43 淡い希望
ナギサがいるのは、西地区の大通りだ。
彼女の背後には閉ざされた大門がある。
周囲から人の気配は消えていた。兵士から「危ないから逃げろ」と声をかけられたが、彼女は無視した。
危険な相手が魔族であるというのなら、むしろ望むところである。
「死んでも知らないから」
「あなたに死なれないように、私はここにいる」
「意味わかんないこと言わないでくれる?」
ナギサの傍にはヤマトがいた。
魔族との戦闘にまで付きまとうつもりらしい。
正直すでに、ナギサにとってはどうでも良かった。
ナギサの感情は憎しみでたぎっている。
彼女の人生が狂ったのは、すべて魔族のせいなのだ。その魔族を好きなだけ殺せるというのなら、こんなにうれしいことはない。
両親を殺した仇。
家庭を奪った憎しみは、すべて刃に込めるのだ。
ナギサの視界に魔族の群が現れた。
彼女の胸にあるのは、殺意と歓喜。恐怖はいっさい存在していない。
突撃するナギサを横目に、ヤマトは冷静に魔族に対して攻撃を開始した。
いまだ魔族との距離はある。だが、ヤマトはその場で居合抜きをした。刃が鞘を走り、刀身が鋭く姿を現す。
何かに斬られたように四体の魔族が倒れた。命こそ奪えていないが、体勢を崩して倒れた四体の魔族は、後ろから来た魔族によって踏み潰されていく。
闘気を風刃と化して、ヤマトが飛ばしたのだ。
彼女が新たに身につけた技である。
もう一度、ヤマトは闘気の風刃を飛ばした。今度は五体の魔族が倒れる。
その後、彼女も魔族に向かって走りだした。
ヤマトとナギサは小さな竜巻のように方々で魔族を斬り裂いたが、それでも魔族の勢いを止めるまではいかない。
敵の数が多すぎた。
戦いながら、改めてヤマトは坂棟とハルの凄さを感じる。
あの二人はまったく本気でなかったにもかかわらず、少しも敵を寄せつけなかった。ハルはともかく、坂棟にいたっては、周囲の援護をしながら敵を倒しつづけていたのだ。
彼の存在があったからこそ、ヤマトやナギサは、魔族の真っただ中にあってなお一定の余裕を持って対処できていたのだ。
現状、ヤマトとナギサにそこまでの力はない。
自分のことで手一杯だ。だが、援護は無理だが、気にかけることはできた。
ヤマトは魔族と刃を交えながらも、冷静に周囲を観察している。もっとも気にしているのは、一緒に戦っている少女だ。
ナギサの戦いは見事だった。
だが、二人の攻撃だけでは魔族を押し戻すまで行かないことも事実であった。
いずれジリ貧になる。退き時を誤れば、二人とも命が危ないだろう。
退くということを考えているのは、ヤマトだけだ。おそらく、ナギサには退却するという考えがまったくないに違いない。
こういった人物だからこそ、坂棟はわざわざヤマトに指示を出していったのだ。
まだ力に余裕のある今の内に、いったん退いたほうが良いのだろうか。
ヤマトは迷い、一瞬動きに滑らかさが失われた。
彼女に生まれた隙を魔族は見逃さない。牙を剥きだしにしてヤマトの足を噛もうと大口を開け、魔族が襲いかかった。
気づいたヤマトが刀を振るおうとした時、どこからか飛んできた矢が魔族の口に消え、咽喉を貫いた。
鮮血が飛んだ。
ヤマトは周囲の魔族を倒しながら、ちらりと矢が飛んできた方向を見た。
他にも矢が飛んでいる。壁の上から、兵士が援護攻撃をしているのだ。
一〇人ほどいる。わざわざ戻ってきたらしい。
どうやら、神法術師もいるようだ。
魔族の後方で炎が膨れあがった。周囲の魔族を巻きこみながら神法術が炸裂する。
彼らの攻撃は、魔族の数に比すれば、微小なものだろう。
だが、ヤマトとナギサにとっては大きな援護だった。彼らの攻撃によって生じたわずかな時差が、彼女たちに余裕を持たせてくれるのだ。
人間たちの協力は成功した。戦場の主導権が少女たちの手に握られようとしている。
そこに、三メートルはあろうかという魔族が三体現れた。
獣型から大きく外れた外観を有している。あきらかに普通の下位魔族ではない。
牛のような頭と人型の身体をしていて、腕や足の数はまちまちである。巨体故か、周囲の魔族を踏みつけながら進んでいた。
一体の牛頭魔族が夜空に向かって咆えると、他の牛頭魔族も続き、ついにはその場にいる下位魔族すべてが咆えだした。
ナギサが下位魔族を斬り裂きながら、一直線に牛頭魔族に向かっていった。
ヤマトも別の牛頭魔族へと突撃する。
稲妻のごとく下位魔族を斬殺しながら駆けるが、どうしても、牛頭魔族の前につく頃には速度が落ちてしまう。
迫ってきた巨大な腕をヤマトは斬りあげた。切断された腕から血が噴出する。だが、逆方向からさらにヤマトに拳が迫った。彼女は身体を回転させながら何とかかわす。追撃の腕がさらに伸びてきて、ヤマトは一度大きく距離をとった。
彼女の周囲に群がる魔族を、援護射撃がくいとめる。そのわずかな時間を利用してヤマトは態勢を立て直し、下位魔族をしとめた。
下位魔族の叫喚が響く。
悲鳴に呼ばれたわけではないだろうが、下位魔族の群から、牛頭魔族が新たに姿を現した。
これで四体である。
倒せないことはない。一対一であるのなら、そこまで難しくないだろう。だが、一対多数の状況ではいささか不利だ。
兵士の援護もあり、現在のところ戦線は何とか維持されていた。
だが、抑えこむことはできていない。
牛頭魔族が現れてからは、ヤマトとナギサは下位魔族の相手がろくにできなくなってきていた。このままではいずれ、二人は魔族に囲まれる。その時一つの失敗が、敗北への連鎖のきっかけとなるだろう。
退くべきだ。
ナギサは凄まじい速度で二体の牛頭魔族を相手どっている。だが、いつまでも続く動きではない。
ヤマトは牛頭魔族を倒すというよりは、その攻撃をかわしながら、これからとるべき行動を考えていた。
退くにしても、単純に南へ退くだけでは駄目だ。すでに魔族であふれているこの城にいても、死から遠ざかることはできない。
城から脱出するべきかもしれなかった。
ヤマトとナギサの二人だけなら、魔族の少ない場所を狙って突撃すれば脱出は可能だろう。
ヤマトが坂棟から言われているのは、ナギサのことだけだ。彼女は自分の命とナギサの命にだけ責任があるのだ。
ヤマトはちらりと、城壁から攻撃している兵士たちを見た。あのヒューマンたちは、ヤマトたちのために逃げずにあの場で戦っている。
立花は退屈していたが、眠ることなくモーリス城を観察していた。観察と言っても、不真面目なもので、顔を向けているというレベルである。
いつまでたっても変わることのない影の群に変化が訪れたのは、爆発音が響き、地面が揺れた時のことだった。
何事かと思い、立花はモーリス城を一心に見つめる。
変化は顕著であった。
南側にいた魔族の数があきらかに減ったのだ。周囲を囲んでいた魔族がいなくなっている。減った魔族がどこに行ったのかといえば、おそらく城内だろう。
立花の位置から見える範囲では、城門は破られている様子はない。となると、唯一見えない北門が破られたのかもしれなかった。
立花は顔をしかめる。
――あの生意気な性格からしたら、逃げずに戦う可能性が大きい。
つまらない意地を張らずに逃げればよいのだ。彼女の強さがあれば、今なら南門からなら逃げることは可能だろう。
魔族の海となっていたモーリス城の周囲は、今では川のようになっている。渡れない距離ではない。
立花ならナギサを迎えに行けないこともなかった。
だが、危険であることには変わりない。
立花の脳裏に姫の顔が浮かぶ。
「――わかったよ」
立花は興奮状態にある馬には乗らずに、徒歩でモーリス城に近づくことにした。
遠くから見た光景と近くで見る現実は異なる。
確かに、魔族の群は海ではなく川になっていたが、それは大河だった。簡単に渡れないということでは同じだ。
立花の気分は簡単に萎えた。たとえ、立花が城壁までたどりつけたとしても、城内の兵士は魔族の侵入にすべての気を取られて、彼の存在になど気づかないだろう。
助けに行ったのに、外で孤立無援になるなど、あまりにバカバカしい。
立花が救援をあっさり諦めようとした時、モーリス城でさらに動きが起こった。
またもや魔族の動きが劇的に変わったのだ。ついに魔族は、南門や西門にまったく興味を示さなくなった。
北門と東門に魔族が殺到している。
破壊音はしなかった。どうやら、東門が開いたようだ。
いったい、中で何が起こっているのやら、と思いつつも、立花は大河が小川に変じたことをその目で確認した。
南門付近の魔族は激減している。
道ができてしまったのなら行くしかないだろう。
立花は走る。こちらに気づいた魔族をことごとく葬って、一直線にモーリス城の南壁を目指した。
坂道をのぼりながら、上方にいる魔族をやや苦戦しながら倒して、ついに、モーリス城の至近にたどりつく。
彼は壁に向かって大きく跳躍し、あらかじめ抜いていた短剣を外壁の石の間に突き刺した。そこは地面から三メートル以上あり、魔族たちに襲われることはない距離ではある。だが、わらわらと集まる魔族を眼下にするのは、あまり良い気分ではない。
立花は大声を上げて、城壁にいるはずの兵士たちにアピールした。何とか上にいる人間に気づいてもらって、縄を下ろしてもらい、彼は城内に入ることができたのである。
「ありがとう」
「おまえこそ、ここが今どういう状況なのかわかっているのか?」
兵士たちの表情は硬く、空気は思い。
だが立花はかまわなかった。
「ナギサと言う少女を知らないか? 外見は――」
彼女の容姿や性格そして、強さを説明すると、すぐに兵士たちはナギサのことを認識し、彼女のことを話してくれた。
「西門に向かっていった。今、どうなっているのかはわからない。とりあえず、今は、南地区に皆を集めるよう指示されているんだ。おそらく、南地区で籠城することになるんじゃないか。あんたもけっこう戦えるみたいだから協力してくれないか?」
この兵士はすでにナギサの命がないと考えているようだ。
だが、立花の見解は異なる。この程度の魔族が相手なら、彼女はたやすく死ぬとは思えない。
「わかった。でも、その前にナギサだ。彼女も一緒にいてくれた方が心強いだろう?」
「ああ、そうだな。だが、無事かはわからないぞ。すでにそうとうな被害が――」
「また、後でな」
話を途中で打ち切り、立花は走りだした。彼の腕には、ロープがある。
立花は城内に残って戦うつもりはない。ナギサを見つけた後は、さっさとこの場から離れるつもりだ。
ナギサが残ると言ったら、説得するつもりもない。そこまでの義理はなかった。
時間をかければ、また周囲が魔族の海となるかもしれないのだ。そうなると、立花までもが脱出できなくなる。
立花もけっこうぎりぎりなのだ。
だが、彼は状況が悪いと理解しながらも、自分の命が危険になるとは真剣に考えていなかった。
兵士たちの懸命な姿を目にしながらも、どこか他人事のように捉えていた。死を間近に目撃してないというのも理由の一つだろうが、彼の中に赤の他人でしかないという割りきりがあったことも大きな理由だろう。
――関係ない。
立花は大切な者とそうでない者への割りきりがはっきりとしていた。日常であれば、まったくわからないものだが、緊急時に、それははっきりと現れる。
モーリス城の中にあって、彼は自分の命だけに関心があった。危険な状況にあって、自分の命を優先することは当然だろうと彼は考えていたので、たとえモーリス城の住民を見捨てることになっても、しょうがないと考えていた。
立花は守護団の団長ではないのだ。
西門に近づくにつれ、死が周囲に散見される。
いずれも抵抗もできないままに、魔族に食料とされている光景ばかりであった。
走っている立花の視界にも、城内の兵士たちの惨状が目に入ってきた。立花は意識・無意識の両方で、兵士たちの映像が自身の網膜に映ることを遮断していた。
リアルに感覚に訴える物は拒絶しているのだ。彼の精神では、死というのは正視しがたいものなのである。
死が間近に存在しないという異常な日常を送っている日本人であるからこそ、死という現実への対応は、直視しないというものになってしまうのかもしれない。
正面から魔族と相対する力は、すでに守護団にはないようだった。敗北の気配が濃厚に漂っている。
迎えに行くだけ無駄だなと、立花が考え始めたところで、それまでとは異なる風景が彼の目に飛びこんできた。
城壁から兵士が攻撃しているのだ。その表情に悲壮感はなく、倒すために戦っているという戦意が満ちていた。
そこはちょうど外壁と内壁に挟まれた大通りだった。
道で戦っているのは二人の少女である。彼女たちは二人だけで、魔族の流れを阻んでいた。
他の西地区では、すでに撤退が終わっており、途中でも犠牲を出していたのだが、この場所だけは魔族に勝利を収めている。
立花の目から見ても、上と下でチームワークがよくとれていた。
だが、状況は決して楽観できない。
牛頭の大柄な魔族が五体おり、その魔族に二人の少女が苦しめられている。どれほどの時間が戦っているのかは立花にはわからないが、正直、この状態でよく戦えていると思う。しかも、牛頭の魔族を二体倒していた。
だがぎりぎりのバランスである。
立花は城壁で一人だけ座っている男に声をかけた。
「もしかして、神法術師ですか?」
「ああ、そうだが。あんたは?」
「俺も下に降りて戦います。俺が加われれば、たぶんあの牛の魔族を倒せるから、その後神法術で援護してもらえますか? 逃げるんで」
「……逃げる?」
「はい、このまま戦い続けられるはずがないでしょう。それと――」
立花は、弓で攻撃をしている兵士に声をかけた。
ロープを下に投げるよう頼んだのだ。すでにロープは、立花の手によって城壁の凸部分にくくりつけられている。たらしてくれさえすれば、後は下で何とかする。
立花は城壁から跳び降りた。彼の視線の先には牛頭魔族がいる。狙い通り牛頭の魔族の頭上へと落下すると、彼は剣を振り下ろした。
牛頭の二本の角の間に、立花の剣は命中し、顔面を引き裂く。首のあたりで動きが止まった剣を、牛頭魔族の身体を蹴ることで、彼は引きぬいた。
牛頭魔族は、調子の外れた空気音と血をまきちらしながら、魔族を下敷きにして倒れる。
「こいつらを倒したら、退くぞ!」
二人の少女の視線が一瞬だけ立花を見たが、返事はない。
立花は別にかまわなかった。自分のやりたいようにやれば良い。忠告したことで、すでに彼の仕事は終わっていた。
ナギサが相手をしている牛頭魔族に立花は襲いかかる。
もう一人の少女は、すでに二体の牛頭魔族の相手をしていた。さらに三体目が向かっていたが、立花は優先順位を変えなかった。
二人がかりで牛頭魔族を倒すと、
「あんた、向こうが先でしょ!」
ナギサが言葉を叩きつけ、物凄い早さで、援護に向かった。
あちらも援護射撃があって、まだ何とか耐えている。髪の長い少女は、かなりの腕前と言っていいだろう。
立花もナギサにわずかに遅れながら、援護に向かった。彼とて、できるなら生きていてほしいと考えていた。
全員で協力して戦うと、意外なほどあっさりと魔族を倒すことができた。
魔族の数は変わらず多いが、三人と上の兵士たちが協力して戦えば、案外何とかなるかもしれない、と立花まで思ってしまいそうなほどに、うまくいっている。
もちろん、立花はすでに逃げることを考えていた。もっと強い魔族が現れたらと考えれば、これ以上ここに残って戦う理由はない。
「おい、とりあえず、いったん、退くぞ。ロープを下ろしてくれるよう頼んだから、それで逃げる」
「私は行かない」
ナギサが言う。
「ダメ。今は、一度退くべき」
「あんたに反対される言われはないから」
「そんなことは知らない」
二人の少女が、魔族を倒しながら、器用に口げんかを始めた。
立花は二人にかまわず、上へと合図を送る。
兵士の一人と立花の目が合った。
ロープが宙に舞う。
――闇が世界をおかす。
夜空よりも深い闇が斜行し、立花の視界をおおった。
ロープは消失し、兵士たちの姿も無くなる。闇が消えると、外壁と内壁に大きな穴が生まれていた。
遅れて、衝撃波と暴音が炸裂した。
間近で荒れ狂う衝撃に、立花は両腕で顔をおおい何とか耐え忍んだ。腕を下げた彼の視線の先には、一人の男が宙に浮かんでいる姿があった。
「この場でもっとも強いのはおまえたちだな」
立花の胸に絶望がひろがった。感じてしまったのだ。あきらかにレベルが違うことを。
破壊の規模も力の強大さを証明していた。勝てるわけがない。
遭遇してはならない相手だった。
他人事だと考えていた彼の認識は幻のように失せた。
死が目の前に存在している。
「ゴミが邪魔だな」
男の周囲にいくつもの闇の揺らめきが生じ、立花の背後へと飛んでいった。
生じたのは、いくつもの爆発音。
「ちょ、何なのよ!」
「―――」
二人の少女の動揺が立花に伝わってくる。
目を離してはならないと思いながら、彼は背後を振りかえった。先程まで通りに溢れていた魔族たちの姿が消え失せている。
あの闇の揺らめきが原因だろう。
「おまえたち三人を連れて帰ることにしよう」
すでに運命の手綱が自分にはないことを、立花は理解した。




