46 一つの終結
南地区への避難は成功した。
非戦闘員に犠牲を出さなかったのは、奇蹟と言って良いだろう。
一方で、守護団の兵力はすでに二〇〇を切っていた。神法術師は五人である。
北地区と東地区の団員はおそらく全滅している。西地区と中央に比較的犠牲が出なかったのは、早い段階でイーゴルが南地区への撤退を決めた判断が功を奏したのだ。
だが、避難の成功は魔族の脅威を押しのけたことを意味しない。
南地区へと逃げのびた団員たちに休息は与えられなかった。
「団長、魔族の侵入を許しました!」
団長のイーゴルと副団長のボーランがいる仮の指揮所に報せが入る。
「どこからだ!」
ボーランが怒鳴りつけた。モーリス城が陥落直前にある事態に、副団長も冷静さをやや欠いていた。
「は、どうやら東の――」
「どうやらとは、なんだ!」
「ボーラン、落ち着け」イーゴルが副団長を制した。「東の何だ?」
「はい。東の城壁を駆けあがり、城壁上からこちらに侵入を果たしてきました」
「貴様らは、南地区への撤退が決まっていたのに、城壁上の門を閉じていなかったのか!」
ボーランの声が高くなる。
「いえ、魔族たちは城壁から直接飛びおりて南地区へ侵入を果たしています。北か東の詰め所から城壁上へと出たのだと思われます」
部下の報告にボーランが声を失った。
「――あの距離を飛びおりるのか。魔族を我々の常識で計ってはならないということだな」
イーゴルは嘆息した。
だが、東門で何があったのかが気になる。
城壁へと上るには詰め所を通らなければならない。詰め所は簡単に破られないように頑丈に造られていた。
魔族の侵入をこれほど早く許すということは、団員たちが出入り口を閉じることができなかったということを意味する。彼らがそんな失敗をするなど普通は考えられない。普通ではない事態が、彼らを襲ったということだ。
気にかかるのは報告にあったセリアンスロープの叛乱。
――ジグルドは何をしている?
セリアンスロープを逃すために魔族と戦いつづけて死んだ、というのが最も可能性が高い。彼に助けられたセリアンスロープたちが、状況を理解せずに東地区の団員に襲いかかったのかもしれない。
だが、いくらセリアンスロープの数が多いとはいえ団員が負けるとは思えなかった。魔族の襲撃がそれほどまでに早かったのか。
「団長、すぐに応援をやらねば南地区も魔族どもにやられてしまいます」
「そうだな。ボーラン、五〇人を率いて――」
ボーランが立ちあがるのを見て、イーゴルはためらった。
今のボーランに冷静な指揮を期待することは難しいのではないか。果たして団員を任せても良いのか。
周辺警戒に団員をあてているので、五〇人というのは、イーゴルがすぐに動かせる全戦力に等しい。
「いや、私が直接指揮する」
「何を――団長はここで全体の指揮を執っていただかねばなりません」
「すでに全体の指揮などない。今やるべきことは、穴をふさぐことだけだ。ボーラン、おまえは集まってきた情報を私に届けてくれ。それと、坂棟という冒険者を見つけたら、何としても戦わせろ。褒賞はいくら約束しても構わん」
「新人冒険者のことなど今はどうでも良いでしょう!」
「ああ、やつは冒険者だ。戦わずに逃げるかもしれない。あの強さがあれば、脱出することも可能かもな」
「じゃあ、すでに逃げているでしょう」
「そうだな。それでも、できることは何でもするんだ、それが私たちの取れる最後の手段なのだからな。ボーラン、後は頼んだぞ」
「納得しかねますが、頼まれましょう」
ボーランの充血した目は、いまだ冷静なものとは言い難かった。それでも役目を与えられたことで、いくらかの落ち着きは取りもどしたようである。
イーゴルは五〇人の団員を率いて、南地区東へと急行した。
イーゴルたちが魔族の侵入を止められなければ、南地区の人間は潰滅するだろう。また、他の場所から魔族の侵入を許しても生きのびる術はない。
仮に生きのびることを望むのであれば、もう一度奇蹟が起こるとを祈るより他なかった。
イーゴルは戦場にたどりつくと、その場で戦っていた三〇人ほどの団員と入れ替わり、魔族との戦いの前線に躍り出た。
城壁から落下した魔族の多くは負傷し、ろくに動けないありさまだった。
落下する魔族の流れは途切れることがなかったので、数こそ尋常なものではなかったが、イーゴルの的確な指示のもと団員たちは、最後の壁の役割を充分に果たしていった。
現場にいた三〇人を吸収して、イーゴルは八〇人近い兵力を持つことになった。
だが、善戦は長くは続かない。
東地区と南地区とを隔てる壁が大きく揺れた。巨大な何かがぶつかった音である。
団員たちは目の前の戦いを忘れ、壁へと目を向けた。
変わらず壁は屹立していた。
悲鳴が上がる。
団員が魔族に圧しかかられ首筋を噛みきられている。
「目の前の魔族に集中しろ!」
指示を飛ばすがイーゴル自身は壁から意識を切らすことができなかった。
もう一度同じような音がなった。
まるで巨大な衝車が壁を破砕しようとしているかのようだ。
さらにもう一度続いた。だが、今度はこれまでとは異なる点がある。壁に何かの影がふいに生まれたのだ。
その正体はすぐに明らかとなった。
指である。
現れたのは指だけではない。腕、頭、上半身と、壁を這いあがった者の姿がそこにはあった。
牛頭で、腕と足の数がばらばらの巨体の魔族だ。
「馬鹿な……」
内壁は、外壁に比べて高さは低い。だが、それでも魔族に簡単に越えられるような高さではないのだ。
牛頭魔族はイーゴルたちを目がけて跳躍した。
下位魔族は踏み潰され、二人の団員が弾けとんだ。
牛頭魔族の着地点にいて、幸いにも被害を受けなかった団員は、だがもっと悲惨な運命をたどることになる。
まず牛頭魔族に捕まり背骨を折られた。さらに生きたまま、牛頭魔族の大きく開かれた口の中へと放りこまれた。
咀嚼する音が不思議なほどにその場に響き渡り、それは団員たちの鼓膜を通り、彼らの心を破壊する。
その時、西から咆哮の音が重なって聞こえてきた。
応えるように、牛頭魔族も雄叫びを上げ、下位魔族も後に続いた。
魔族の合唱は、人間に恐怖心を植え付ける。
「まだだ。まだ、我々は負けていない。神法術師、準備をしろ!」
イーゴルは腹の底から声を張り上げた。
こんな時こそ指揮官が部下を鼓舞しなくてどうするというのだ。
団員たちも鬨の声を上げて魔族に対抗した。
イーゴルは、七〇人を切った団員たちを半分に分けて、牛頭魔族と下位魔族にそれぞれあてた。
神法術師は全員牛頭魔族への攻撃へと回した。
どちらも苦戦でしかない。
下位魔族は落下して攻撃力が落ちたとはいえ数が多かった。そして、人間である以上団員たちはいずれ疲労が表面化するはずだ。時間がたてば戦線は崩壊するだろう。
牛頭魔族には神法術しか効果的な被害を与えられなかった。その神法術も魔族に負傷させたのは一人だけいる上級魔術師であり、二人いた中級魔術士はせいぜい牛頭魔族の動きを阻害する程度で裂傷を与えるのがせいぜいである。下級魔術士にいたっては、攻撃力、攻撃回数ともに牛頭魔族に対して戦力と考えるのは無理があった。
地面を走る団員たちは牛頭魔族の的でしかなかった。
イーゴルはとにかく神法術師を守ることに集中した。
団員たちは神法術師を守るために命を捨てるのだ。
上級神法術師による二回目の攻撃がなされた時、牛頭魔族がはっきりと怒りを表し、イーゴルたちを睨みつけた。
「下がれ。とにかく距離を取るんだ。おまえたち来い」
イーゴルは自ら牛頭魔族へと突撃する。それに五人の団員が続いた。
牛頭魔族へ剣を突きつけようとした時、魔族の姿がイーゴルの視界から失せた。
背後から聞こえる着地音と肉の潰れる音。
イーゴルは振り返った。
牛頭魔族が腰をかがめていた。魔族の足の下には踏み潰された神法術師たちがいる。
「貴様!」
イーゴルの怒りの声に牛頭魔族が振りかえる。魔族の口から上級神法術の上半身が出ていた。
ひゅっという音と共に上級魔術師がいなくなる。魔族が吸い込んだのだ。
牛頭魔族が口元を上げた。人間の味を楽しんでいる。
団員たちの戦気の糸が切れる音がした。
同時に、夜空が一瞬輝く。
光球が夜空を流れ、城壁の外に落下した。
凄まじい爆発音が轟く。
地面の振動のためにしばらく動くことができないほどの威力だった。
イーゴルは何もできないでいた。
牛頭魔族も動きを止めている。
「団長……これが魔族との戦いですか?」
イーゴルの傍にいた兵士が嗚咽混じりに呟いた。
イーゴルは答えられなかった。ここで行われているのは、彼の知るいかなる戦いとも異なっている。
人間のなせる業ではなかった。
魔族とはこれほど強大な相手だったのだ。
モーリス城の城壁など問題ではない。竜石を用いた城塞都市ミルフディートの城壁でも守りとしては弱すぎるのではないか。
「魔族の勢いが衰えているぞ」
団員の一人が上げた声は信じられない内容だった。
イーゴルは下位魔族の集団に視線を投じた。落下してくる魔族の数が目に見えて減じていた。
流れるようだった魔族の群が、一粒一粒はっきりとわかるほどにばらばらになっている。
初めての朗報は、全員の胸の中にまだかろうじて戦意が残っていることを教えてくれた。
先程の光は魔族によるものではなく、神法術だったのかもしれない。
だが、それほどの使い手をイーゴルは知らなかった。
黒髪黒目の新人冒険者の顔が思い浮かぶ。異相をしたあの男は、確かに底が知れなかったが――。
「ありえない」
ありえないことは、さらに続いた。
突如、天が荒れ狂い始めたのだ。
白く輝く稲妻が走り、深い暗闇が夜空を潰した。
「団長、魔族が動きます」
牛頭魔族がイーゴルたちに向かって歩きだしていた。
「全員、突撃するぞ。足の腱を狙うんだ。動きを止めれば、勝機はある」
三〇人のヒューマンが牛頭魔族に戦いを挑んだ。
彼らの内部に変化が起こったとしても、彼ら自身の戦力が増したわけではない。
時間の経過に合わせて、団員の死傷者ばかりが増えていった。
イーゴル自身も戦っていたが、牛頭魔族にはかすり傷しかつけられていない。最後の踏みこみができていないのだ。
何か一つ突破口があれば、と思うが、イーゴルに方策はなかった。もう少し、もう一歩で届くかもしれないのに、その一歩がイーゴルにはない。
剣をかまえたイーゴルの隣を一陣の風が抜ける。
牛頭魔族は風に向かって拳を振り下ろした。拳は地面を殴っただけである。
風は牛頭魔族の足元に入りこむと、後ろから魔族の足の腱を切った。
牛頭魔族が叫びながら、膝をつく。
風は大柄なセリアンスロープだった。
「――ジグルド」
思わずイーゴルは友の名を呼んだ。
だが、いまは感傷に浸る時ではない。
「突撃だ!」
ヒューマンとセリアンスロープがいっせいに牛頭魔族へと襲いかかった。
全員が必死であった。
これが勝つための最後の勝機であると、皆がわかっていたのだ。
犠牲を出しながら、牛頭魔族に剣を繰りだし、そして、ようやく魔族が地面に伏すことになる。
イーゴルとジグルドの剣が牛頭魔族の首筋を大きくえぐった。血が噴出し、魔族が大きく痙攣する。この二人の一撃がとどめとなった。
ヒューマンとセリアンスロープが勝利を飾ったのだ。
牛頭魔族への勝利が決定して間もなく、下位魔族の襲撃も収まった。
生き残った者たちの間で歓声が起こった。全員が勝利を讃えあう。
まだ、警戒を解くわけにはいかないが、魔族を一掃したのだ。とりあえず、今は勝利を喜ぶべきだろう。
「ありがとう、ジグルド」
イーゴルは近づいてきたセリアンスロープに歩みより、握手のために腕を出した。
ジグルドの顔には笑みがまったくない。また、セリアンスロープは腕を差しだすこともしなかった。
不審を覚えたイーゴルの動きが止まる。
燃えるような熱さを、彼は腹部に覚えた。
視線を下に投じると、イーゴルの腹から剣が生えていた。
「なぜ?」
「みんな死んだ。俺は、誰を守ればいい? 誰を殺せばいいんだ?」
ジグルドが守れずに死んでいった仲間たちはどれほどいただろうか。
別の場所で、セリアンスロープによる叛乱を起こした。その時も多くの仲間が死んだ。
今度は、奴隷として同じ立場になり、守り耐えても、やはり仲間は次々と亡くなった。
何をやってもダメだった。
ついには、家族までもがヒューマンの手に落ちた。
それでも彼はその場でできることをやりつづけた。
表面上、彼はいつでも頼れる男であった。だが、とうに、ジグルドの心は壊れていたのだろう。
気高い戦士は奴隷に身を落とし、誇りを失くしてしまっていたのだ。
誇りを消失した戦士の剣には、すでに意思は宿っていない。
そしてジグルドは、最後に友人であったはずの男を手にかけたのだ。
「セリアンスロープが、何をしやがる!」
団員が叫んだ。
ジグルドの周囲を取り囲むと、団員たちは躊躇なく剣を突き立てた。
ジグルドは何も抵抗することなく、受けいれる。六本の剣が彼の身体に吸い込まれ、ジグルドの命の時を切断した。
すぐ傍でイーゴルは、倒れていた。
「止めろ」
力なく叫ばれた言葉は、すでに意味がなかった。
団員が離れても、ジグルドは倒れることなく立っていた。刺された跡と口から血が流れている。目は見開かれたままだった。
イーゴルの目の前でジグルドは生を終えた。死してなお、セリアンスロープは膝を屈することがなかったのである。それは、最後に残っていた戦士としての誇りの欠片がさせたのかもしれなかった。
「やっぱり、セリアンスロープは信じられないな」
団員の一人が呟いた言葉は、風に運ばれ、団員たちの耳に届いた。
イーゴルをのぞく全員の心にその言葉は残ったに違いない。
多くの犠牲を出して、モーリス城の攻防は終結したのである。
坂棟はジグルドが多数のヒューマンから刺殺される姿を目撃した。
この光景は彼に強い印象を残すことになる。
坂棟が見たのは、イーゴルが負傷して倒れている姿とジグルドが殺された姿。さらに、牛頭魔族の死体である。
牛頭魔族を倒すにはヒューマンの力だけでは無理だろう。ジグルドの協力があったはずだ。
魔族を倒した後に、諍いが起こり、ジグルドがイーゴルを傷つけ、次にジグルドが周囲のヒューマンによって殺された、と坂棟は推測した。
彼の認識は正しいが、それぞれの心情まで忖度したものではなかった。
坂棟はジグルドとイーゴルという個人ではなく、セリアンスロープとヒューマンの問題と一般化して理解してしまった。
理解はしても、それぞれの立場は実感できていない。これが坂棟と言う若者が持つ、ある方面においての限界であったのかもしれない。
ヒューマンと異種族との間の関係に、彼は一定の見切りをつけた。
絶対者である坂棟の変化は、ラバルと言う国の方針にも変化を及ぼす。
ラバルは世界に対する姿勢をいよいよ明らかにしようとしていた。それは決して友和への道を歩むものではない。




