマドーラである。
「これって、騎士の方2人の運用についてですよね?」
マドーラが確認してしまうのも無理は無い。
現状では予備兵力扱いに出来る騎士は、シフトと休暇を合わせるとたった2人しか捻出できないのだから。
その、用意できる人数については呆気なく同意を見たムラタとルシャートではあったが、そこから意見が揃わない。
マドーラが、
(今日のお風呂はきっと、素晴らしくなる)
と、期待値を上げていても仕方ないところだろう。
結局、ルシャートが折れる形で素案が出来上がり、ようやくのことでこれから先の長期的な騎士団の運用に目処が立ったというわけである。
「……ようやく落ち着きましたね。育成についても組み込まれているし、後は作業的にシフトにあてはめていけば良いはず――ああ、こういう仕事だけを延々と繰り返したい」
「ムラタ殿を? その仕事に? 私だって、部下に任せますよ」
意外なことを聞いたとばかりに、ルシャートが声を上げた。
「いえいえ。本来ならこういう仕事が好きなんです。重要で、それでいて目立たない――誰もそういうシステム作ってくれないので、仕方なく自分ででっち上げることが多かったんですが。ルシャートさんには感謝感謝です」
騎士団の運営については、当然のことながらルシャートが主導していた。
ムラタは横から口を挟んだぐらいの関わり方だ。
だが、ルシャートがそういう風に騎士団の運営について手を入れなくてはならなくなったのは、間違いなくムラタに責任がある。
それに加えて、運営には神官職を加えなければならなくなった。
ハッキリ言って殺人未遂レベルの無茶振りであった。
「……まだまだ問題はありますが、確かに形にはなりました。なればなったで問題は出てくるでしょうが」
「そのための予備兵力です」
ルシャートが問題視しているのは、運用が上手く回った場合、騎士達に“なれ”が発生して、それによって士気の低下が発生する可能性についてだ。
単純に言えば、時々戦わせないと、どうしてもだれてしまう、と言うことになる。
この辺り綺麗な二律背反で、騎士達が巡回して平和な状態を保てば保つほど、戦いの機会は減ってしまう。
その辺りの対策として予備兵力の運用方法についてムラタに示されて、それがルシャートの主張を撤回させる重要な要因となったわけである。
ルシャートはため息とも取れるように、そんな風に長めに息を吐いた。
「……ま、次の機会はせいぜい利用させて貰います。実戦に近いでしょうし」
「実戦?」
意外な言葉を聞いたという風に、ムラタが首を傾げる。
その様子を見て、ルシャートが言葉を継いだ。
「例の浴場の開場式典ですよ。お2人とも出席なさるんでしょう?」
それを聞いたムラタとマドーラが顔を見合わせた。




