44 信頼
「あれは強い。三人で協力しなければ無理」
ヤマトは二人に声をかけた。
新たに現れた人型魔族はおそらく、いや間違いなく上位魔族だろう。
三人と魔族との距離はまだ離れている。だがだからといって、安全だと言えないことは、下位魔族に対する攻撃でわかっていた。
「そうね。タチバナ、あんたも協力しなさい。ちょっとは、戦力になるでしょ」
「……おまえら戦うつもりか」
立花の声にはおびえがある。
「当たり前でしょ。黙って殺されるつもり?」
「……ああ、確かにそうだ」
立花と言う男は、自分よりも強い相手と戦ったことがないのだな、とヤマトは思った。
相手と向きあうことができていない。
それに比べてナギサの戦意はまったく衰えていないが、それはそれでおかしかった。強敵に対しては、誰しも慎重になったり力んだりしてしまうものだ。だが、表面上ナギサにはまったく変化が見られない。やや高揚している程度だ。
ヤマトは、坂棟らと訓練しているからこそ、現在も平常心でいることができた。彼女がたいして変わらずにいられるのは、経験によるものだ。
ヤマトの見立てでは、目の前の敵には勝てない。三人で何とか時間を稼ぐしかないだろう。坂棟が戻ってくるのを待つのだ。あの人なら、こちらの危険を察知して必ず引きかえしてくるはずだ。
とにかく、今は生きのびることだけを考える。
ヤマトの視界の端には、城壁の残骸があった。ヒューマンとの協力で守られていた壁は、上位魔族と言う存在によってあっさり破壊された。
ヒューマンの命も失われてしまった。
ヤマトは上位魔族だけに視線を投げる。今は魔族に意識を集中しなければならない。他の事に意識を向けてはならなかった。
「何だ? おまえたち、この私、煉邪に逆らうつもりか? 人間ごときが高貴なる闇の眷属に刃向かうと?」
煉邪が美しい顔に嘲りを浮かべた。
「あんた正気? そんなこと言って恥ずかしくないの?」
ナギサが言い返す。
「恥ずかしい? 何がだ? 人間の頭の悪さは計りがたいな」
余裕があるのだろう、煉邪はすぐに攻撃をしてこなかった。
これによって、三人には大まかな作戦を立てる時間が与えられた。
「まず、君たち二人が突っ込め。俺が二人のフォローをする。ただし、一撃で決めようと思うな。身を守ることを第一に考えるんだ」
「それがいい。たぶん、お館様がこっちに向かっているはず。それまで時間を稼げば、私たちの勝ち」
「そんな消極的な戦い方じゃ通じないと思うけど――いいわ。最初は、あなたたちに乗ってあげる」
顔はまっすぐ煉邪に向けたまま、ナギサが返事をした。
ヤマトはナギサの隣に並んだ。
二人から少し離れたところに立花が立っている。三人とも完全な戦闘態勢である。
「本気でやりあうつもりか……確か、飛べないのだったな」
煉邪が地面へと降りた。三人との距離は八メートルというところだ。
「たいした自信ね」
「自信? おもしろいことを言う人間だ」
煉邪の口調は嘲笑そのものだった。
「ヤマト、行くわよ!」
ナギサが動きだすのと同時に、ヤマトも駆けだす。二人の息は完全に合っていた。
ナギサが右から、ヤマトは左から煉邪へと攻撃する。
槍と刀が上位魔族の身体を斬り裂かんと刀身を輝かせた。
二人の攻撃は、人間の能力を超えた威力があり、何より速度があった。そして、二つのそれはまったく違う角度、まったく異なる剣筋で上位魔族に襲いかかる。
渾身の二人の攻撃は、防がれた。
驚くべきことに、煉邪は二人の攻撃を腕で受けとめてみせた。なおかつ上位魔族の肌には傷一つついていないのだ。
だが、これで、煉邪の両腕がふさがった。
今なら攻撃を防ぐ術はない。
いくら上位魔族と言えど、弱点はあるはずだ。瞳ならば肌と同じような硬度はないだろう。
「タチバナ、今よ!」
ナギサが叫んだ。
すぐに二人の間から新たな剣が現れる――はずであった。
だが、いつまでたっても立花は攻撃しなかった。
ヤマトとナギサは煉邪から離れる。
ヤマトは周囲を一瞥した。
立花がいない。
煉邪から何らかの攻撃を受けたのか、とヤマトは考えたがそうではなかった。
「まあ、後で捕らえれば良い」
煉邪の言葉で、立花が二人を囮に使ってこの場から逃げだしたことを、ヤマトは悟った。
「――そう、別に最初から信じてなんかいないわ」
感情のない声でナギサが呟く。夜にまぎれて表情は確認できない。
ナギサが槍を一振りしてかまえた。
「待って。一人でやってどうにかなる相手じゃない」
いや、二人でやってもどうにもならないだろう。
ヤマトは一撃を受けとめられたことで、相手の力を否応なく認識した。ナギサも実力の差をわかっているはずだ。
少しでも差を埋めるには二人で協力するしかない。わずかな可能性ではあるが、そこに活路を見いだすよりなかった。
だが、ナギサはヤマトの言葉を聞きいれなかった。
一人で戦いを挑んだのだ。
無謀としか言いようがなかった。
ナギサの攻撃は上位魔族にまったく通じなかった。
遊ばれていることが彼女にもわかる。
ナギサの中にあるのは憤怒だ。
少しでも人を信用してしまった自分。
危機であればあるほど、人など信用することなどできないのに。
ナギサの攻撃は大振りなものとなっていた。
彼女の攻撃の特色は速さと切れであったのだが、すでにそれは失われてしまっている。
それでも、彼女は上位魔族に挑み続けた。
そして煉邪の瞳に退屈が宿った。
その瞬間、ナギサは弾き飛ばされる。
遊びは終わりだと言わんばかりの攻撃だった。
ナギサは瓦礫にぶつかり、反動で前のめりになって、吐血した。止まらない咳に交じって、血が彼女の口から溢れだす。
痛みの麻痺した感覚の中で、左腕と横腹に熱を感じた。
無造作に放たれた一撃で、このありさまだった。
――こんなところで、終わり?
ナギサはぼやけはじめた瞳で、それでもなお魔族を睨みつける。
魔族の姿は近くになかった。彼女にとどめを刺そうとしていると思ったのだが、魔族は戦っていた。どうやら、ヤマトが戦いを挑んでいるらしい。
あんな女に任せていられない。
ナギサは、右手にある槍を支えにしながらゆっくりと立ちあがる。
「――殺してやる」
魔族は殺さなければならなかった。
両親が死んだのはあいつのせいなのだ。
父親が死んだのもあいつのせいなのだ。
「ねえ、あなたがいたから、あなたを守らなければならなかったから、あの人は死んだのよ。足手まといだったの。あなたがいなけ――」
一度も見たことのない母親の表情だった。
冷たい顔。おそろしいと感じたそれは、憎しみのみで埋めつくされていた――。
「もう生きていてもしかたがない」
魔族に殺された母親。
母親は死を選んだ。
ナギサは捨てられたのだ。
「あなたさえいなければ――」
「違う。悪いのは私じゃない。悪いのはあいつだ」
ナギサは立ちあがった。
右腕はきつく槍を握っている。
左腕には力が通っていない。皮の鎧はすでになく、脇腹の辺りには血がにじんでいた。
すでに戦える状態ではない。
だが、彼女の瞳には殺気があった。
「殺してやる!」
まなじりが上がっている。噛みしめられた口元は、だが笑っているかのようであった。
半ば狂気まじりの形相は、獣じみている。
ヤマトが煉邪に吹きとばされた。それを合図として、ナギサは走りだす。
肉体の損傷からすればありえない動きで、彼女の足は地面を蹴っていた。
これまでにない速さ、確実に限界を超えた速度である。
「しねえええええええええ」
右腕にある槍にナギサはすべての力を込める。
煉邪が指先をナギサに向けた。
その瞬間、何かが彼女の右足を貫いた。
足で地面を蹴ることがかならず、ナギサの身体は宙に浮いた。
体勢を崩されながらも、彼女の視線は魔族にのみ向けられている。
まだ、距離はある。
だが、彼女の右腕には槍があった。すべてをこめて槍を投じるのだ。
「がぁ」
ナギサの右腕が何かに貫かれた。
きつく握りしめていた指先から力が抜け、彼女の手から槍が離れる。槍は宙高く弧を描いた。
自由のきかないナギサの身体は、右腕だけを天に伸ばしたような形で空中に浮いていた。
彼女の瞳と上位魔族の視線が重なる。
「殺してやる」
それでもなお、ナギサは魔族に憎悪をぶつけた。
魔族が指先をナギサに向ける。その先には、ちょうど彼女の目があった。
瞬く間もなく魔族の指が一直線に伸びる。それは、ナギサの左目に吸い込まれていく。
ナギサは目を閉じなかった。
彼女の眼前で光が散る。
「いったい、どうなってる?」
地面に崩れ落ちるナギサの身体が、力強い男の腕で支えられた。
「あんた……」
黒髪黒目の男は、一瞬だけナギサに視線を投げ、すぐに視線を上げた。彼は倒れているもう一人の少女に顔を向けていた。
ヤマトもナギサと同じような状態であった。
「もう一人お出ましか」
煉邪が言う。
上位魔族と異界者の視線がぶつかった。




