47 愚者の選択
パルロ国大使グリアスの前に、次期ボルポロス公と目されるジルド・ヴァン・ボルポロスが座っている。ジルドの傍には色艶を匂わす女がはべっていた。
場所は、グリアスが帝国大使との密談に利用したパルロ国の息のかかった妓館である。
「大使殿がこれほど気の利く男だったとは知らなかったな」
「褒め言葉と受けとってよろしいのでしょうか」
「もちろんだ」
グリアスからすれば信じがたいことに、ジルドは密談の前に女を楽しんだのだ。
重要な相手国との密談の前であることもそうだが、相手国の領域に置いて無防備な醜態をさらすなどありえないだろう。このような男が一国を背負うことになるなど、ボルポロス公国に未来はない。
民のためにもボルポロス公国はパルロ国に帰属するべきだと、グリアスは信じた。
「近頃、殿下のお耳を汚すような噂が出回っていることはご存知ですかな?」
「噂など相手にしていてはきりがない」
「なるほど、しかしこの噂は物騒なものですぞ」
「回りくどいことは良い。さっさと申せ」
ジルドは隣に座らせた女の肩に腕を回していた。話しの途中でグリアスを見ることなく、女に顔を向けていることさえあった。
これがパルロ国大使に見せる態度であろうか。
グリアスは交渉ごとに慣れていない。感情の制御が決して上手いとは言い難かった。特に侮辱に対しての免疫は低い。
「次期ボルポロス公に殿下ではなく、『先読みの巫女』を推す声があるのですよ。どうも裏にいるのは隣接する国のようですね」
その発言は、グリアス本人も意識しないままにジルドを見下す口調となっていた。
自己の肥大化した人間と言うのは、自身に向けられる軽侮の念には敏感である。グリアスはそれを知らなかった。
だからこそジルドが突然攻撃的な人格に変化したことに、驚きを覚えることになる。そしてつられるように感情の波に取りこまれてしまった。
「貴様は馬鹿か! あれは神殿から一歩も出られぬ身。それがどうやって公務を行うというのだ。こんなことはボルポロス公国に住む者ならば誰もが知る常識。そのような噂を吐くのは、おおかた昨今ボルポロス公国を訪れた者であろうよ」
口をひん曲げて、ジルドが笑った。
「な! 私を馬鹿にしているのか」
「誰も貴様のことを言ったわけではない。それとも、おぬしが噂の源泉なのか?」
「そんなことがあるはずがない。だいだいあなたは噂を侮っているようだが、あなたに関する噂の八割はあなたの無能を謳い、残りの二割があなたを笑ったものであることを知っているのか! どうせ、近くにいるのは甘い言葉を囁く人形ばかりでしょうが」
売り言葉に買い言葉であった。
交渉に置いてわざと相手を怒らせ冷静な判断力を奪うという技術があるが、両者の場合は違う。
互いに自尊心を守るための行為であり、自らの後ろに国があるということまでも忘れていた。
怒りに理性を薄くさせているが、グリアスのやろうとしていた謀略は単純なものだった。
後継者争いを持ちだし、肉親はすべて敵、また帝国も敵側についていると思い込ませ、クーデターを起こさせる。城塞都市ミルフディートの安全を守ることを理由にパルロ国軍を進軍させ常駐し、武力を背景に支配に及んでしまおうというものだ。
独創性はないが、だからこそ計画そのものはありえないものではない。
だが、この計画は杜撰であった。根回しというものが全くなく、完全な独断専行で行われていた。
グリアス一人で決めるには、大使の権限を逸脱している。少なくとも実行の前に王の許しを得るべきであっただろうし、協力を仰ぐべきだった。
「あの国を抑えられれば、帝国の片腕をもぎ取るのにふさわしい。わかるか?」
グリアスは大使として派遣される時、王より直々にそう言葉をたまわった。
何としてでも公国を手に入れろ、そのためには何をやっても許す。だが失敗すればおまえの後はないというふうに、彼は王の言葉を解釈したのだ。
そして今、一国の代表者としてはあまりに幼稚な精神を持った二人が、正面から激しくぶつかり合っていた。
「貴様、一国の大使の分際でこの私を愚弄するのか!」
「分際ですと? 聞き捨てなりませんな。それはボルポロス公国程度の小国家が、歴史ある大国、我がパルロ国に対して利ける口ではありますまい。わきまえるのはそちらでしょう。あなたはボルポロス公ですらない。なれるかも怪しいものです」
「よう言った。覚悟はできているのであろうな」
ジルドは立ちあがると剣を抜いた。
この場にあって彼のみが帯剣していた。
そもそもグリアスは彼をボルポロス公に推したてようとしていたのだ。だからこそ特別待遇をすることによって、よりその気にさせることができればよいと考え、あえて帯剣を許していた。
だが、それがアダとなった。
「剣を抜いてどうするというのです? 私を殺しますか? それはパルロ国に戦をしかけるということになりますぞ。あなたにそのような覚悟がおありか?」
余計な挑発というものだった。
グリアスはパルロ国の力というものを信じており、ボルポロス公国などたいしたものではないと本気で考えていたのだろう。
だからこそ、ボルポロス公国の人間がパルロ国の人間を害するはずがない、と判断していたのだ。
確かにパルロ国は強者であり、ボルポロス公国は弱者であった。だが、この場に置いて強者であるのは剣を持ったジルドであり、口を動かすしかないグリアスは弱者であったのだ。
「それが最期の言葉か」
「――え?」
グリアスは剣が自分に振り下ろされる光景を、信じられぬという眼差しで見ていた。
妓館の一室は、パルロ国大使の首から溢れだす血によって赤く塗り替えられた。
グリアスは彼の意図とは違った形であるが、パルロ国とボルポロス公国に決定的な対立を生みだすことに成功した。自国に大義名分を与えるという最高の働きを持って。
自らの命を犠牲にして大事をなしたことついて、本人がどう考えていたのかはわからない。それが語られることは永遠にない。死者に自らを語る資格は許されていないのだ。
「今何と申した?」
現ボルポロス公ウードル3世は、しゃがれた声で何とか言葉を告げた。
常であれば威厳を漂わせる深いしわが、今では苦労を重ねた成れの果てであるかのように哀れさをにじませていた。
ウードル3世は私室ですでに就寝しようとしていた。そこに彼のできの悪い孫が押しかけてきたのだ。
正直眠る前に見たい顔ではなかったが、何やら問題が起きたというのであれば、会わざるを得ない。
問題の解決のために祖父の意見を聞きたいなどと殊勝なことを言っているようなので、ウードル3世はいくらか機嫌を直して面会を許したのであった。
「今何と申したのだ?」
「ですから、パルロ国の大使が亡くなったと言ったのです。耳が遠くなったのではありませんか」
老人の前には、彼の孫がいる。孫は、同じ質問を受けたことを不愉快に思っているらしく顔をしかめていた。
これが市井の祖父と孫の会話であればその態度でも良い。だが、二人は国家の頂にある者たちだった。
「おまえは何をやったのか、わかっているのか!」
「私ではありません。家来の一人が、私を侮辱されたことに怒りを発して、殺してしまったのです。もちろん、やりすぎではありますが、私のことを思っての行動です。それともおじい様は、私がパルロ国大使などに馬鹿にされても黙っているような家来であった方が良いというのですか」
したり顔でジルドが言う。彼は自らが正論を言っていると考えているようだ。
問題がどこにあるのかすらわかっていないのだ。だからこそ、論じる点がずれている。
そして、ボルポロス公はジルドの嘘に気づいていた。だが、問いただしはしない。妓館で次期ボルポロス公がパルロ国大使を斬り殺したなどということは、あってはならないことなのだ。
「それで、おまえの名誉を守るために剣を取った男の名は何と申す」
ジルドは意気揚々とその名を告げた。男に褒美が与えられるとでも考えているのだろう。おそらく想像しているのはその後のことだ。男に恩を売ったことで、何かしらの還元を期待しているに違いない。
ウードル3世は衛兵を呼び、その男を捕縛するよう命じた。男は裁判を行われることもなく、即座に首を刎ねられることになる。
男は貴族の息子であったのだが、ウードル3世はその家も取り潰すことにした。ミルフディートにある居館に兵をやり住人をことごとく捕らえさせたのだ。
暴挙であった。
だが、孫のやった暴挙に対処するにはあらゆることに時間をかけるわけにはいかなかったのである。
「おじい様、気でも狂ったのですか? 何を考えているのです」
「狂っておるのは、おまえだ! どこの国に他国の大使を私情のままに斬り捨てる馬鹿がおるのか」
「おじい様まで私を愚弄するのですか!」
飛びかからんとばかりに、ジルドが大きく足を踏みだした。帯剣が許されていれば、剣を抜きかねない勢いである。
「衛兵! この者を捕らえよ」
ジルドを指差し、ウードル3世は容赦なく命じた。
「やめろ。狂っているのは、そこにいる老人だ! やめないか! 捕らえるならば、その男だ!」
両腕を衛兵にがっちりと固められ、ジルドは引きずられながら部屋から連れ出される。彼は最後まで暴れ続け、そしてウードル3世を悪し様に罵った。
肉親への情と教育への悔恨がウードル3世を襲ったが、横たわる大きな問題が彼に思考の停止を許さなかった。
ウードル3世は、パルロ国大使館、件の妓館、アルガイゼム帝国大使館に兵を送り、そこから誰一人として外に出ることを禁じさせた。
さらに、城門にも報せをやり、命令があるまでは城門を開けることを禁じた。どのような用件であろうとも誰一人として通してはならないことを徹底させる。
妓館については強制捜査に着手した。犯人をあげるためではない。パルロ国大使の死体を手に入れるためである。
ウードル3世のやり方は強引ではあったが、驚くべき速さで彼は実行した。その手腕は褒められるべきものだったろう。
だが、すべては遅すぎた。
妓館にはすでに大使の遺体はなく、また、城門は三騎の騎馬が抜けた後であった。
通過は命令が下る以前のことであったが、門兵は始め断わったらしい。だが、相手はパルロ王の名を出し、さらに袖の下を握らせてきた。ついには折れてしまった、ということである。
ウードル3世が後手を踏んだ最も大きな理由は、ジルドがすぐに報告しなかったことにある。彼は湯船に悠々とつかり、血と疲れを洗い流した後にようやく祖父に面会を申しこんだのだ。
だが、たとえジルドがすぐに報告したとしても、やはりパルロの尾をつかむことは難しかっただろう。パルロの兵が有能であるのか、彼らは始めから準備していたかのように滑らかにすべての事を行ったのである。
ウードル3世は執務室で、情報封鎖の失敗の報告を受けた。
机の上で彼は額を押さえて、大きく息を吐く。
どのような対処を行うにしろ、これで万全の準備はできなくなった。情報を持って優位に立つということもできない。
パルロ国王ならば、大義の旗を振りかざし、躊躇せずに戦を仕掛けてくるだろう。
パルロ国とて内乱の傷は残っているのだが、さほど問題になっていない。なぜなら、あれを機に貴族の力が失われ、国内は王の元に一つにまとまっているからだ。内乱が起こったことにより無駄が排除され、減少した国力は右肩上がりとなっていた。
むろん、動かせる兵に限りはあるだろうが、ボルポロス公国を相手にするには充分な兵力を動員できるはずだ。
一戦した後に、講和を結ぶことになる。戦に敗北するのは、間違いなくボルポロス公国だろう。
講和の条件はひどく一方的な内容となるはずだ。
戦でパルロ国に対抗するには、帝国の出陣を願うよりない。それは帝国兵士を自ら公国内に呼びこむということだ。
たとえ、パルロ国を抑えることができたとしても、帝国に大きな借りを作ることになるだろう。
最悪、帝国軍の常駐まであるかもしれない。
これでは意味がなかった。
だが、戦と言う段階にいたった時点で、ボルポロス公国の打てる手段は大幅に減じてしまっている。弱国の現実である。
いずれにせよ、これまで保っていた独立は難しくなった。
いずれかの支配下に置かれることになるだろう。
どちらがより条件が良いかを考えるしかない。だが、武力と言うカードがあちらにあるかぎり、ボルポロス公国の立場はあまりに弱かった。
いっそのこと籠城し、パルロ国と帝国の両軍がぶつかるのを待つか。
帝国大使にそれとなく情報を流し誘導することは可能だろうか。
難しいだろう。
こちらの思惑など両国ともすぐに理解するはずだ。二つの大国によって、領土の切り取りが行われるだけだ。
民に多くの犠牲を出してまで、首都のみを守ってどうするというのか。
「駄目かもしれんな」
「まだ、戦が始まったわけではございません」
ウードル3世の傍には、彼の右腕として長年行政にたずさわってきた大臣がいた。
「何か策があるのか?」
「今回の実行犯である男の首をパルロ国王に送るべきかと。さらに、ジルド公子には表舞台から去っていただきましょう」
「それは考えないではなかったが、その程度でパルロ国王が剣を収めるか?」
「わかりません。しかし我々の戦いは、剣を交えた瞬間に終わるのです。無様であろうとも、それまでに全力を尽くすべきでしょう」
まったく諦めた様子のない大臣を横にして、ウードル3世は自らの中に力がわくのを感じた。
そう、彼の言うとおりまだ終わったわけではない。ぎりぎりまであがくのだ。小国とはそうやってのみ生き残ることが可能なのだ。
これまでもそうやってきた。
危機にある今こそ、同じようにやるしかないのだ。
「そうだな。ならば帝国にも一枚噛んでもらおうか。借りを作ることになるが、交渉の場に帝国を引っぱりだせば、パルロ国王とておいそれと無視するわけにはいくまい」
「それが良いかと。まずは、剣の前に話し合いの場を設けることです」
ウードル3世は帝国大使を呼んだ。
夜間ではあるが、あちらも何かがあったことは察しているはずだ。喜んで情報収集のために乗りこんでくることだろう。
ウードル3世の戦いはまだ終わっていない。
ウードル3世が恐れているパルロ国の武力が、国境近くで牙を研いでいた。
パルロ国軍を率いるのは八将で唯一の女性ユリア・ヴァン・ルーラス。燃えるような赤毛と美貌を有したこの八将は、好戦的な武将として知られていた。
国境近くの町で待機していたユリアの元に、ボルポロス公国から脱出してきた使者が訪れた。
早朝ではあったが、ユリアはすぐに使者に会った。彼女は情報を受けとると、使者に休むよう命じる。だが使者は命令を拒み、自らの使命を全うすることを願った。ユリアは聞きいれ、彼に新たな馬を与えた。使者はわずかな時間で飲食を済ませると、すぐ王都へと発ったのである。
「まさかここまでうまく働くとは、すべては陛下の読み通りということでしょうか?」
ユリアの副官であるオリーが、大げさに感嘆を表した。
彼女の副官は長身の優男であり、女に目がない。だが、ユリアにだけは何もしてこなかった。
だからこそ、彼女の副官の地位にあると言える。
「そんなはずないでしょう。たぶん、どう転んでも良い、というくらいにしか考えていなかったと思うわ。本音を言えば、まだどことも戦端は開きたくないでしょうしね。だからといって、機会を逃す陛下ではないけれど」
王の秘書官であるロザリアが、頭を抱える姿が目に浮かぶ。なぜかはわからないが、ユリアはロザリアに嫌われているらしいのだが、彼女は秘書官のことを嫌ってはいなかった。
有能で理性的な女と言うのは、好ましいものだ。別に彼女は同性愛者ではない。
ユリアは、女性が政治と戦場の場に少ないことが気にくわなかった。女は男に劣ると言われているような気がしてならないのだ。
だからこそ有能な同性の存在に、彼女は仲間意識のような物を持っていた。
「陛下からの指示を待ちますか?」
「それもいいけど、八将がこのまま何もしないという選択はありえないでしょう。八将には火急時に軍を動かす権利が認められているのだから」
「他国との戦端を開くとなると、拡大解釈が過ぎるのでは?」
「他国? いつから公国は他国になったの? あそこはパルロ国よ。そして、パルロの官僚を殺したという事実は、叛逆の意思があるとしか思えない」
「なかなか反論のしにくいことを言いますね」
「まずは、国境まで軍を進めておきましょう」
「その後は?」
「決まっているでしょう。陛下が宣戦布告をなさると同時に、ミルフディートへ向けて進軍するのよ」
ユリアが美しく笑った。彼女の瞳には、戦を求める情欲があった。
獅子を冠したパルロの国旗がたなびき、パルロ国軍が国境へ向けて動き出す
一人の愚かな若者の行為が、歴史の歯車を大きく変えようとしていた。




