42 鳴り響くは破滅の音
「このままいけば、どうやら援軍が来るまで持ちそうですね」
副団長ボーランの言葉に団長であるイーゴルは頷いた。
緊急であるということをボルポロス公が認識すれば、七日以内に一定の兵力を援軍として差し向けてくれるだろう。
食糧、矢などの武具、油等の備蓄は充分にある。
一つ一つの事象にしっかりと対応していけば、最小限の犠牲で戦いぬけるはずだ。
強いて不安を挙げるとすれば、二つある。
一つは魔族の進化について情報がほとんどないということ。
もう一つは、冒険者である。
魔族に関しては、今のところどうしようもない。また、魔族に変化は見られても、城壁を破るほどの存在ではないので、現実に即するかぎり特別な対応は必要なかった。
問題は、もう一方の内に抱える問題、冒険者だ。
数日以内に彼らは不満を表に出すようになるだろう。
「冒険者たちが疫病神になりそうですな」
「ああ」
「彼らのために割く兵はありません」
「報奨金を約束して、自ら戦わせるというのが一番良いが」
「そんなお金がありますか?」
「ないな。冒険者の何人かとそろそろ話しておく必要がある」
冒険者に関して忘れてはならないことがあった。
――セリアンスロープ。
奴隷とはいえ彼らの扱いはひどいものだ。
イーゴルとて理解している。
だが、一方で、彼には奇妙な安心感があった。ジグルドがいるからには、奴隷たちが無用な行動をとることはないだろう、というものだ。
ジグルドは理解しているはずだ。現在魔族によって攻撃されていることや、戦えない者たちがこの城の中に守られていることを。
彼ならば、たとえ他のセリアンスロープが反抗の意思を示そうとも抑えてくれる。
過去、ジグルドは魔族からヒューマンの村を守るために命を賭けてくれた。
村人たちは守られたにもかかわらず、感謝の言葉を口にしなかった。それどころか、「なぜもっと早く倒さないのだ」などと的外れな非難をしたのだ。
ジグルドがセリアンスロープである、というそれだけの理由で、奉仕して当然だと下に見ていたのである。
だがあの男はまったく気にしなかった。
彼は真の強者だった。ヒューマンであろうとも、弱き者ならば助ける。
「戦えない者を守ることこそが戦士の役目だ」
ジグルドはそう言った。
あの男は、戦うことに強い信念がある。
たとえセリアンスロープという種族の違いがあろうとも、イーゴルは信じることができた。
もちろん、逆らうなと言うのが支配者の勝手な言い分であることは、イーゴル自身もわかっている。
「どうした?」
何か言いたそうにしている副団長に、イーゴルは話を振った。
「あの坂棟という男は何者です?」
「さあな。新人冒険者と言うことだが」
「違いますね。匂いでわかります」
「素性が知れないということでは、冒険者とたいして変わりはない。多少の不安はあるが、協力してくれるというのだから、おおいに活躍してもらおう」
「どうも得体の知れなさが気になるんですがね」
「あの戦力を使わずに、防衛戦を行うのか?」
「そうですねえ、それはもったいない――」
――その時轟音が響いた。
轟音が空をぬけておさまると、イーゴルはすぐに動き出した。
呆然とした副団長にも命じて、何が起こったのかの報告をあげさせたのだ。
混乱がありながらも、数々の報告が団長の元へ上がってくる。
いずれも最悪を超えた絶望的な報告ばかりであった。
だが、イーゴルは諦めることなく、対処していく。
報告にある情報の真偽や正確性を見極め、やるべきことを次々と命令として出していった。
彼の示した戦う意志と、理性ある命令は、兵士たちに力を与えることになる。
だが、その中にあって、セリアンスロープに関する報告に対してのみ、彼は予断を持って当たってしまった。
信じべからざる者を、イーゴルは信じてしまったのだ。
城壁に兵士がいる。
彼は北面の見回りをしていた。
多くのかがり火が焚かれており、城壁に群がる魔族の姿が目に入ってくる。相当な数の魔族を倒したはずだが、まったく数が減じた様子はない。
離れたところを同じように見回りをしている仲間の兵士がいた。
彼は手を挙げて挨拶をする。
仲間の兵士も手を挙げた。そして、消える。
「え?」
仲間の兵士は右手首だけを残して姿を消した。手首だけが宙に浮いている。
「え?」
と呟いた時、彼自身の身体が宙に浮いた。足場が消えていた。下を向くと、闇がある。彼の身体は闇に触れると弾け、そして呑まれた。
鳴りひびく悲鳴のような破壊の音。
分厚い城壁は、闇によってこなごなに破砕された。撃ち砕かれたのは壁ばかりではない。周囲にいた魔族も破裂し、壁の内にいたヒューマンも身体を砕かれていた。
破壊の残響がある中、動いたのは魔族である。
屍を乗り越え、ぽっかりと空いた巨大な穴から、魔族がモーリス城に侵入した。
生まれたばかりの数十体のヒューマンの屍を、魔族は食べあさる。食の欲望は次第に過熱し、共喰いを生じさせた。
魔族同士の殺し合いが始まっていた。
ただし、大半の魔族たちは、城内奥を目指して駆けている。黒い群は、巨大な蟻の行列のように、城内を進んでいった。
水が流れるように、モーリス城のすべての道に魔族が溢れた。
城壁からの兵士による攻撃は一定の成果をあげているが、魔族の足を止めることに関してはまったく役に立っていない。
音を聞きつけ現れた数十人の兵士たちが魔族の前へと立った。だが、彼らは戦うことすら許されない。
あまりに魔族の数が多すぎた。
兵士たちは生きたまま、群をなした魔族に四肢や臓腑を食い荒らされる。彼らは悲鳴さえも上げられなかった。肉や骨の千切れる音と液体の飛び散る音だけが、兵士の死を伝えた。
魔族の飢えた咆哮と欲望の咆哮とがモーリス城に満ちた。
モーリス城は初めて敵の侵入を許したのだ。
城門ではなく分厚い壁を破られてのことだった。それは設計者すら考えていなかったことだ。つまり、壁を壊されて攻撃されることを、誰一人として予測していなかったのである。
守護団に有効な防衛を行うための準備は何もない。城壁に比べれば、あまりに弱い内壁のみが頼りであった。
モーリス城は混沌へと落ちていく。
魔族によるヒューマンの蹂躙は始まったばかりだ。
東門の防衛任務にあたっていた兵士の一人が、建物の外へと飛びだした。後から一〇人ほどの兵士が次々と出てくる。
「何の音だ、今の?」
「さあ、北門の方か?」
「たぶんな――まさか、城門が破られたってことはないよな」
「まさか」
兵士たちの中に不安がひろがった。
彼らは休憩中であったのだが、隊長の命令により、全員が急遽装備をした。
隊長は、すぐに城壁や城門に変化がないかの確認をさせる。結果は異状なしであった。
隊長は団長に使者を飛ばした。東門に異常なし、との報告をあげたのだ。
東門には約一〇〇人の兵士がいた。
現在三〇人が城壁上の見回りをして、残りが休憩中であったのだが、三〇人を起こし、隊長は警戒にあたらせた。
城外ではなく城内に向けてである。
隊長は城門が破られたことも考慮し、魔族が現れる可能性を想定していたのだ。
仮に、魔族が北部に侵入を果たしたのだとしたら、北を切り離す必要がある。
動くべきなのか、隊長は思案した。
「隊長、多数の人影が移動しています」
高所にいる兵士が報告する。
内壁の門は現在開け放たれており、その直線上に兵士は人影を発見したらしい。
「味方か!」
「いえ、それにしては動きがおかしいので」
城内の火はあまり多くない。油の節約である。だが、今は、それが悪い方へと作用した。
「――あれは、セリアンスロープです!」
「セリアンスロープ? なぜ、セリアンスロープが? 何人だ? 連れている冒険者に名のらせろ」
「いえ、冒険者はいません。セリアンスロープだけです。あいつら、武器を手にしています」
「こんな時に、逃亡か!」
隊長は大きく一歩を踏み出した。まだ距離はある。だが、大声で伝えれば、届かない距離ではない。
「命が惜しくば、武器を捨て投降しろ。我々は、きさまたちの命をむやみに奪うようなことはしない」
返事はない。
「一〇〇人以上います」
「おい、寝ているやつを叩き起こせ。それとおまえ、団長に奴隷の叛乱を報告しろ!」
一瞬だけ顔を横に向けて、隊長は、側にいる兵士に命じた。返事をすると、兵士はすぐに走り出す。
隊長が顔を戻すと、大きな影がこちらに向かって走ってきていた。
「やつら来ます!」
咆哮を上げて、セリアンスロープたちが迫ってくる。
「応戦しろ!」
三倍以上の敵を守護団は迎え撃った。
最初に突撃してきたセリアンスロープにより、一人の兵士が簡単に殺された。
あきらかに次元の異なる大柄なセリアンスロープに対して、隊長は特別に対処を命じる。囲むだけで、攻撃するのではなく防御しろというものだ。
誰かが襲われたら周囲が援護する。とにかく、防御に専念して時間を稼ぐのである。
このセリアンスロープは強かった。結局、現兵力の三分の一にあたる、一〇人と言う兵士をはりつけることになってしまった。
それでも、この一体のセリアンスロープを抑える必要があると隊長は考えたのだ。
だが、これで二〇人の兵士で、他のセリアンスロープを殲滅しなければならなくなった。
二〇人の兵士はできるかぎりかたまり、一度に多数の相手をしないよう陣を組んだ。
セリアンスロープに比して、兵士たちは攻撃力も防御力も髙い。
だが、セリアンスロープたちには執念があった。
「くそ、こいつら」
セリアンスロープは、たとえ腕を斬り捨てられようとも、抱きつきそのまま噛みついてきた。鎧の上からだろうと関係ない。よだれをたらしながら噛みつき離れない。たとえ首だけになろうとも離さなかった。
セリアンスロープは一人でも組みついたら離れずに、次々と襲いかかる。多くの者の武器は牙である。
噛みついているのだ。
すでに斬られることなど傷だらけの彼らには関係ないようで、腕や足が飛び、血が散布しようと、誰一人として攻撃を止めなかった。
生きるためではない、彼らは殺すためだけに戦っている。
兵士たちにすれば、その姿は外見の違いもあり同じ人間だとはとても思えなかった。
――獣。いや……。
「化け物どもが、死ね!」
セリアンスロープの四肢が斬り飛び、ヒューマンの首は喰い千切られた。
東門では、ヒューマンとセリアンスロープによる地獄絵図のような戦いがひろがっていた。連鎖する憎しみが生んだ、これが当然の未来図であったのかもしれない。




