26 女王は夢を見る
その日の夜空は雲が多く、月と星々の光の恵みは地上にほとんど届くことがなかった。
遠くを見とおすことが難しい暗闇の中に、ランストリアは沈んでいる。
町の賑わいから離れる港になると、その暗闇は濃かった。
ランストリアの港には多くの船が停泊している。
その中の一つの船に、船番をしている若い乗組員がいた。
初めてランストリアを訪れた彼であるが、夜のランストリアへくりだしたことは一度としてない。
下っ端なので、夜番という嫌な仕事を任されるのはしかたのないことだった。
しかし彼はめげていない。
むしろ、幸運ではないかと思っている。
航海というのは、いつだって危険を伴うものだ。
ランストリアなどという辺境へ向かうとしたら、危険が大きいのは当然である。
だが、ランストリアの航路は安全だと船乗りの間では知られていた。
セイレーンの先導を受けることができるからである。
安全な航路と嵐からの回避を約束されているのだ。
彼は幸運である。
王都へ戻れば結婚を約束した女がいる。
王都へ戻れば一定の賃金も手に入る。
結婚生活も少しは豊かなものになるだろう。
彼女は、彼の無事を今でも王都から祈ってくれているはずだ。
彼は幸運である。
もっとも、幸運であったのは、その夜彼が船番をしていたことだった。
それによって、彼は死なずにすんだのだから。
その夜、ランストリアの町では、破壊をもたらす大火の花が咲き乱れた。
「魔族」という単語が叫ばれていた。
破壊による混乱の中、この言葉は、耳を通して多くの人々の心に刻みこまれた。
皆が強力な魔族にランストリアは襲われているのだと信じた。
よく耳を澄ませば、叫ばれている「魔族」という単語の発音が不正確なこと、よく観察すれば、叫んでいる者が、パルロ人とは思えないほどに粗末でぼろぼろの格好をした人間であることに気がついただろう。
だが、自らの命が危険にさらされている中、冷静に他者を観察する目を持つ者はいなかった。
全員が港へ走り、人が集中したことで混乱が起こった。
ヒューマン同士の醜い争いが、そこかしこで生じる。
さまざまな場所が破壊されているというのに、不思議なことに、港にはまったく被害が出ていなかった。
貴族や大商人たちに死者は出ていない。
だが、多くの奴隷が海の藻屑に消えることとなった。
奴隷たちの安否を気にする者はおらず、むしろ奴隷たちを邪魔者扱いする者ばかりであったことが、この悲劇を招いた。
魔族ではなく、人によって彼らは殺されたのだ。
後に、町を襲撃した魔族について、多くの人間に聞きとり調査が行われたが、彼らの証言する魔族の姿はさまざまであった。
このことから、一体の魔族でなく多数の魔族によって町は破壊された、と調査をした者たちは考えた。
本当は、誰一人として魔族の姿など見ていないという事実に、調査をしている人間は結局到達することがかなわなかった。
駐留部隊が全滅したことも、正確な報告が上がらなかった大きな理由だろう。
彼らはランストリアに住む人々を逃すために、勇敢に戦い、戦死したとされた。
駐留部隊は小さな英雄となったのだ。
一度調査隊がランストリアに送られたが、破壊の跡を確認すると、すぐに王都へと引き返した。
彼らは町の破棄を上申した。
わざわざこのようなところに住む理由も、それを維持する理由もないとの判断である。
セイレーンの町という事実が、調査隊の不熱心さに影響を与えたのは否めないだろう。
いくつもの台座の上で炎が揺れ、巨大な空間を照らしている。
大理石の玉座に、セイレーンの女王がゆったりと腰かけていた。
ワイングラスを片手に、あくまでも悠然と彼女はかまえている。
外の状況がまるでわかっていないとしか思えない姿だ。
玉座から距離を置いて人影が立っていた。
外界の喧騒に反して、内には静謐が満ちている。
「まだそのような格好をしているのですか、ヤマト」
女王サラメは微笑む。
「おまえに名を呼ばれるいわれはない」
「そう。それで、ここにはどういった用があって来たのかしら?」
女王は口調もゆったりとしていた。
「鬼を裏切ったおまえへの用なんて、一つしかない」
「言葉づかいが汚いわ、ヤマト。そんなことで良いの? 彼はそんなことを許しているのかしら?」
「おまえが兄上のことを口にするな!」
「まあ、まだ、そんなことを言っているの? 終わったことをいつまでも女々しいこと」
女王の笑いが屋内に響いた。
「今日がこの町の最期だな」
「そうなの? どうでもいいわ」
「――強がりを」
ヤマトは刀を抜いた。
サラメがヤマトの行動を見咎める。
「やめなさい、無駄なことよ。なぜ、私が女王になれたと思う? なぜ、セイレーンたちが皆私に従って、陸で生活していると思うの?」
ヤマトは答えなかった。
静かにサラメの隙をうかがう。
「それさえもわからずにこんなことをしているの? 本当にオオムチはどうしたのかしら? あの人はもっと理性的な人だったけど――亡くなってしまったの?」
サラメが嘆く。
彼女の言葉に、ヤマトの復讐心という激情が猛った。
刀の柄を握る手に力が入る。
「生きてはいるのね。よかったわ」
サラメの言葉に反応しないよう、ヤマトは理性の仮面をもう一度かぶった。
この状況に不審がある。
セイレーンにも戦士はいた。
なのにヤマトは一度も戦うことなく、この場所までたどりついた。
戦わなかったどころか姿さえ見ていない。
「そう、しかたないわね。戦うというのなら、戦いましょう。あなたはあの人への贈り物として、ちょうど良いかもしれない」
「おまえ一人で戦うのか?」
ヤマトの目に、セイレーンの女王は隙だらけに見えた。
「ええ、問題でもあるかしら? ああ、皆がいないことね。確かに、後でお仕置きをしなければならないわね」
「……女王を見捨てて逃げたのか?」
「鬼では考えられない? 人間なんてそんなものよ。自分がよければ良いの」
「セイレーンの言いそうなことだ」
ヤマトは吐き捨てた。
「それは褒め言葉かしら?」
サラメが首をかしげる。
ヤマトはいっきに跳躍した
サラメとの距離をゼロにし、勢いのままに刀を振りおろす。
刀に肉とは別の抵抗を覚えたが、ヤマトは振りぬいた。
目の前にすでにサラメの姿はない。
だが、手ごたえはあった。
「驚いた――でも、おいたがすぎるわね」
サラメのドレスは左肩から右腰にかけて斬り裂かれている。
ドレスの下からのぞく肌には赤い線がはいっていた。
遅れて血があふれだす。
「次は逃さない」
「わかってないわ」
サラメは首を小さく振った。
「わかっていないのは、おまえだ」
言い終えると同時にサラメの懐に飛びこみ、ヤマトは攻撃する。
ヤマトははっきりと実力差を認識した。
サラメはヤマトの相手ではない。
またもや奇妙な抵抗を感じたが、ヤマトは振りぬく。
剣筋が空中に弧を描き、サラメの身体に消えた。
先程よりも間違いなく、厚く剣先は喰いこんでいる。
突如悪寒が首筋を走りぬけ、ヤマトは横へと飛んだ。
「ぐ」
左肩に衝撃が走り、ヤマトは床を転がる。
膝をついた状態で、ヤマトはサラメを睨みつけた。
ヤマトの鎧は砕かれ、着物も破れ、素肌がさらされている。
「わかる? あなたの力ではどうしようもないの」
「――何が……」
サラメが指先で自身の胸に付着している血に触れると、その下にあったはずの刀傷が、すべて消えていった。
「わかったかしら?」
「……バカな」
「バカはあなたよ、ヤマト――先程の解答を教えてあげましょう。私が、『王の石』を破壊したから、人魚の国はなくなり、その欠片を食べたから、私は力を得た。あの方と共に歩むための力をね」
女王は、腕をまっすぐヤマトに向けると、さらに人差し指をぴんと伸ばした。
指先に、水が凝縮し、そこから撃ちだされた水はレーザーのように直進する。
水流はヤマトの左肩付近に直撃し、穴を空けた。
痛みにヤマトは叫び、身体をそらす。
「あなたを陛下への手土産と思ったけど」サラメの形相が変わった。「やめたわ。あなたみたいな下品な女で、陛下のお目を汚すわけにはいかない」
サラメの攻撃により、ヤマトの左上半身は大きく素肌がさらされていた。
白いさらしも切れて、胸もとがあらわになっている。豊かとはいえないが、確かにそこには女性の膨らみがあった。
「私がパルロの王に会う時は、あいつの命を奪う時だ」
復讐を厚く宿した瞳でヤマトが宣言する。
彼女は肩から血を流しつづけており、顔色は悪くなっていた。
戦う力を失いつつある。
ヤマトの息づかいが荒くなった。
――その時、
建物が破壊される容赦のない音が、二人の間に割って入る。
「時間切れ」
粉塵の奥から冷たい声が響いた。
特徴的な服装をした女が姿を現す。
「あなたは、何者です」
「ヤマト、どうやらうまくできなかったようね」
女王の問いかけを、夜色に近い紫の髪をした女性は完全に無視し、胸を腕で隠した鬼に声をかけた。
ハルである。
ハルが歩を進めると、彼女の美貌が炎の明かりのもとで明らかとなった。
サラメの顔が大きく歪む。
ハルの美貌は、サラメのそれを大きく上まわっていた。
サラメはハルの美貌に烈しく妬心を覚えた。
瞳には純粋な憎悪がある。
初対面の相手に対して、これほど強い負の感情を抱けるというのは、ある種才能であろう。
ハルはサラメの前を素通りした。
まったく眼中にないのだ。
サラメの存在もそうだが、サラメが問題にしてる美に対しても同じである。
ハルにとって、自分の美貌は当然のことであり、自己の美を基準とした時に、他者の美など評価するに値しないという考えがごく自然にあるのだ。
嫌みを突きぬけた傲慢さであった。
ハルはヤマトの傍に座ると、彼女の傷に手をあてる。
すると、血が止まった。
回復させたわけではなく、止血しただけである。
「いくらか力がありそうですけど、あなたでは私は倒せません。そこのヤマトと同じようにね」
「うるさい」
わずらわしそうにハルが言う。
町を壊すことでいくらか不満は解消されたが、彼女の機嫌は悪いままだ。
ただし、坂棟の前以外では、ハルはほとんど笑うことはないので、普通であると言えば、今も普通なのである。
何の前触れもなく、ハルが光熱波を放った。
サラメは避けることがかなわず、両腕を胸の前で重ねて光熱波を受ける。
小爆破が生じ、焦げ臭いにおいが辺りに流れた。
サラメの両腕はひどい火傷を負っている。
だが、みるみるうちに新たな肉が盛りあがり、肉と肌を再生していった。
超回復力とでも言うべき治癒力である。
「どうかしら? あなたに私をどうにかすることはできないわ」
勝ち誇った顔で女王は言う。
「いつまで回復できるのか確かめてみたくはあるけど」ハルがサディスティックに笑った。「あなたがどうにかなるところを見てもしかたない」
「私には王の力がある」
ヒステリックにサラメは叫んだ。
下に見られていることが我慢ならなかった。
違う。
美しさで負けていることが、我慢ならなかったのだ。
サラメの意識はハルにのみ投じられている。
「私にも王の力がある」ハルは楽しそうに宣言した。「お館様と私、二つの意味でね」
「嘘を言うな!」
巨大な水の塊が、サラメとハルの間に突如として現れ――そして、消えた。
「え――」
サラメは瞳を大きくした後、ハルに殺意の視線を突き刺す。
だがハルはまったく相手にしていなかった。
「ヤマト、あなたがやりなさい」
止血されたとはいえ、ヤマトの左腕は動かせる状態ではない。
それはハルにもわかっているはずだ。
「――わかりました」
だが、ヤマトは立ちあがり、刀をかまえた。
肌がさらされたが、彼女は気にしていない。
「あなたはあの女を斬ることだけを考えればいい」
「はい」
「ふ、ふふふふふふふ」サラメは大声で哄笑した。「やはり、嘘ね。そんなやつの力まで借りるなんて――」
空間を閃光が奔り、サラメの視界が光に染まる。
「いやああああああああああ」
光が奔った後、サラメの腕が失われていた。
血はすぐに止まったが、腕はもとどおりになっていない。
「ラトが自分のことを平和主義とか言っているらしいけど――私は踏み潰す主義なの。わかったら、ちょっと黙っていなさい」
サラメは混乱した。
目の前の女は嘘をついていない。
本当に彼女のことを倒せるのだ。
サラメは力の差というものをはっきりと自覚した。
どうすればいい?
とにかくヤマトを殺すしかない。
恐怖は安直な思考を彼女に与えた。
サラメは力を振り絞り、近づいてくるヤマトに全力で攻撃をしかける。
だが、すべての攻撃が無効化され、ヤマトまで届かなかった。
サラメは身体が重く感じた。
うまく身体を操れない。
「王の石」の力を制御しきれていないという事実に、彼女は気づいていない。
さらに、水の力を行使しようとするが発現しなかった。力が失われていく。
サラメの目には、ヤマトの動きだけが映っている。
最初は一歩一歩近づくだけであったヤマトの歩みが、少しずつ速くなった。
ヤマトが駆けだす。
距離はすぐになくなった。
サラメは攻撃を続けていた。
攻撃の意思だけは持っていた。
だが、ヤマトの身には何も起こらない。
世界は彼女に応えてくれなかった。
ヤマトがサラメの目の前で、上段に大きく振りかぶる。
サラメは、ただ見ていた。
巨大な力を得たはずなのに、命の危険にあって彼女は無力だった。
「おまえは兄上のことを――オオムチ・クツハを――そして鬼を」
ヤマトは刀を振りおろした。
背後へと倒れるサラメの身体から血が花びらのように舞った。
栗色の長い髪が大きく広がり、彼女の身体を包みこむ。
サラメの視界はぼやけ、光に支配された。
――オオムチ・クツハがいる。
ようやく結婚が許された鬼の王子が微笑んでいた。
鬼とセイレーンたち、家族たちが、種族をこえて皆が祝福している。
平和で穏やかな時間。
サラメは腕を伸ばした。
「ゼピュランス様」
オオムチの姿が砕け散る。
そして、現れたのは――
パルロの王子が鬼の王の首を片手に持っている後ろ姿。
「ゼピュランス様」
サラメは微笑み、そして絶命した。
ランストリアの町は一夜にして廃墟になった――一二年前のクツハ城と同じように。




