星を見上げれば……
変革を続ける王都において、変わること無く商業区において一等地であり続ける区画。
ラウンドアバウトに面し、そのために他の区画と比べると、圧迫感が少ないのだ。
景気が上向いたことで、この周辺も騒がしくなるはずなのだが――それほどでも無い。
いや以前よりも、落ち着いているようにすら思える。
決して寂れたわけでは無い。
ただ、この区画の佇まいが変化を起こしただけだ。
馬車の行き交う石畳。
一級品の仕立て服に身を包んだ成功者達が、僅かに足をつけるだけの歩道。
その全てに清掃が行き届き、メンテナンスも十分だ。
わざわざ比べる者も居なかったが王宮へ続く石畳でも、これほど手を掛けられている場所はそう無いだろう。
さらに夜中になれば、新しく設置し直された街灯にも気付くことになるだろう。
光量については同じであるはずだが、青銅製の光り輝く支柱。
透明度の高いガラス。
そして内側を銀で鍍金された、彫金を施された傘。
断言しよう。
こんなものは王宮にすら無い。
ただ現在の王宮の実力者が、
「使え使え、ドンドン金を使ってしまえ」
と、やらかすタイプの人間であるので、貴族に対して不遜である、とは決してならなかった。
「そんなに身分が大事なら、貴方がたが勝手に贅を凝らせばよろしい。負けないぐらいね」
つまりは勝手にやれということで、王都の屋敷ではその辺りでも金が回り始めている。
その一方で、これだけ気合いを入れた街並みに、まず住人達の姿勢が改まった。
これだけの街並みに“なってしまった”のだから、勢い、自分たちもそれに相応しくならねば、と思い込んでしまうのである。
この集団心理については遥か昔から指摘されていたことだが、これが“異世界”においても通用してしまうことを不思議と思うべきか否か。
さて、これだけ街並みを整えたのは、この区画に店を構える複数の商店、あるいは商会の手によるものでは無い。
ただここに事務所を置いているだけのレイオン商会の手によるものだ。
元々名を売って来た商会であったが、この仕事によって、完全にその地位は確立されたと言って過言ではあるまい。
今、商会が新たに手がける商売に対して眉を潜めるきらいは確かにあった。
だが、それももはや過去のこと。
商会の地位が王都で揺るぎないものになったこと。
そして、実際に運営されている手法に、いかがわしいものが見受けられなかったこと。
これらが、慎重派の意見をすり潰してしまった。
――そう、新人発掘競技会は王都に新風を吹き込んだのだ。
□
その目抜き通りの一角にあるレイオン商会の事務所。
元より商会長ランディは、滅多に顔を見せない。
今日も自分の役目を完全に理解した上で、顔つなぎの真っ最中だ――まだまだ陽は高いのだが。
ますます肥える一方だが、それで不思議と愛嬌が出てくるという不思議な体質らしい。
これで病気になればなったで、見舞いに訪れる者たちとさらに仲が深まることだろう。
すでにそれだけの地位を獲得しているのだ。
もちろん、それにつれて正反対の仕事も発生する。
それを受け持つのがロデリックだ。
すでに自分直属の部下を抱え、いちいちランディの指示を仰ぐ前に、独自の判断で仕事を回している。
いや、そうしなければもう追いつかないのだ。
通常の講座運営にプラスして、新人発掘競技会はまったくの新規業務であるのだから。
普通なら、運営に携わる人間をもう少し増やしてから始めるところを、ロデリック頼みで強引に始めてしまったのである。
もう道義や慣例を鑑みている余裕は無かった。
そのがむしゃらさが功を奏したのか、なんとか仕事を任せることが出来るメンバーを集めることが出来、今は軌道の上に乗っかり続けている。
その気になればロデリックが商会を乗っ取ることは可能だろう。
だが、そんな事態は訪れないに違いない。
会長と事務頭――ロデリックはそういう役職になった――の間では見事に分業体制が確立してしまっているのだ。
――誰の元で?
そういった“現象”に気付くものが果たして存在するのか。
そして今、ロデリックは事務所の奥で広げられた資料を矯めつ眇めつ、ため息をついていた。
部屋の中は決して広くは無い。
せいぜいで5メートル四方。それでいて雑多な物が詰め込まれているので生息できる場所はさらに小さくなる。
使える机は1台限り。
うずたかく積まれた資料が今にも崩れ落ちそうだ。
それは事務所の中に強引に応接室を拵えたからで、正直なところ商会としては引っ越してしまった方が簡単なのだ。
だが一等地に事務所を構えているメリットを手放すわけにもいかず、ここまで周囲に設備投資してしまったという問題もある。
さりとて――
「“サマートライアングル”か……」
ロデリックがボソリと呟いた。
便宜的に“浴場の癒やし手”と呼んできたが、これから後はそういうグループ名で呼ぶことになる。
支持者からの名称募集で決まったことになっているが、もちろんそんなものは募集していない。
そんな募集をかけたところで、ただ単に仕事が増えるだけだ。
つまりは支持者に手作り感を味わって貰うための方便である。
その辺りは、色々仕掛けられていた。
舞台上で来ていたベガのドレスもそうだ。
ベガ――本名をアシュリー・テーネ。
メオイネ領において、豪農として知られるテーネ家。
アシュリーは確かにテーネを名乗ることを許されては居るが、立場でいうならば、なかなか微妙だ。
テーネ家ともなれば当然のように王都でも邸宅を構え、そこで働く者たちも大勢居る。
そういった使用人が、主人のお手つきになってしまうことも、ままあること。
以来、女中であった使用人が王都での第二婦人として、扱われることになるわけだ。
それによって、充分に人に羨まれる生活が始まる。
子を成せば、当然その子達も丁重に扱われる。
だがアシュリーは、3人目で次女であったのだ。
その将来を如何様にすべきかは悩み所ではある。
このままメオイネ領において、嫁ぎ先を探すのが無難なところであるが、アシュリーの美貌は整いすぎていた。
このまま田舎に閉じ込めるのも、もったいない。
然るべきところ――簡単に言えば貴族――に嫁がせたいとも思うが、それに伴う嫁入り金を揃えるのも、なかなか大変だ。
絹のドレスを用意するのは簡単だが、嫁入り金のみならず、ずっと面倒をみるのも負担が大きい。
貴族とは言っても、小領主や下位の貴族に嫁いでしまうと、面倒が増えるばかり。
そういう事情でアシュリーを扱いかねていたところに今回の話である。
幸い、アシュリーには貴族に嫁がせようと教育はキチンと施されており、特に竪琴の演奏に関しては名手の域だ。
そこで今回の話に乗ったというわけである。
――この辺りはランディの繋がりがもたらしたものであろう。
さらには、司祭の娘でありながら神聖術に対しての素養が見出せなかった、マリエル・トゥーレルも候補に挙げられた。
自分の生まれと、能力のちぐはぐさ。
そのため精神的に不安定なところがあるが、実のところ努力を忘れなかった何よりも自分に厳しい少女。
後にデネヴとなる少女が加わったのは、謎のコネによるものだ。
それに比べるとアルタイル――ネリー・リドルが加わった経緯は単純なものである。
彼女の生まれは貧民街だ。
生まれてから貧民街以外の場所を知らず、いよいよ春をひさぐか冒険者になるか、と言うところで王都での改革始まったわけである。
そこから、あれよあれよという間に舞台に上げられたわけだが、持ち前の明るさと身体能力の高さで、いずれ注目を集めることは間違いないだろう。
そして、この3名が選ばれることは最初から決まっていた。
3人の名付け親である人物がそう決めたのだ。
その人物とは言うまでも無くムラタである。
競技会の賑やかしのために、どこからか女性を調達してきたあたり、ますます隠然たる力は増加してるらしい。
そのムラタが計画の青写真を描いてしまった。
ロデリックはなんとか、自分の考えを反映させようとした。
ムラタも新しいアイデアは大歓迎だったが、どうしてもロデリックは追いつけない。
この先、人気投票を行い、3人が順番に舞台の中央に位置することになる。
そういった変化に対して支持者の購買意欲を煽る策も忘れない。
そして、競技会の第2回の開催を発表。
さらに1年の後、3人は“ソツギョウ”というシステムによって、癒やし手から退く。
こういう塩梅だ。
特にこの“ソツギョウ”というシステムにロデリックは舌を巻いた。
これによって、どこかいかがわしさを感じさせるこの手法のイメージが、完全に変わってしまう。
彼女たちは自分で自分の価値を高めた状態で、元の生活に戻ることが出来る。
嫁ぎ先に対しては、完全に売り手市場の状態で。
――これは積極的な花嫁修業になるのではないか?
こうして癒やし手側も報われる一方で、レイオン商会は次から次へと“商材”を手に入れる事が出来る。
これが戦なら、戦う前に降伏するところだ。
それでいてこのシステムを提示した、ムラタは少しも調子に乗ること無く、
「せいぜい、気を引き締めて。最初が肝心ですから」
と、ロデリックに注意を促す。
やはりレイオン商会の実質的な指導者はあの人物で間違い。
考えてみると最初は奇異に思えた“ゲイメイ”というシステムにも深慮遠謀がある事がわかる。
アレを捨ててしまえば、彼女たちは人目に触れる可能性が低くなるのだ。
やはりよく考えられている、と改めて感心してしまうとろだが……
(夏の三角形……一体どんな狙いが?)
ロデリックは胸中でもう一度呟いてみる。
――ムラタの行うことに必ず深い意味があると信じて。




